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華厳寺ではいただけません
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けごんじ

華厳寺
岐阜県 神海駅

拝観時間 8:00 ~ 17:00 納経時間 8:00 ~ 16:30 御祈祷・供養 9:00 ~ 15:30

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり(町営駐車場700台)

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三観音霊場第33番札所
東海白寿三十三観音霊場第33番札所
東海三十六不動尊霊場第33番札所
東海圏新西国三十三観音霊場第33番札所(押印箇所は3箇所あり)

華厳寺について

西国三十三カ所第三十三番 札所


西国三十三番満願霊場美濃国谷汲山華厳寺は「谷汲さん」の名でも親しまれ、西国札所の中で最も東の岐阜県に位置しています。 広い境内には巡礼の満願・結願の地として厳かな雰囲気があり、「笈摺堂」、「満願堂」、「精進落としの鯉」を始めとする巡礼を終えた者のみが知ることが出来る喜びに満ち溢れ、一般の参拝客らもその雰囲気に引き込まれます。 また巡礼だけでなく、桜や紅葉の名所としても知られ、四季折々の自然の移ろいを味わうことが出来ます。

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ユキ
ユキ
2023年06月11日(日)
879投稿

西国三十三所、三十三番の華厳寺です。掛け軸に書いて頂き、無事に満願達成しました😆満願之証も頂きました😉何とか無事に終えることができました。あとは表装して貰い飾るのみです。これで西国巡礼は修了です。

華厳寺の御朱印

掛け軸の御朱印です。

華厳寺(岐阜県)

仁王門です。

華厳寺(岐阜県)
華厳寺(岐阜県)

参道。

華厳寺(岐阜県)

手水舎。

華厳寺の景色

本堂に行く階段です。

華厳寺(岐阜県)

本堂です。

華厳寺(岐阜県)

精進落としの鯉です。

華厳寺(岐阜県)

満願達成です😉

華厳寺(岐阜県)

6月9日は息子の誕生日なので記念日に合わせました。

華厳寺(岐阜県)

7月27日、表装できました😉

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歴史

永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」及び「覚忠伝」では、第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である[1]。
建武元年 1334年足利氏と新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。
江戸時代には薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀上人によって再興された。

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華厳寺の基本情報

住所岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
行き方

JR東海道本線大垣駅→樽見鉄道(約40分)谷汲口駅下車→名阪近鉄バス・揖斐川町コミュニティバス(谷汲山行き・約10分)谷汲山下車
JR東海道本線大垣駅→養老鉄道(約25分)揖斐駅下車→名阪近鉄バス・揖斐川町コミュニティバス(谷汲山行き、または横蔵行き・約25分)谷汲山下車

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名称華厳寺
読み方けごんじ
通称たにぐみさん
参拝時間

拝観時間 8:00 ~ 17:00 納経時間 8:00 ~ 16:30 御祈祷・供養 9:00 ~ 15:30

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0585-55-2033
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ホームページhttp://www.kegonji.or.jp/
お守りあり
SNS

巡礼の詳細情報

東海白寿三十三観音霊場

第33番

御詠歌:

世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり、よろづよの 願いをここに納めをく 水は苔より 出づる谷汲み、今までは 親とたのみし 笈摺を ぬぎて納むる 美濃の谷汲

西国三十三所霊場

東海三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩(秘仏)
宗旨・宗派
創建時代延暦十七年(798)
ご由緒

永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」及び「覚忠伝」では、第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である[1]。
建武元年 1334年足利氏と新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。
江戸時代には薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀上人によって再興された。

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