ぎふぜんこうじ|真言宗醍醐派|愛護山
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岐阜県岐阜市、金華山の麓、伊奈波神社に向かって左手入口にある「岐阜善光寺 安乗院」へ初参拝させていただきました。善光寺如来様をお祀りする真言宗の寺院です。2月の節分星祭りに向け、なんともユニークな赤鬼さんが入口でお出迎えしてくれました。境内には岐阜善光寺本堂、末光稲荷大神、弘法堂があります。直書きの「善光寺如来」「不動明王」「弘法大師」御朱印をいただきました(各500円)。受付に「岐阜善光寺では御朱印への日付入れをいたしません」との注意書きがありました。弘法堂の手前西側に参拝者用の駐車場がありますが、あまり広くありません。すぐ隣りに民間の有料駐車場(当日は無料開放されていました)、伊奈波神社参拝者用の駐車場も南側にあります。青鬼の口から人の脚が飛び出ています。あまりにも斬新な赤鬼さんに見入ってしまいました。

直書き御朱印3種類(各500円)

岐阜善光寺安乗院

手水舎

手水舎

本堂

本堂

末光稲荷大神

末光稲荷大神

弘法堂

弘法堂

弘法堂

納経所から猫が出てきました

善光寺如来・不動明王・弘法大師
3種類の御朱印があります(各500円)
岐阜善光寺では御朱印への日付入れはしません。

弘法堂手前に駐車場あります

善光寺如来御朱印(500円)

不動明王御朱印(500円)

弘法大師御朱印(500円)

赤鬼

赤鬼

赤鬼

赤鬼



岐阜善光寺本堂右に見えるのが、伊奈波神社への参道入口です。


岐阜市伊奈波通にある 岐阜善光寺安乗院にお参りしました。
伊奈波神社の麓にあり いつも多くの人がみえています
この日も 次から次へと 猛暑にもかかわらず参拝する人が絶えませんでした🥵
今回は 美濃新四国八十八ヶ所の70番札所般若寺(山県市)が こちらに変更となり参拝しました
真言宗醍醐寺派の寺院で 戦国時代に岐阜城主となった 織田信長が武田信玄によって
信州の善光寺から甲府へ移されていた善光寺如来を岐阜へ移して岐阜善光寺が創建されました
その後織田信長が本能寺の変で討たれたあと 本尊は岐阜から移されますが 信長の孫
織田秀信によって善光寺如来の分身を岐阜善光寺の本尊として祀られています
目の前にある 福丸さんのかき氷・・楽しみにしていたのですが 11時からのオープンということで
お店の方が準備されていました 「おはようございます」と感じの良い挨拶をされ それだけで気持ちは⤴ 次回リベンジするぞ! 🍧

岐阜市にあるお寺です。
伊奈波神社の大鳥居のすぐ近くにあります。
いやぁ暑い暑い!
伊奈波神社の社務所で休ませていただいたのですが汗が止まらない。
大鳥居まで戻ってきたら目の前に「福丸」という氷屋さん。
もちろんお参りをすませてからですが 先に紹介。
福丸さんは 夏季はかき氷だけのお店。
店内は15時をすぎていましたが満員。人気店だなぁと思って並びました。
メニューは 「桃って珍しいなぁ じゃあ桃」 と頼んだのでした。
で 出てきたかき氷を見てびっくり。写真を見たら分かると思いますが フルーツ大盛りですよ。
東京だったらいくら?大阪だったら?京都だったら1000円はくだらないな。
これが何と 600円!ナイスーーーー!!
桃の缶詰?いやいやそうじゃなく農園と提携されていました。
じゃあジャリジャリの氷?いえいえふわっふわでした。
シロップだけのふわふわじゃないかき氷で500円はするでしょ。神です!
参拝の皆様 ご堪能ください。
さてお寺ですがやはり織田家ゆかりのお寺でした。
新四国八十八か所の第1番札所でした。
石段を上がると摩尼車がありましたので さっそく回して読経気分。
本堂でお参りし 戸が開いていましたので内陣の様子を観させていただきました。
ご本尊は逗子の中で拝顔できませんでしたが すっきりしていながらも立派な祭壇は 見ていて心が安らぎます。
本堂横に鳥居がありましたので 先に進んでみました。
末光稲荷大神が祀られていました。
少し離れた場所に弘法堂があり 1階はホール?2階がお堂でした。
こちらは扁額を見ると 弘法大師と不動明王と秋葉大権現が祀られていました。
お堂の拝所の梁には 三猿を龍が見下ろす彫刻が施されていました。
三猿?徳川家康公?確かに東照宮が近くにありますが。
うっかり見過ごしてしまいそうなことから あれこれ想像するのは寺社巡りの醍醐味です。
こちらの善光寺が家康公の庇護にあったか? とこの時は推察しました。
それからのかき氷でした。
ネット情報です。
山号は愛護山 院号は安乗院 宗旨宗派は古義真言宗醍醐派 ご本尊は善光寺如来 創建年は不明 開基は織田秀信です。
信濃善光寺の本尊(善光寺如来)は 戦災からの保護を名目として武田信玄の意向で甲斐善光寺に遷座させられていたが 甲州征伐後 織田信長の手で天正10年(1582年)3月に 岐阜城下の伊奈波神社の近くに移された。
しかし 同年6月2日の本能寺の変により織田信長が亡くなると 善光寺如来は織田信雄により尾張国甚目寺(現・愛知県あま市)へ移され 徳川家康の手に渡り遠江国の鴨長寺へ移され その後一旦甲斐善光寺へ戻された。
しかし慶長2年(1597年)に 豊臣秀吉の命で京都へ運ばれ 地震で損壊した方広寺大仏(京の大仏)に替わる 方広寺の新たな本尊にされる。
その後秀吉は病を患ったが それは善光寺如来の祟りではないかとする風説が流布したので 翌慶長3年(1598年) ようやく元の信濃国善光寺に戻された。
信長の孫・織田秀信が かつて善光寺如来が祀られていた地に伊奈波善光寺堂を建立し 善光寺如来の分身を祀ったのが始まりという。
建立時期は不明だが 織田秀信が岐阜城主であった文禄元年(1592年)から慶長5年(1600年)頃と推測される。
江戸時代初期 善光寺安乗院に改称する。


岐阜市の伊奈波神社の大鳥居の横に寺院がありましたので折角なので参拝しました。
愛護山 善光寺 安乗院です。通称は岐阜善光寺。
真言宗醍醐派で、本尊は善光寺如来。
(信濃)善光寺と同じく本尊は秘仏。
善光寺の本尊は絶対秘仏であり、7年に1度開帳されるのは本尊お前立。善光寺の開帳に合わせてこちらも開帳されるのでは?と思いましたが、こちらは年に1度、8月17日の午後から夕方まで開帳されます。但し、本尊お前立の開帳です。
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第1番札所。
織田信長により善光寺如来が祀られていた岐阜伊奈波の霊跡に、織田信長の孫の秀信が稲葉善光寺堂を建立し、善光寺如来の御分身を祀った。それを安乗院と満願寺により護持していたが、明治初期の神仏分離によって伊奈波神社の別当であった満願寺が廃寺となったため、単独で安乗院が護ってきたとの事です。
(武田信玄は善光寺から善光寺如来を持出して甲府に新善光寺を建立し祀った。武田信玄が没すると今度は織田信長によって岐阜に持ち込まれた。本能寺の変後は織田信長の次男の信雄により尾張・甚目寺に、豊臣秀吉により京都・方広寺に、徳川家康により浜松・鴨江寺にと次々に遷された。そして最終的に元の善光寺に戻った。)
山門は無く、直ぐ本堂。本堂右手前に手水。
「✕✕善光寺」って善光寺に倣った独特の本堂(裳階もこしが附けられている)が多いのですが、こちらは違って割とあっさりした本堂です。戸口前で手を合わせて、堂内を見ると秘仏なのでしっかり厨子の扉は閉まっています。他はわかりませんね。
本堂の左側には寺の守護神の末光稲荷。
本堂手前左側には真新しい鉄筋コンクリート製の弘法堂、こちらも戸口前で手を合わせて堂内を見ると須弥壇中央に不動明王、右側に弘法大師、左側に秋葉三尺坊が祀られていました。
今回参拝して、こちらが美濃新四国八十八ヶ所霊場 第1番札所と知りました。納経所で霊場の事をお聞きし、納経帳や御朱印の頂き方を教えて頂きました。(バインダー式納経帳は300円、各寺院で頂く綴り込みタイプの御朱印は100円。よって満願までに掛かる総額は9,100円。)
ホトカミさんが巡礼網羅プロジェクトとして推進されている様ですから、それならばと賑やかしも兼ねて「美濃新四国八十八ヶ所霊場」を巡る事にしました。
美濃新四国八十八ヶ所霊場は、江戸時代後期に開かれたそうですが、太平洋戦争の影響などで衰退、その後の1975年に復興。ですが、現在は無住の寺院もあり、巡った先々の寺院で確認して下さいとの事でした。(札番順に巡ると、行って戻ってと無駄が多いため、札番順ではなく効率良く巡れる順とします。)
目と鼻の先に美濃新四国八十八ヶ所霊場 第2番~第5番の4ヶ寺ありますのでこの後参拝しました。
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