ぜんちょうじ|曹洞宗|巨法山
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館林市当郷町にある曹洞宗のお寺。
つつじの館林七福神めぐりの寿老人が祀られています。
城沼の北側に面していて南側のつつじが岡公園を見ることが出来ます。
善長寺にはそのつつじが岡公園の伝説で亡くなったお辻󠄀の方と侍女の松の供養碑があります。
お辻󠄀の方は館林城主だった徳川四天王の1人榊原康政から寵愛を受けていた側室でしたが、城沼で舟遊びをしていると天候が悪化し波が荒れて船が進まなくなる怪異に遭遇してしまいました。
これを沼の主に見込まれたせいだと考えお辻󠄀と松は沼に入水したという伝説です。
その死を惜しんだ康政はお辻󠄀が好きだったつつじの花を城沼の南に植え、それが歴代城主によって増やされて現在の様なつつじが咲き誇る名園になっていったといいます。
御朱印は書置きの物が複数種類あります。
私はつつじの花の絵が描かれた綺麗な御朱印を頂きました。
花が咲く時期の参拝ではありませんでしたが、館林のつつじの歴史に触れることが出来た気分になりました。


🌸群馬県館林市当郷町に建つ 巨法山 善長寺(ぜんちょうじ)⛩️ 🔹当寺は大永三年五月、館林城主赤井但馬守家範侯の開基によって創建されました。 開山は大雲惟俊大和尚です。元和九年(1623)八月館林城主松平忠次侯(徳川四天王のひとり榊原康政侯の孫。後の姫路城主)のご生母祥室院殿が病卒され当寺に埋葬されました。忠次(ただつぐ)侯は、母君の菩提のため荘田五十石を御朱印地として授与され、以後幕末まで寺領となりました。
🔹当寺境内には七福神の一人、寿老尊像が祀られています。寿老尊は中国の伝説中の人物ですが、宋代(十一世紀後半)の人と言われています。頭が長く白髪で、団扇(うちわ)と巻物をつけた杖とを持ち、鹿や鶴を連れていたと言われています。長寿(長生き、長命)を授けるといわれ、七福神のひとりとなっております。また、寿老尊は別名を南極老人ともいわれ、人の寿命をつかさどり、天下を治める働きがあるとされる南極星の化身ともされています。ちなみに、当山の寿老尊のお像は、当時の檀家さんが、長生きをされたお母さんの供養のためにとご寄進されたものです。
場所⛩️ : 群馬県館林市当郷町1975
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大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
江戸時代には館林城主・榊原忠次が生母・祥室院の供養のため中興開基し伽藍の整備を行ったと言われています。創建当時の諸堂伽藍は文政八年(1825)に火災で焼失してしまいました。御生母祥室院殿の墓が境内にあります。
善長寺の境内には、つつじが岡公園の起源となった「お辻・お松」の墓や、市内最古の山王山古墳も残されています。
榊原康政(徳川四天王の一人で館林城主)のめかけのお辻の方は寵愛を一身に集めていたが、それを嫉む他のめかけの仕打ちに堪えられず、侍女お松を伴い城沼に身を投げたという伝説が残っています。
康政はその死を悼んでお辻を弔うために沼の丘に植えた一株のつつじが「つつじが岡公園」の起こりと云われています。
写真












善長寺の情報
| 住所 | 群馬県館林市当郷町1975 |
|---|---|
| 行き方 | 東武佐野線 渡瀬駅から徒歩35分 |
善長寺の基本情報
| 名称 | 善長寺 |
|---|---|
| 読み方 | ぜんちょうじ |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0276-72-0099 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 地蔵菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 巨法山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| ご由緒 | 大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
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