つつこわけじんじゃ(ばば)
都々古別神社(馬場)のお参りの記録一覧
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
都都古和氣神社 (馬場明神) 陸奥国一ノ宮
福島県棚倉町にある陸奥國一宮・都々古別神社(馬場)に参拝。二の鳥居からの石段を登り、随身門がある扁額には「陸奥國一宮」の文字、そして三の鳥居と拝殿、拝殿の周りにはたくさんの摂社・末社がありました。また拝殿の背後には古墳もあるらしい。拝殿に夏で草など伸びてしまい、手入れ不足ですいませんと書いてあった。
社務所は不在で御朱印は社務所下のご自宅で直接書込みでいただきました。
都々古別神社(馬場)〜随身門の扁額
都々古別神社(馬場)〜二の鳥居と社号碑
都々古別神社(馬場)〜御朱印
都々古別神社(馬場)〜三の鳥居と拝殿
都々古別神社(馬場)〜拝殿
都々古別神社(馬場)〜随身門
都々古別神社(馬場)〜社号碑
都々古別神社(馬場)参拝⛩️ 福島県神社巡り⑧ 一宮巡拝 陸奥国一宮
御祭神:味須気高彦根神(あぢすきたかひこねのかみ) 相殿:日本武尊(やまとたけるのみこと)
都々古別神社八槻と馬場、両方とも奥州棚倉町に鎮座されてます。
巨樹に囲まれ石畳にも苔があり、神苑という雰囲気が漂っていました。
社務所は不在ですが、二の鳥居前に宮司宅がありそちらで御朱印拝受できます^_^
奥州棚倉は昔から来たい場所でしたが、初めて来れて感慨深いものがありました(^_^)
都々古別神社を出たのが16時、諏訪神社か茨城県の花園神社に行きたかったのですが、移動時間がなく諦めて埼玉県への帰路につきました。
岩手県、宮城県、福島県と濃い内容でまわれました。
ありがとうございました🙏
一の鳥居⛩️ 社号標
二の鳥居⛩️
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城の地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。
石畳や階段も苔があって滑りそうでした。
手水舎
随神門
陸奥国一宮の扁額
随神門の天井に龍🐉
三の鳥居⛩️
拝殿
本殿
御神気に満ちていますが、蚊が沢山でした。
御神気に溢れた良い写真が撮れたと思います(´∀`*)
おまけ
奥州棚倉町役場 立派な建物でした。
こちらの駐車場に停めて歩いて行きました^_^
御朱印書入れしていただきました🙏
陸奥一宮の印と馬場の文字
参拝記念⛩️✨
陸奥國一之宮 都々古別神社 馬場
福島県棚倉町馬場に鎮座する都々古別神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
駐車場は分かりにくいですが、Googleマップをよーく見ると拝殿の東側にあります。
御朱印は神社のすぐ下にある宮司宅で頂きました。
時代を感じる事が出来る神社です😊
御朱印
社号碑
鳥居
観光案内図
鳥居
社務所 案内
手水舎
神門
鳥居
拝殿
甲山天満宮
稲荷神社
厳島神社
本殿
鹿島神社
神明宮
熊野神社
日枝神社
東照宮
寅卯神社
都々古別神社2社目の馬場都々古別神社へ。
車のナビでもスマホのナビでも何故か裏参道を案内されました。其の裏参道というのが、車1台ぎりぎり通れるかというくらいの畦道。その道の先が境内となっており、車が2、3台停められるスペースがありました。
後でわかりましたが、表参道側には駐車場無いので、ナビで案内されたルートは最適解でした(^^)
きっと神様が「こっちの道が良いぞ」と導いてくれたのかも(^^)
一旦参道を戻るようにして表参道側へ。
遥か道の先には大鳥居が見えます。
鳥居の前には戊辰戦争後に当社宮司を勤めた会津藩国家老の西郷頼母についての説明板が。
地元会津との繋がりを意外なところで発見しました。
隋門をくぐって木立の参道を進むと拝殿が見えてきます。
鎮守の森にひっそり佇むお社の雰囲気からは静謐さを感じます。
境内には大きな社務所がありますが、そちらは閉まっており、御朱印は表参道側の入口手前にある宮司宅(?)でいただきました。
紙垂も何も無い普通の一軒家なので分かりにくいですが、玄関先には神社の見どころポイントや地元の名所案内などのメモ書きが沢山貼ってありました。
鳥居
歴史を感じる社号標
西郷頼母についての説明板
随神門
扁額
拝殿遠景
拝殿
拝殿に掲げられた扁額
色褪せすぎてて判読がムズい
拝殿屋根には菊の御紋が。
国幣中社の社格だったから皇室を表す菊の御紋が設えているのでしょうか。
本殿
玉垣の外からパチリ
宮司さん宅には見どころポイントのメモ書きが。
拝殿の扁額に書かれていたのは「都々古和氣神社」だったことがここで判明(笑)
御朱印とともに拝殿を
表参道から離れた場所には大鳥居が。
大鳥居と社号標
大きな案内板付近の宮司宅で御朱印を頂戴しました。陸奥の一の宮ですね。
社にあった鎧は、上野の国立博物館で展示されているそうで、そのうち行こうと思います。鎧は源義家の時代で、瀬戸内海付近で見られる兜もあるようです。
ツツコの由来は、藁を束ねて筒状にしたもの(わらに入った納豆のイメージ)で、稲作りを大切にする意味があるそうです。別は位(分けることではない)で神様の名前にも使われています。
近津神社、千勝神社との関係や、付近の断層、近くの同名の神社のことなど、教えて頂き、これから色々調べてみます。
右側が本殿
摂社
拝殿から鳥居方面
初めて見る名称
大きな紅葉はこれから凄いことになりそう!
隋神門
隋神門の扁額
社務所
大雨が降る中、都々古別神社まで来ました。
旧国幣中社で陸奥国一宮の一社です。
境内はあまり手入れされていない印象ですが、雨なので侘び寂びを感じました。
参拝後、境内を散策しようにも、至る所に水たまりがあって歩くことができず・・・。
こんな雨の日でしたが、二の鳥居横の宮司宅で御朱印いただきました。
ありがとうございました。
二の鳥居と社号票
境内末社の周囲は雨で水たまりが
鳥居と社殿。
大雨のせいか荘厳さが増したようにも感じます。
御朱印
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