いちのみやぬきさきじんじゃ
一之宮貫前神社
群馬県 上州一ノ宮駅
先週末行ってきました~
朝方まで雨が残ってたのですが到着した頃にはすっかり止みいい天気に♪
下り参道も見たことが無かったのですごく新鮮でした♪
木々に囲まれとても静寂な雰囲気が良かったです
神職の方も私のつまらない?質問にとても丁寧に答えてくださりありがとうございました!
一ノ宮の厳格な雰囲気の中、丁寧に対応してもらえとても気分があがりました♪
下り参道♪
本殿
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさき~)は、群馬県富岡市にある神社。式内社(名神大社)、上野国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は経津主神と姫大神。
当社は社殿の配置が変わっていて、一般的な神社が平地または階段を登った先に社殿があるが、当社は総門(神門)をくぐると階段のはるか下の方に社殿がある。この配置を「下り宮」というようで、広い意味では「出雲大社」も下り宮だが、もっと急に下る形になっている。当社は、宮崎県の鵜戸神宮、熊本県の草部吉見神社(くさかべよしみ~)と並び、「日本三大下り宮」とも言われている。
社伝によると、創建は安閑天皇元年(534年)、物部姓磯部氏が鷺宮(さぎのみや:現・安中市)に氏神である経津主神を祀り、鷺宮の南方、蓬ヶ丘綾女谷(よもぎがおか・あやめたに:現所在地の旧称)に社を定めたのが始まりとされる。飛鳥時代には天武天皇の命により、初の奉幣(勅使が神社に幣帛を奉ること)があった。
平安時代には、『延喜式神名帳』に「上野国甘楽郡 貫前神社 名神大」と記載され、上野国一之宮とされた。平安期までには神階が最高位の正一位に達していたものと推定されている。
平安時代中期以降、源頼義・義家父子をはじめ武家の崇敬を集め、室町時代から戦国時代にかけて、越後上杉氏、相模後北条氏、甲斐武田氏の庇護を受け、江戸時代には徳川将軍家から社殿の整備等多大な庇護を受けた。江戸時代までは「抜鉾神社」と称していたが、明治に入り近代社格制度で国幣中社に指定されると、延喜式記載の「貫前神社」に改称した。
当社は、上信電鉄・上州一ノ宮駅の東北東0.5kmの、南方を流れる鏑川の河岸段丘上にある。南側の境内入口は下仁田街道(県道198号線)に面していて、そこから総門までの300mほどの登り参道は、当社のために整備されたのか、県道209号線という別の番号が付いている。上述の通り「下り宮」なので、総門までが登り坂、神門から社殿までが下り階段となっている。非常に特徴的。個人的には、徳川3代将軍が建立し、5代将軍綱吉が極彩色の漆塗りをした<本殿>、<拝殿>がとにかく美しくイチ押し。
今回は2回目の参拝。前回2020年8月に参拝した時は、上野国の神社の初参拝であったため、御朱印帳を購入し御朱印を拝受。ただ、「全国一の宮御朱印帳」に御朱印を拝受するのを忘れたため、今回はこのために参拝。前回参拝時は、拝殿が修復工事中で拝殿に近づくことができずよく見えなかったが、今回はそれもなく、極彩色で美しい拝殿を近くでじっくり見ることができた。
参拝したのは週末の昼ごろ、自分以外にも家族連れや夫婦ペアなど、参拝者がちらほら来ていた。
前回参拝時は境内南側の入口から入ったので、今回は東側の入口から境内に向かってみる。
境内の最も高い場所、神域入口の<総門>。写真中央にある、当社の青銅燈籠は非常に美しい。
青銅燈籠は、江戸時代末期1865年の作。表面に寄進者の名前がたくさん細かく彫り込まれている。
<総門>全景。後ろに高い木があまり見えないのは<下り宮>だから。
あまり他では見ないタイプの<狛犬>。表情が若干ファニー。
右側の<狛犬>は、ちょっと痩せ型。
<総門>をくぐる。<楼門>が低い位置に見える。
<総門>をくぐったところで、境内を見下ろす。
階段を半分ほど下った右側にある<斎館>。
階段を半分ほど下った左側にある末社<月読(つきよみ)神社>。
<楼門>2階ぐらいの高さまで下ってからのショット。楼門と回廊(翼廊)は江戸3代将軍徳川家光による造営。いずれも国指定の重要文化財。
階段を下り切った左側にある<手水舎>。
階段を下り切った右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
楼門を脇からくぐって<拝殿>。本殿と拝殿は江戸3代将軍徳川家光が造営し、5代将軍綱吉が大規模修理を行い、漆で極彩色を施した。いずれも国指定の重要文化財。
<拝殿>正面。極彩色の漆塗りが極めて美しい。
<社殿>全景①。
<社殿>全景②。
拝殿の後ろの<本殿>。単層2階建てで<貫前造>という独特な造り。
本殿の左側にある、摂社<抜鉾若御子(ぬきほこわかみこ)神社>。安閑天皇の時代(531年~535年)の創建の古社。『上野国神名帳』にも「従五位抜鉾若御子明神」と記載がある。社殿は1815年の造営。
<拝殿>(左)と<楼門>(右)。
楼門の回廊(翼廊)はほどほどの長さで切れている。
<下り参道>を下から見上げたところ。
総門から少し下った左側にある大きく平らな境内地(仮殿敷地)があり、境内社(末社)がいくつかある。左から順に、<二十二末社>、<日枝神社>、<伊勢内宮>、<伊勢外宮>。
仮殿敷地の入口、西門近くにある<スダジイ>の古木。樹高15m、根回り4m、枝張り東西20m、南北18m、推定樹齢1000年。
総門から振り返ると<大鳥居>。鏑川沿いの市街地を見下ろせる。
せっかく富岡まで来たのだからこの機会に上野一之宮も行ってみようと思いまして。
一応ここもこの日が祭り(流鏑馬)と聞いてたのですが、着いてみたら・・・?? 何もやっとらん?(・_・;)
お昼到着だったのですでに終わってたのか? 雨で中止になったのか? それとも3月15日が例祭日だったようなのでネット上の情報がガセネタだったのか?(^^;
・・・まぁこの神社の祭りが主目的ではなかったので、別にいいやと参拝開始w
ともあれ、雨ということもあってか意外にも着いた時には自分以外の参拝者が誰もおらず、なんと一之宮クラスの大社が貸切状態に☆(*´艸`*)
今この瞬間、経津主神と比売大神の霊力は俺一人のものだ!(゜∀゜)フハハハ
・・・まぁ女神様大好きの自分としては、経津主神はどうでもよかったのだけど(違w)
日本全国の香取さんで拝めますしね。やはり物珍しさという点でも土着神と思われる比売大神の方に関心が向いてしまう(^^;
まぁ経津主神についても建御名方神に対抗するために物部氏がこの地に祀ったそうで、一つ前の蛇宮神社の龍神信仰と合わせて諏訪地方との関連性などをいろいろ想像させられ、古代史ファンとしては大いに脳汁噴出させてくれましたw
ここを参拝したことで、上野、下野 、常陸の北関東三県の一宮と総社は一応全て制覇できました。
次は下総か武蔵かな。全国制覇はムリだけどせめて関東制覇はしたいですね☆ ・・・安房が距離的に厳しいが(^^;
直書きでいただけました
カエルが入ってますが・・・
一つ前のページが蛇の御朱印だけど大丈夫か?(;゜∀゜)
一之宮&姫大神ということで当然お迎えする予定でした☆(経津主神?何それおいしいの)
事前に情報集めでググってたら、やたらと「糖尿病が治る」という御利益が出てきたので、自分も患ってるので病気平癒に(^^;
通常札より御利益特化札の方は一回り小さかったのですが(初穂料はどちらも1000円)、特化系は全てお守りが付いてきます
ナビに従い右に曲がると・・・うお!
忽然と一の鳥居が!Σ( ̄□ ̄;)
ややキツ目の坂ですがこの鳥居の左側を車で登って社殿近くまで行けます
上から、富岡の町を挟んで南側の山々の眺め
この山々をず~~~っと南に行くと奥秩父
これでグンマーの一之宮と総社は制覇ですわ☆
これ見ると4月は祭りは何も書かれてないんだが・・・やっぱガセネタじゃねーのか?(^^;
総門
下り参道
まぁ自分の場合は、下り宮も他の神社で何度か経験済みなのでやや感動は薄かった(^^;
この下り参道が「血糖値が下がる」に掛けて糖尿病に霊験ありと言われてるようです
まぁ血糖コントロールには運動は重要ですので一応科学的根拠もあるw
階段途中の右側に斎館
ここは神職が身を清めるところらしいので特に拝まず
でもここも千社札が結構貼られてる こういうのを見るとあぁやっぱ大社なんだなと感慨深いです
反対側に末社の月読神社
まずはここから拝みました
楼門
ここに賽銭箱があったのですが、ご覧のように左右が開いてて、ん?入っていいのか(゜゜)と行ってみることに・・・
拝殿
やはり美しいですわ☆
拝殿内
予想外にシンプル、でもこれが却って一之宮の風格なのかも
内陣左手に一つだけある境内社「抜鉾若御子神社」
経津主神の子神とのこと
Wikipediaによると経津主神の息子は香取氏の祖神の天苗加命となっている・・・香取神宮に伝わる藤原氏系のフツヌシ神話とは異なる、物部氏系のフツヌシ神話があるのかもしれませんね
抜鉾若御子神は安閑天皇の御代に出現
ちょうどこの頃、武蔵国造の継承戦争が起こっており、それに介入した上毛野君小熊というグンマー豪族がいます
その辺も関係してそうで興味深い
内陣右手から見た本殿
ちょっとわかりずらいですが屋根の下に雷神小窓というのがあり、南の稲含山の方を向いてるとのこと
この稲含山には貫前神社の境外摂社の稲含神社というのもありましたが、かなり山奥で雨の日には入りたくなかったので今回はスルー(^^;
ちなみに近くにはなぜか那須与一の八幡社もあって興味をそそられました
宝物館は今回は見なかった
入館料は300円だが社務所に申し込みというのが面倒臭くて日和っちゃったw
神楽殿
神楽殿内
一番右に小鳥居
この先は何も無さそうだったので引き返す
右側から見た本殿
千木を見てご覧なさい、上が平らな内削ぎになってるでしょう? これは女神を祀る神社の証
つまりここの真の主宰神は経津主神ではなくあくまで比売大神の方なのだ♪(*´Д`)
神社裏は谷間の深い森
貫前神社でググるとたまに「怖い」とか、なぜか心霊・オカルト方面の記事も出てきて、どういうことなの?(・・;)と調べてみたところ・・・
この裏にある御鎮塚というのに夜中に供物を納めてくる御鎮神事という特殊神事があり、その時に絶体に喋ってはいけない・・・どころか咳払いしただけで死ぬらしい!?Σ(; ゚Д゚)
タブーが及ぶのは人間だけでなく、馬がいなないただけでも即死するとか((( ;゚Д゚)))
ほう!秀郷公にまつわる大杉もあるのか!(゜∀゜)
地元民大歓喜w
これか☆
・・・ハッ! いかん!この中に深く入ると咳払いだけで死ぬんだった(;゜∀゜)
残念ながらすでに枯死してるようですな・・・( ´・ω・`)
スダジイの巨木
これが御朱印にもあるカエル型のサルノコシカケが出現した神木かと思ったら、そちらは総門すぐ右にあるタブの木だった・・・orz
一応総門の写真には収まってましたがじっくり見てません(^^;
そういえばこの神社、大社のわりに境内社が極端に少ない・・・と思ったら、総門から左にある高台上にありました(^^;
しかもすんげえ数!?Σ( ̄□ ̄;)
やはり上野国一之宮は伊達じゃないっ!
まずは左手にある二十二末社
当然一社づつ拝めないのでまとめ遥拝しましたがw いくつか変わった神様をピックアップ
沓脱神社?
調べたら四国方面に沓脱天満宮とか沓脱八幡宮なんてのがあるらしい
あと絶体無言の御鎮神事に関係して、この恐ろしい神事をやり遂げた神職が履いていた草履は強力な魔除けになるなんてのもあった
奇八玉神社
たぶん櫛八玉神、大国主命に仕える料理の神様だそうです
事解男神社
コトサカオノミコトという神様
イザナギ・イザナギの黄泉比良坂の別れの時に吐かれた唾(玉速男命)を履き払う神とか・・・なるほどわからんw
熊野系の神様みたいです
咲前神社
この後、安中の咲前神社も行きたかったのですが、あそこ兼務社朱印がかなりあって今日は回りきれそうになかったので断念(つД`)
二十二末社の奥の建物
案内板には書いてないので神庫か何かかな?
日枝神社
ここにも十七柱の神様がいるらしい
隣はお伊勢さんでこちらが内宮
外宮
最後に、境内社群の高台から貫前神社の全景が見渡せました
やっぱり大社は見処満載で楽しいね♪
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