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いつくしまじんじゃ

厳島神社のお参りの記録一覧
広島県 広電宮島口駅

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惣一郎
惣一郎
2023年05月20日(土)1269投稿

【安藝國 式内社巡り】

嚴島神社(いつくしま~)は、広島県廿日市市宮島町にある神社。式内社(名神大社)で、安藝國一之宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。全国に約500社ある厳島神社の総本社。厳島神社中心に構成される宮島は、古くから「日本三景」の1つに数えられ、現在は国の特別史跡、特別名勝となっている。本社本殿、幣殿、拝殿、南保命酒蔵、摂社客神社本殿、幣殿、拝殿、祓殿、回廊は国宝、朝坐屋、能舞台、揚水橋、長橋、反橋は国指定の重要文化財。また、1996年に国宝・国重文指定前27棟3基を以って、「厳島神社」としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。

社伝によると、推古天皇元年(593年)に当地の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を以って御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を造営したことに始まる。古代からの厳島中央の弥山(標高535m)への山岳信仰を起源とし、「神に斎く(いつく=仕える)島」として、島そのものが信仰の対象であったと考えられている。
文献の初出は平安時代の811年、名神に預かった記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳に記載のある「安藝國 佐伯郡 伊都伎嶋神社 名神大」に比定されている。のち安藝國一之宮とされた。平安時代末期、平清盛から崇敬を受け、社殿を造営し、平氏の氏神としたため隆盛を誇り、平氏滅亡後も源氏を始めとして時の権力者の崇敬を受けた。戦国時代に衰微するが、毛利元就が1555年の厳島の戦いで当地を支配下に置き、崇敬するようになると再び隆盛した。豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参拝し、大経堂(現千畳閣)を造営した。
江戸時代には、庶民の間でも厳島詣でが流行し、多くの参拝者で賑わった。明治時代になると、廃仏毀釈の影響を大きく受け、仏教的と捉えられた社殿の彩色を剥がして白木造りに変更させられ、焼却を逃れた社殿には千木と鰹木の新設が強制された(のちに復元)。大経堂は仏像を撤去して末社「豊國神社」と改められ、別当寺の大聖院、大願寺といった寺院は独立することとなった。近代社格制度のもとで1871年に国幣中社に列格し、のち1911年に官幣中社に昇格した。

当社は、JR山陽本線・宮島口駅または広電宮島口駅からすぐの波止場からフェリーに乗って10分、宮島の北東部にある。フェリー乗り場からはおよそ徒歩10分、海が見たければ海際の参道を歩けばいいし、食べ物屋を中心に門前町を楽しみたければ正参道を進むことで当社にたどり着く。宮島町(厳島)全体が、すべて当社のために発展して来たものなので、島全体が一つの観光施設であるかのような感じ(ディズニーランドのようなアミューズメントパークの感覚)があって面白い。神社では珍しい有料拝観の境内も、他の神社とは見た目から異なる海上の社殿は日本人だけでなく、日本通の外国人でも知るところであり、歴史的価値の観点からも国宝・国重文のオンパレード。社殿は荘厳にして豪華絢爛で、すべての人の記憶に残る参拝体験が保証されている。

今回は、式内社、安藝國一之宮、旧官幣中社、別表神社であることから参拝することに。(実は参拝はたぶん4回目で、寺社仏閣の御朱印巡りを始めてからの初参拝。安藝國の神社専用御朱印帳を拝受するのが本当の目的)。参拝時は平日の午前中で、コロナ半明け、修学旅行生もぱらぱら、外国人観光客ほぼゼロの状況ではあったが、門前町の人気飲食店などは行列ができていて、割と多くの参拝客が訪れていた。

厳島神社の鳥居

宮島フェリー乗り場から海際を800mほど歩いたところにある<石の大鳥居>。

厳島神社(広島県)

左側の<狛犬>。

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