せらたとうしょうぐう
世良田東照宮群馬県 世良田駅
9時~16時半(4~10月)、9時半~16時(11~3月)
徳川家康を祭神とする東照宮のひとつ。三代将軍家光により日光東照宮の元社殿や宝物などを1644年移築したもので、徳川氏発祥の東照宮として知られている。現在は社殿改築中につき見れません。
後ろが社殿の写真、改築中なので
これも写真の幕
書き置き御朱印です
日光東照宮参拝の翌日に世良田東照宮へ参拝報告⛩
徳川家康公のご先祖様であらせられます
新田源氏の祖、新田義重公の四男義季公は
この世良田の地を賜り、世良田義季と改名。
後に世良田地区の得川郷に居を構えると得川姓を名乗り
得川義季となりました。
(現群馬県太田市徳川町辺り)
徳川家康公は当時三河を平定し、権威づけのために
朝廷から徳川の姓を賜り、源氏の嫡流である事を
示すために得川氏と徳川氏を結びつけたのではないか?
との見方もございますが、事実にしてしまった
その権力は絶大ですよね🌈
いずれにせよ家康公が望んだ事なので
真実でいいのではないでしょうか🤗
家康公亡き後、南光坊天海は日光東照宮の隣り
輪王寺と世良田東照宮の隣り長楽寺の
住職をしておりましたので日光から世良田へ
一部の社殿を移設し、現在に至っております。
日光と世良田を参拝したのだから
久能山へもお参りしないとですね🤗
群馬の旅🌿 「お江戸見たけりゃ世良田にござれ~」と謳われた♪
『世良田東照宮』参拝 (*´∀`*)
徳川氏発祥地✨歴史と格式とエンタメ要素のある素敵な東照宮。
乗馬で参拝に行くとご褒美が!面白い!!
葵紋が嬉しい御朱印を書いていただきました~
三代将軍の家光公によって、日光東照宮の元社殿や宝物などが移築された徳川氏発祥の地の東照宮。拝殿・唐門・本殿・鉄燈籠、他にも宝物として太刀や棟札が国指定重要文化財。本殿彫刻、左甚五郎作・狩野探幽画伝「巣籠りの鷹」は有名。境内には、法照禅師月船琛海塔所や普光庵跡、真言院井戸などの中世の遺跡も残っています。隣接の文殊山には、新田氏累代の墓所があります。
境内の梅が綺麗でした😊
桜の季節はすごく美しいそうです🌸
写真はイマイチですが実物の白梅は最高💓
いつか改修工事が終わった境内を見落としなく回ってみられたらいいな😊
御朱印は二ついただきました♪
世良田東照宮は御朱印帳に直書き拝受。
兼務社の徳川東照宮の方は紙の書置きです。
上番所
御奉行様の顔はめパネルにテンション上がりました🎵
下馬🐎
乗馬で参拝に行ったなら~餌も用意されています😄
ステキ!!
駐車場の側の楽しいスペース🎶
境内案内図 (公式HPより)
後から見所の多さに驚きました😭
半分くらいしか見られていなかったようです⤵
縁結びの御黒門
鳥居
こちらで参拝🙏
この先に拝受と本殿が続くのですが工事中の様子、、
奥には入れないと思っていたのですが違ったみたい😓
奉納石燈籠
こちらのパネルも面白い
手水舎
梅を囲んだ御神籤棚
稲荷大明神
御朱印もいっぱいありました😊
黄金の御朱印帳をいただかなかったことを悔やんでいます💧
完全に見落としていました、、
こちらから入場料を納めて入ると御本殿まで行けたらしい💦
気付いたのは帰り際でタイムアップでした。
真言院井戸と宝物館
寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。同21年(1644)10月11日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社でも高禄の200石の御朱印が寄せられた。以後、大小15回による社殿の修復は幕府の財政により賄われて来、世に 「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と俗謡を生んだ。[当神社HP由緒より]
名称 | 世良田東照宮 |
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読み方 | せらたとうしょうぐう |
参拝時間 | 9時~16時半(4~10月)、9時半~16時(11~3月) |
参拝にかかる時間 | 45分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 右下に徳川氏発祥の地の印と葵の紋の印が押された御朱印です。
|
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0276-52-2045 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.net-you.com/toshogu/sp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
全国東照宮連合会 第10番 |
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ご祭神 | 《主祭神》 徳川家康 《合祀神》 速須佐之男命 火雷神 伊弉冊命 誉田別命 大山祇命 埴安姫命 倉稲魂命 八将神 火産霊命 建御名方命 埴安彦命 菅原道真 市杵島姫命 中筒之男命 磐筒男命 豊城入彦命 疱瘡神 大穴牟遅命 磐筒女命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 寛永二十一年(1644年) |
創始者 | 徳川家光 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 〇国指定重要文化財
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ご由緒 | 寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。同21年(1644)10月11日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社でも高禄の200石の御朱印が寄せられた。以後、大小15回による社殿の修復は幕府の財政により賄われて来、世に 「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と俗謡を生んだ。[当神社HP由緒より] |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印博物館お守り重要文化財祭り武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り |
概要 | 世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ[要出典]、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。 世良田東照宮は寛永16年(1639年)ごろ、長楽寺の再興に取り組んでいた天海に、3代将軍・徳川家光が命じて創建させたものであるという。当時家光は日光東照宮の造替を行って...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 倉賀野宿で中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点にある。 自動車[編集] 東北自動車道館林ICより約50分 関越自動車道花園ICより約30分 北関東自動車道伊勢崎インターチェンジより約20分 電車[編集] JR東日本高崎線、深谷駅よりタクシーで20分 東武伊勢崎線世良田駅より徒歩15分、太田駅よりタクシーで35分。 |
引用元情報 | 「世良田東照宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%96%E8%89%AF%E7%94%B0%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE&oldid=103558033 |
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