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ぎふぜんこうじ|真言宗醍醐派愛護山

岐阜善光寺のお参りの記録一覧
岐阜県 田神駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年08月30日(土)3293投稿

岐阜市にあるお寺です。
伊奈波神社の大鳥居のすぐ近くにあります。
いやぁ暑い暑い!
伊奈波神社の社務所で休ませていただいたのですが汗が止まらない。
大鳥居まで戻ってきたら目の前に「福丸」という氷屋さん。
もちろんお参りをすませてからですが 先に紹介。
福丸さんは 夏季はかき氷だけのお店。
店内は15時をすぎていましたが満員。人気店だなぁと思って並びました。
メニューは  「桃って珍しいなぁ じゃあ桃」 と頼んだのでした。
で 出てきたかき氷を見てびっくり。写真を見たら分かると思いますが フルーツ大盛りですよ。
東京だったらいくら?大阪だったら?京都だったら1000円はくだらないな。
これが何と 600円!ナイスーーーー!!
桃の缶詰?いやいやそうじゃなく農園と提携されていました。
じゃあジャリジャリの氷?いえいえふわっふわでした。
シロップだけのふわふわじゃないかき氷で500円はするでしょ。神です!
参拝の皆様 ご堪能ください。

さてお寺ですがやはり織田家ゆかりのお寺でした。
新四国八十八か所の第1番札所でした。
石段を上がると摩尼車がありましたので さっそく回して読経気分。
本堂でお参りし 戸が開いていましたので内陣の様子を観させていただきました。
ご本尊は逗子の中で拝顔できませんでしたが すっきりしていながらも立派な祭壇は 見ていて心が安らぎます。
本堂横に鳥居がありましたので 先に進んでみました。
末光稲荷大神が祀られていました。
少し離れた場所に弘法堂があり 1階はホール?2階がお堂でした。
こちらは扁額を見ると 弘法大師と不動明王と秋葉大権現が祀られていました。
お堂の拝所の梁には 三猿を龍が見下ろす彫刻が施されていました。
三猿?徳川家康公?確かに東照宮が近くにありますが。
うっかり見過ごしてしまいそうなことから あれこれ想像するのは寺社巡りの醍醐味です。
こちらの善光寺が家康公の庇護にあったか? とこの時は推察しました。
それからのかき氷でした。

ネット情報です。
山号は愛護山 院号は安乗院 宗旨宗派は古義真言宗醍醐派 ご本尊は善光寺如来 創建年は不明 開基は織田秀信です。
信濃善光寺の本尊(善光寺如来)は 戦災からの保護を名目として武田信玄の意向で甲斐善光寺に遷座させられていたが 甲州征伐後 織田信長の手で天正10年(1582年)3月に 岐阜城下の伊奈波神社の近くに移された。
しかし 同年6月2日の本能寺の変により織田信長が亡くなると 善光寺如来は織田信雄により尾張国甚目寺(現・愛知県あま市)へ移され 徳川家康の手に渡り遠江国の鴨長寺へ移され その後一旦甲斐善光寺へ戻された。
しかし慶長2年(1597年)に 豊臣秀吉の命で京都へ運ばれ 地震で損壊した方広寺大仏(京の大仏)に替わる 方広寺の新たな本尊にされる。
その後秀吉は病を患ったが それは善光寺如来の祟りではないかとする風説が流布したので 翌慶長3年(1598年) ようやく元の信濃国善光寺に戻された。
信長の孫・織田秀信が かつて善光寺如来が祀られていた地に伊奈波善光寺堂を建立し 善光寺如来の分身を祀ったのが始まりという。
建立時期は不明だが 織田秀信が岐阜城主であった文禄元年(1592年)から慶長5年(1600年)頃と推測される。
江戸時代初期 善光寺安乗院に改称する。

岐阜善光寺(岐阜県)

フルーツ大盛りかき氷

岐阜善光寺(岐阜県)

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