うげじんじゃ
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宇藝神社ではいただけません
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宇藝神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月07日(火)
参拝:2020年8月吉日
宇藝神社(うげ~)は、群馬県富岡市にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は倉稲魂神。
社伝によると、天武天皇の御代の白鳳7年(667年)創建。元は現在地の西方500mのちにある岩壁の割れ目に鎮座していたとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「上野国 甘楽郡、宇藝神社 小」に比定されている。江戸時代後期の天明年間(1781年~1789年)に社殿を火災で焼失、1801年に現在地に移転したとのこと。
当社は、上信電鉄・神農原駅の西北西1kmの小丘の麓にある。境内入口は小道沿いの児童公園のような外観で、何段階か階段を上がると社殿がある。社殿周りは狭く、実質的な境内地は広くない。
今回は、上野国の式内社として参拝することに。参拝時は週末の夕方で、境内には誰もいなかった。
※当社社務所は無人だが、御朱印は少し離れた総代さん宅で拝受できる。
社伝によると、天武天皇の御代の白鳳7年(667年)創建。元は現在地の西方500mのちにある岩壁の割れ目に鎮座していたとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「上野国 甘楽郡、宇藝神社 小」に比定されている。江戸時代後期の天明年間(1781年~1789年)に社殿を火災で焼失、1801年に現在地に移転したとのこと。
当社は、上信電鉄・神農原駅の西北西1kmの小丘の麓にある。境内入口は小道沿いの児童公園のような外観で、何段階か階段を上がると社殿がある。社殿周りは狭く、実質的な境内地は広くない。
今回は、上野国の式内社として参拝することに。参拝時は週末の夕方で、境内には誰もいなかった。
※当社社務所は無人だが、御朱印は少し離れた総代さん宅で拝受できる。
国道254号線(下仁田街道)にある、<鳥居>と<社号標>。ここから神社までは500mほどあり、上信電鉄の踏切を渡って、田んぼの中の道を進む。背の高い車を通すためか、鳥居が一部カットされていてかわいそう...
境内前の道から見た境内全景。ここには鳥居や社号標はないので、ちょっと分かりにくい。入ってすぐ左側にある大木は、樹齢300年以上のムクロジという落葉高木。樹高14m、目通り周4mとのこと。
ここが<宇藝神社>であることを示す看板がいくつかあることを確認し、この階段からスタート。
まず2段目に到着。
右側には<手水舎>。
その隣に<仮殿>かな?額には「平成28年度 一之宮貫前神社式年遷宮祭 御仮殿拝殿払い下げ 宇藝神社記念館」と書いてある。
正面を向くと、また階段があり、上には鳥居が見える。
褪せた朱色の鳥居には、左に<赤城大明神>、右に<宇藝神社>の2枚の扁額が掛かる。
3段目には<神楽殿>だけが建っている。
少しずれた場所にある最後の階段。それなりの段数があって、少しサバイバル感がある。(実際に、参道を跨ぐように蜘蛛の巣が張っていたりして、慎重に進む...)
<拝殿>のある4段目に到着。<拝殿>は階段を上がってすぐの場所にある。よく見ると、彫刻も綺麗だし、損傷個所もなくメンテが行き届いている様子。
ただ、社殿左側にある境内社群は、せっかく屋根に覆われているのに、ほとんどの社殿が一部損壊している...(でも紙垂が綺麗だったりする。)
社殿右側の境内社群。こちらはまずまずかな。
<社殿>全景。拝殿の後ろの本殿はしっかりした覆屋でカバーされている。
けっこうな段数を下って地上に戻る。ここにはきれいな社務所があるが無人。御朱印は、境内に書いてある電話番号に電話をした上で、目の前の道を西に100mほど行ったところにある総代さん宅で拝受できる。
すてき
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惣一郎1269投稿
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