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楽しみ方茂林寺のお参りの記録一覧

群馬県館林市にある曹洞宗・青龍山茂林寺に参詣🙏もちろん「分福茶釜」で有名なお寺だが、アニメ「宇宙よりも遠い場所」の聖地だ。参道にはタヌキの置物がたくさん置いてある。拝観料を払い中に入ると分福茶釜も展示してあった。
御朱印は書置きのものをいただきました。

茂林寺〜本堂の扁額

茂林寺〜総門・通称黒門

茂林寺〜山門・通称赤門

茂林寺〜参道にはタヌキの置物

茂林寺〜本堂

茂林寺〜御朱印 「分福」

茂林寺〜守鶴堂

茂林寺〜お寺に向かう商店街で寝てるネコ🐱

茂林寺〜寺号碑

茂林寺〜「宇宙よりも遠い場所から」の説明板

茂林寺〜「宇宙よりも遠い場所から」聖地の幟

茂林寺〜ラカンマキ

前回訪問の際は御朱印対応日でなかった為、今回再訪問。書き置き御朱印ですが分福の御朱印頂いて来ました。

トイレの脇もタヌキ


山門


本堂



分福御朱印

こんな紙も頂けました

館林市堀工町にある曹洞宗のお寺。
つつじの館林七福神の大黒天が祀られています。
館林の代表的な観光スポットで昔話分福茶釜のお寺がここになります。代々の住職に仕えた老僧守鶴は幾ら湯を掬っても湯が減らない不思議な茶釜を持ち込んだと言います。その守鶴の正体は人に化けた狢だったという伝説がありそこから作家の巌谷小波が書いた作品が分福茶釜です。そのため館林の町の至る所にタヌキの置物が置かれていて公式キャラクターのぽんちゃんもタヌキがモチーフになっています。
茅葺き屋根の本堂は本当に昔話に出てきそうな見た目をしています。また参道や守鶴を祀る守鶴堂には沢山のタヌキの置物がどれも個性的で色々見てしまいます。大きな赤門も少し変わっていて普通これほど大きいと仁王像が祀られていますが門の下にはベンチが置かれています。
本堂の拝観や授与品の購入に関しては花水木がお休みとのこと。リサーチ不足で火曜日に来て御朱印は頂けませんでした。それでも十分すぎるほど楽しめるお寺です。
そして忘れてられないのが館林が舞台のアニメ「宇宙よりも遠い場所」の聖地として登場していること。主人公キマリとめぐっちゃんが赤門のベンチで会話しているシーンがあったり本堂、参道のタヌキ、守鶴堂なども描かれています。茂林寺とコラボしたキャラクター達がタヌキのパーカーを着たイラストはお寺や茂林寺前駅に貼られています。キマリが持っている分福の御朱印もお寺が開いているときは頂けますよ。

寺院前の通り

黒門

連立タヌキ像

赤門

本堂

タヌキ

タヌキ

タヌキ

タヌキ

キマリとめぐっちゃんが会話していた赤門下のベンチ

赤門下に置いてあるよりもい公式設定資料集

よりもい舞台訪問マップ

お土産店の吉住商店さん
ここにもタヌキがいっぱい

戦車第2師団工兵隊の碑

タヌキではなく猫に注意とのこと

境内案内図

境内

守鶴堂

守鶴堂

守鶴堂

守鶴堂の手水

おみくじ

茂林寺沼

仏像

茂林寺のラカンマキ

仏像

ぶんぶくちゃがま絵本案内板

茂林寺前駅のポスター
キマリが持っているのは茂林寺の分福の御朱印

境内にも貼られていたよりもい公式イラスト
連立タヌキ像の前

茂林寺は、室町時代中期の1426年(応永33年)に美濃国の大林正通禅師により開山。1468年(応仁2年)に青柳城主赤井正光(照光)が帰依し寺領8万坪を寄進し伽藍を建立した。
山門に入るまでに迎えてくれるはタヌキたち。
素晴らしい。
山門、本堂と茅葺屋根が歴史の重みを感じさせる。
というよりも、東京、神奈川などと違い、空襲がなかったことを知るのである。
タヌキの寺としても有名であるが、広い庭は丁寧に保管され、感動する。
当山は分福茶釜の寺として知られております。寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と 名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、 開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。 その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。 人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
寺の伝説では、こうなっている。
まんが日本昔ばなしなどとは、ちょっと違っているようだ。
この分福。福を分ける、という意味らしい。
舘林は、街の中、至る所、タヌキの像があった。
茂林寺参道の土産屋さんに聞くと、山がないから熊は出ない。その代わり、タヌキは沢山出る、とのことであった。
そして、ぶんぶく茶釜のお話しには、小僧さんが沢山出て来るのだが、ここの寺の敷地、本堂、庫裏の大きさからすると、江戸時代までは禅宗の修行寺としてにぎわっていたのではないか、という気がする。
しかし、風が冷たい。空っ風がキツイ。
と、文句を言う私の前を1匹の生きたタヌキが案内を
ニャー。おミャーさんは文句ばっかり言ってないで、有難いということを覚えるんだミャー。
きっと、ここにいるのは福を分けに現れたタヌキの化身なのだろう。
からっ風 感謝祈願ミャ 茂林寺よ



参道には、タヌキの置物が並ぶ土産屋さんが並ぶ。

外からは、旧い巨木が観える。ラカンマキ、オオサワラなど、もりんじでは有名な古木が多い。

銀杏の陰に隠れているのは馬頭観音堂になる。










お寺の猫のぶんぶくちゃん。










★群馬•栃木編①★
寺社巡りとはまったく無縁だった頃。
昔話『分福茶釜』を読んで行ってみたいと思っていた茂林寺様へ行って来ましたぁ😆
もう狸様だらけ🦝
御本堂の北側に宝物館?もあり、分福茶釜も観られるので入りたかったけど、この日はまわる所が沢山あったので諦めました😣
【茂林寺】
曹洞宗の名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています。 正通は美濃国土岐氏の出目で、華叟派の祖、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。
寺伝によると、正通は諸国行脚の折、上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永三十三年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来住し、
小庵を結びます。
応仁二年、青柳城主赤井正光(照光)は、正通に深く帰依し、自領地の内八万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光(照光)は、 自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。
大永二年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。
寛永十九年(1642年)には、三代将軍徳川家光より二十三石四斗余の朱印を下賜されております。
ー茂林寺HPよりー


☆茂林寺前駅☆

駅を出ると狸様がお出迎え🦝
後の看板には昔話の分福茶釜のお話の1部が書いてあり、続きは〇〇へと進む指示があってどんどん進み、読み終わると茂林寺様へ着けるようになっています😄
Googleマップがグルグルマップになっても安心😆

茂林寺様の入口の両脇にはお店が並んでいて、狸様の置物やシャッターに狸様が書いてあったりしてます🦝

店先にいた狸様🦝

☆境内案内図☆

☆総門(通称黒門)☆
当寺の入り口となる門。応仁2年(1468年)に建立されました。

☆参道☆
長い参道の両脇には狸様がズラ〜り🦝

☆狸様その1☆

☆狸様その2☆

☆狸様その3☆

☆狸様その4☆

☆狸様その5☆

☆狸様その6☆

☆狸様その7☆

☆狸様その8☆

☆山門(通称赤門)☆
黒門から本堂へと続く門。元禄7年(1694年)の建立です。


☆参道と境内☆


☆御本堂☆
応仁2年に建立、享保12年に改築を行い、現在に至ります。本堂北側の一室には分福茶釜が安置されています😊



☆扁額☆

【御本尊】
釈迦牟尼仏像

☆守鶴堂☆
守鶴和尚は大林正通大和尚と共に当地に小庵を結んで以来、歴代の住職に役僧として仕え、分福茶釜を当山にもらたしたと伝えられています。当山鎮守大菩薩として祀られています😊

★分福茶釜と茂林寺★
寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
元亀元年(1570年)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七年)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
後にこの寺伝は、明治•大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。

守鶴堂入口の両脇にも沢山の狸様🦝

☆扁額☆

☆正通大和尚像•守鶴像☆
当山の開山大林正通大和尚と、之に随いこの地に至った守鶴和尚の像が安置されています😊

☆聖観音☆
上野国館林村大窪荘の高瀬善兵衛の娘が元禄元年(1688年)病没し、その供養の為に江戸神田鍋町の太田久右衛門(藤原正儀)が鋳造し、高瀬善兵衛が元禄3年3月22日に寄進したものです。

凄く大きな狸様

御本堂北側にいらっしゃる大黒尊天様
この奥の部屋が宝物館?になっています
分福茶釜見たかったなぁ😢

とても素敵なお寺様でした😊
また来ます🙏🏻

通年御朱印 『分福』
帰宅してから気づきました💦
参拝日が1ヶ月前になってる😱

通年御朱印 『本尊釈迦如来』
こちらも参拝日が😅
自分で書き足してもいいのかな…

御朱印と一緒にいただきました挟み紙?

館林方面の景色

おまけ😊
「麦落雁」と「ぽんちゃんぶんぶくサブレ」

高崎市の榛名山から群馬県内を横断する形で館林の茂林寺さんへ。車で2時間ほど。
10年以上前に一度来たことがあるのですが、当時は全く神社やお寺に興味がなかったので記憶に少しも残らず。実際は2回目の参拝なのに初めて参拝のように新鮮な感じがします笑
分福茶釜発祥の地との事で、お寺の中には狸の置物が沢山ありました。
御朱印は御本尊と分福なら2種類で、全て書き置き対応。
これで予定してた群馬巡拝15ヶ所全て参拝することが出来ました。
日程の殆どを運転で時間を費やしましたが、とても有意義な一泊旅行でした(^○^)

社号標

総門

山道の両脇には狸がズラリと。

山門
雨上がりで湿度高め。軽く霞が。

土台の文章は一体一体に異なる内容が。

特大狸

本堂

扁額

守鶴堂
代々の住職に仕え分福茶釜をもたらした守鶴和尚を祀ってるそうです。

御朱印は書き置きのみで、その他に疫病退散の分福のイラスト半紙が頂けました。

分福茶釜の伝説がある(諸説あります)お寺さんです。。
久しぶりに伺いました。。
ちょうど菊花展をやっていましたので、そちらも見てきました🍀🤗🍀
何やら狸さん達が浴衣を来ています🥰
この日は御朱印はお休みでした💦
またの機会に。。😊

総門✨
一礼して。。失礼します。。🌿🌿

信楽焼の狸さん達がいます。。🥰🎶

皆、お相撲さんの浴衣を着ていました。
今回、初めて見ました😍🎶


山門✨



本堂✨

仏様にご挨拶🙏


狸さん達がいっぱいいます😊🌿🌿


菊花展✨
見事でした🍀🤗🍀

帰りに「ぽんちゃん焼き」を買って帰りました。。
カスタードクリーム✨美味しかったぁ~😋🎶💕
心穏やかな。。お参りとなりました。。
仏様に感謝。。🍀🤗🍀
群馬県のおすすめ3選❄️
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