うげじんじゃ
宇藝神社群馬県 神農原駅
24時間参拝可能
社務所はありません、御朱印は氏子さんへ連絡し戴けます
中之嶽神社から次に向かいました。神職不在の神社です。上野十二社の一社の式内社です。元は神成山山頂に鎮座していましたが、火事で焼失。赤城神社が鎮座していた現在地に遷座したものです。境内には駐車禁止の立て札がありましたが、参拝の為ならいいのだろうと思い駐車。それでも後ろめたさがあるため石段を駆け上がり、急いで参拝。境内社も多くありましたが、どれも傷んで修復が必要な程度。説明書きや扁額もないため詳細は不明。下の降り、御朱印の連絡先の一つである近場の氏子さんへ連絡。丁度外出前だったが、快く御朱印を戴けました。氏子さん宅で待つ間連絡先ノートに記帳してきました。色々と伺いたいこともありましたが、忙しい時間を割いて頂いたため遠慮いたしました。
文化五年(1808)奉納の灯篭
石段
天保三年(1832)奉納の灯篭
文政九年(1826)奉納の灯篭、三辺には神様の名が刻まれていました
金比羅大神
辨財尊天
万尊大権現
手水舎
手水盤
神庫
更に石段
鳥居 こちらは二の鳥居、一の鳥居は離れていた気づきませんでした。
扁額は二つあり、「赤城大明神」と「宇藝神社」
神楽殿
灯篭
灯篭
享保元年(1801)再建の拝殿
本殿
文化三年(1806)奉納の灯篭
境内社 社殿左右に境内社がありますが、どれがどの社かは不明。赤城社・高靇社・産泰社・神明社・三嶋社・富士社・琴平社・北斗社・大雷社
石段上から
境内社
境内社
庚申供養塔
朱印状案内
宇藝神社(うげ~)は、群馬県富岡市にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は倉稲魂神。
社伝によると、天武天皇の御代の白鳳7年(667年)創建。元は現在地の西方500mのちにある岩壁の割れ目に鎮座していたとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「上野国 甘楽郡、宇藝神社 小」に比定されている。江戸時代後期の天明年間(1781年~1789年)に社殿を火災で焼失、1801年に現在地に移転したとのこと。
当社は、上信電鉄・神農原駅の西北西1kmの小丘の麓にある。境内入口は小道沿いの児童公園のような外観で、何段階か階段を上がると社殿がある。社殿周りは狭く、実質的な境内地は広くない。
今回は、上野国の式内社として参拝することに。参拝時は週末の夕方で、境内には誰もいなかった。
※当社社務所は無人だが、御朱印は少し離れた総代さん宅で拝受できる。
国道254号線(下仁田街道)にある、<鳥居>と<社号標>。ここから神社までは500mほどあり、上信電鉄の踏切を渡って、田んぼの中の道を進む。背の高い車を通すためか、鳥居が一部カットされていてかわいそう...
境内前の道から見た境内全景。ここには鳥居や社号標はないので、ちょっと分かりにくい。入ってすぐ左側にある大木は、樹齢300年以上のムクロジという落葉高木。樹高14m、目通り周4mとのこと。
ここが<宇藝神社>であることを示す看板がいくつかあることを確認し、この階段からスタート。
まず2段目に到着。
右側には<手水舎>。
その隣に<仮殿>かな?額には「平成28年度 一之宮貫前神社式年遷宮祭 御仮殿拝殿払い下げ 宇藝神社記念館」と書いてある。
正面を向くと、また階段があり、上には鳥居が見える。
褪せた朱色の鳥居には、左に<赤城大明神>、右に<宇藝神社>の2枚の扁額が掛かる。
3段目には<神楽殿>だけが建っている。
少しずれた場所にある最後の階段。それなりの段数があって、少しサバイバル感がある。(実際に、参道を跨ぐように蜘蛛の巣が張っていたりして、慎重に進む...)
<拝殿>のある4段目に到着。<拝殿>は階段を上がってすぐの場所にある。よく見ると、彫刻も綺麗だし、損傷個所もなくメンテが行き届いている様子。
ただ、社殿左側にある境内社群は、せっかく屋根に覆われているのに、ほとんどの社殿が一部損壊している...(でも紙垂が綺麗だったりする。)
社殿右側の境内社群。こちらはまずまずかな。
<社殿>全景。拝殿の後ろの本殿はしっかりした覆屋でカバーされている。
けっこうな段数を下って地上に戻る。ここにはきれいな社務所があるが無人。御朱印は、境内に書いてある電話番号に電話をした上で、目の前の道を西に100mほど行ったところにある総代さん宅で拝受できる。
名称 | 宇藝神社 |
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読み方 | うげじんじゃ |
参拝時間 | 24時間参拝可能
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参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0274-87-2129(檜澤神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》倉稲魂神,建御名方神,速玉之男命,伊邪那美命,大山津見神,事解之男命,大日尊 |
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創建時代 | 667年(白鳳7年) |
ご由緒 | 富岡市神成地区に位置する宇芸神社は、倉稲魂神の分霊を神成山山頂付近に勧請したのが始まりで白鳳7年(678年)に創建され、地域の歴史や文化を守り伝えてきた伝統ある神社です。 延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳に記載された神社は延喜式内社と云われ、上野国の著名な神社12社の一つとしてその中に記された宇芸神社は、由緒ある神社として名を馳せています。 |
体験 | 御朱印 |
概要 | 宇芸神社(うげじんじゃ、旧字体:宇藝神社)は、群馬県富岡市神成(かんなり)にある神社。式内社で、旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝では、天武天皇の御代の白鳳年間(7世紀後半)の創建とされる[1]。現在の社地は本来赤城神社が鎮座した地で、宇芸神社は元は西方の吉田池の辺りにあったという[1][2]。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では上野国甘楽郡に「宇芸神社」と記載され、式内社に列している[3]。 『上野国神名帳』一宮本および群書類従本では上野国鎮守12社に「従一位 宇藝大明神」を挙げ、当社に比定されている[2]。他方、総社本では鎮守10社に含まれていない。甘楽郡の項には一宮本に「従一位 宇岐大明神」、群書類従本・総社本に「従一位 宗岐明神」という神名が見える。尾崎喜左雄は鎮守社と郡別の項...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「宇芸神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%87%E8%8A%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101571622 |
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