なめがわじんじゃ
滑川神社 - 仕事と子どもの守り神のお参りの記録一覧(4ページ目)
みなさまの投稿を見て、行きたいと思い、やっとくることができました。
登り口の水飲み場では、近くの子ども達が水遊びをしており、たのしそうな声が響き、境内は風鈴の音がチリンチリンと響き、爽やかな空気に溢れていました。
夏詣 階段に色とりどりの風鈴が飾られていて、とても涼しげでした。
御朱印は、道路を隔てた民家にて頂く事ができます。
御朱印
鳩みくじ
鳩は八幡様のお使い
との事
手水舎
風鈴が涼しげに飾られていました。
福島県須賀川市滑川に鎮座する仕事、子供の護り神と言われる、滑川神社に参拝致しましたので、由緒等引用を用いて調べて見ました、
第12代 景行天皇の御代、日本武尊は各地の問題を解決し、災厄・災難を祓い退けながら、全国を旅されていた折、川の底板が滑らかなのをご覧になって、「常盤に、堅磐に、常滑の滑川」と仰せられたことから、「滑川」の名が起こったと云い伝えられています。また、この時、人々が日本武尊の仁徳を慕い、当地草創の産土・滑川大神としてお祀りしたのが、当社のはじまりです。康平5(1062年)。源頼義・義家に従い、平景政公(タイラノカゲマサコウ・鎌倉権五郎景政公)が当地へ入られました。折り悪しく、天気が荒れ滑川の水が溢れて道が途絶えてしまっていました。そこで、景政公は馬に乗って川を渡ろうとしたが滑川の水の流れの勢いは予想以上に激しく、景政公でさえ流されてしまい、あわや溺死寸前となってしまいます。溺れた景政公を助けたのは、滑川の村人達でした。助けられた景政公は歌を一首詠まれ、短冊に認めて村民に渡したと伝えられております。後に、文明3年(1471年)、その偉業を称え、戴いた短冊を御神体として、新たに平景政公をお祀りしました。
その後の記録によれば、永禄元年(1558年)に神殿が造営され、「御霊大明神」「五郎大明神」などと称されました。慶応3年(1867年)には「皇霊大神宮」と改称され、明治2年(1869年)、現在の「滑川神社」になったそうです、歴史
社務所受付はお休みと…書き置きがありますように…とお願いしながら、参拝しました。
ありました🥰良かったです^o^
鯉のぼりがスイスイ泳いでました。
綺麗です。実際見れて良かったです♪
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