けごんじ
華厳寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
やっと辿り着きました。
西国三十三所霊場満願です。
もみじの綺麗な時期である、もみじまつり開催中に満願したかったので、後半はハイペースとなりました。
ここでは現在を表す本堂と過去を表す満願堂と未来を表す笈摺堂の3種の御朱印を授かれます。
満願を伝えると満願印を押していただけると聞いていたのですが、伝え方が悪かったのか満願印は見当たりませんでした。満願の証のことも伺うことを忘れ…😓
また、奥の院に行こうと意気込んでいたのですが、「本格的な山道です。熊やスズメバチなどでます。万全の準備で…。」との看板があり、山道を登るとはそういうことなんだと自分の甘さを反省しつつ諦めました…。
まあ、色々ありましたが無事に満願できました🙏
これも勉強不足だったのですが、お礼参りに長野県の善光寺や延暦寺、東大寺、金剛峯寺、四天王寺にも参拝するのですね😅 どうりで御朱印帳に5ヶ所の白紙があるわけだ💦
巡礼の旅はまだまだ続く…。
三十三所巡礼はまだ巡礼途中で満願ではないですが、華厳寺さんへお参りすることになりました。
今年の5月に善光寺さんへお参りに行ったのですが、参道の雰囲気が善光寺さんとよく似ていますね。
ただ現在はシーズンオフということで、お店のシャッターはほとんど閉まっていました。
山門に到着すると、またこちらも善光寺さんの山門とよく似た感じがします。
もちろん規模は善光寺さんの方が大きいですが、
雰囲気がにてるなぁと思いました。
しかし御本堂が絶賛改装中で、あまり落ち着いてお参りできなかったのとゆっくり見て回ることができなかったのが少し心残りです。
でも本当に満願になった時に再度お参りするためなんだ、と気を取り直し、現在・過去・未来の御朱印をいただいて、ありがたい気持ちに満たされて帰ることができました。
興福寺南円堂から初めた西国三十三所巡礼を6年かけて満願達成しました❗️コロナ禍で中断もあり、体調も崩したり、いろいろありましたが、無事華厳寺に行ってこれました。たかが三十三所と軽く考えてましたが、なかなか厳しい霊場ばかりで、とくに施福寺は忘れられません。🤣この間参拝した「あびこ観音」の御朱印の書き手の御年配の方(有名ですよね)と施福寺のハードな道のりの話題で会話が弾む程。😆
朝一で到着したもので、参道のお店はまだ開いておらず静かな状態でしたが、参拝者は既にお参りされていました!😳皆さま早い!
杉本彩さんの「西国三十三所祈りの旅」の番組をずっと見ていて、あのTVで憧れていた場所にたどり着いた事に感無量!😭😭😭一本一本の木まで霊木感が溢れてました!
朝一の参道 気持ちがシャンとします。
ベストショット!
精進落としの鯉」
帰りにさすって満願達成
戒壇巡りしてまいりました。☺️
満願堂
満願堂からの見下ろした景色
笈摺堂(おいずるどう)
【西国三十三所巡り】
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町にある天台宗の寺院。山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所33番札所(結願寺)。
寺伝(『谷汲山根元由来記』)によると、平安時代初期798年に会津郡司の大口大領が都から会津への帰途、当地で持念仏が動かなくなり草庵を建立、僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)を開山とした。801年に桓武天皇が勅願寺とし、917年には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜、944年には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願寺に定め、仏具、福田一万五千石を与えた。西国三十三所霊場の中興者と伝わる花山法皇は徒歩で巡行、当寺を三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、三種のお詠歌を奉納したとされ、のちの鎌倉時代に後白河法皇が花山法皇の跡を辿って同行千人以上を従えて巡行したとされている。
鎌倉時代1221年の承久の乱では、朝廷側に属したため寺領を没収されている。建武の新政期1334年以降、足利氏と新田氏との戦乱が起こり、幾度も諸堂伽藍を焼失したが、本尊や脇侍などは山中に遷して難を逃れている。その後一時廃れたが、戦国時代1479年に薩摩国鹿児島慈眼寺住職・道破拾穀が観音菩薩の夢告を受け、当寺を再興したとされている。
当寺は、樽見鉄道・谷汲口駅から西美濃もみじ街道(県道40号線)経由で道のり4kmあまり。県道から逸れると北向きに1kmほど続く参道(巡礼花街道)が伸びる。初めは参道両側に駐車場が続き、やがて土産物屋・飲食店に変わり、仁王門から境内に入る。本堂直前までは傾斜はなだらかで高齢のご老人も多く見かける。広々とした境内は、本堂中心に建物が集中していて、見応えも十分。じっくり見て廻るには時間を要する。さすが西国三十三所の結願所といったところ。
今回は、岐阜県唯一の西国三十三所の札所ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、参道入口の広大な駐車場が満車になるぐらいの混雑。参道、境内ともに多くの人で賑わっていた。
※西国三十三所では、通常1ヶ所で御朱印は1つだが、結願寺の当寺では御朱印が3つあり、3つセットで拝受する必要がある(個別拝受は不可みたい)。
こちらが<仁王門>。江戸中期の宝暦年間(1751年~1764年)再建。入母屋造、三間の二重門。扁額には「谷汲山」、石柱には「西國第三十三番満願霊場」とある。
<仁王門>をくぐる。
参道を進む。
参道右側の<十王堂>。
参道右側の<羅漢堂>。
参道前方を望む。
参道左側の高いところにある<吒枳尼真天堂>。豊川稲荷の分霊である吨枳尼真天を祀る。
参道左側の高いところにある<明王院>。
参道中央にある<焼香堂>。
本堂を見上げる。前方の<本堂>を望む。
参道左側の<経堂>。
参道右側の<英霊堂>。
参道左側の<勢至・観音第菩薩>(左)と<踊地蔵尊>(右)。
参道右側の<三十三所堂>。西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。
いよいよ本堂前の階段を登る。
階段の途中から<本堂>入口を見上げる。
本堂正面から内部を望む。本尊の脇侍として安置される木造毘沙門天立像は国指定の重要文化財。一般非公開。
本堂内部、左側から。
本堂内部、右側から。写真右端は納経所。御朱印はこちら。
本堂入口から階段下を見下ろす。参拝客がどんどん上がって来る。
本堂右側の外にある<愛染明王>の祠。
本堂右奥の外にある<持経観音>。
本堂の裏側にある仏像。
本堂の後ろにある<苔の水地蔵尊>。皆さんお地蔵さんに札をペタペタ張っている。
本堂左奥の建物群。
本堂左奥の建物にある<笈摺(おいずる)堂>。
笈摺堂の左隣にある<子安堂>。
<子安堂>の内部中央。
<子安堂>の内部にある観音像。
建物群の左端にあるのは<毘沙門天像>か。
見てきた本堂左奥の建物群を外から。
本堂左手から裏手に向かって登る。
階段の上にある<満願堂>。
<満願堂>からの眺め。
満願堂の右手に進んだ、山側にある建物。
満願堂の右手に進んだ、谷側の建物。
本堂に向かって右手にある<鐘堂>。自由に鐘を撞くことができる。子供に人気。
鐘堂から山側の上の<阿弥陀堂>を見上げる。
階段を登ったところにある<阿弥陀堂>。
鐘堂の近くから<本堂>を見上げる。
本堂に向かって左側の、一段低いところにある<内仏客殿>。
内仏客殿の右側にある<元三大師堂>。
帰路。参道を下って行く。
最後にもう一度<仁王門>。広いし見応えもたっぷり。さすが西国三十三所の結願寺! (^▽^)/
令和3年12月 / 名古屋泊の2泊3日旅。
3日目。
名古屋駅から電車とバスを乗り継いで、最初はこちら。
西国三十三所・三十三番目のお寺、満願のお寺です。
雪の影響が大きく出ていて、道の除雪作業が行われていました。
帰りのバスの時間迄は時間があったので、ゆっくり参拝しました。
こちらの御朱印は3つ。
本堂(現世)・満願堂(過去世)・笈摺堂(未来世)を意味すると言われています。
満願堂のタヌキが可愛かったです。
(巡礼を満願した人は他の人より抜きん出ている=他抜きということで狸の石像が置かれているそうです。)
機会があれば満願堂の十一面観音像の仏頂面が見たいなーと思います。
(バンザイをしている様に見えるそうです。)
コロナの影響があり、当初の予定よりも大幅に時間が掛かりましたが、なんとか無事に結願出来ました。
時間のある時に、先に結願している【坂東三十三箇所】と合わせて
ログをUPしたいなと思います。
次は【秩父三十四箇所】の結願を目指します。
その前に…
次は【南宮大社】へ向かいます。
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