かしいぐう
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楽しみ方香椎宮のお参りの記録一覧
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【筑前國 古社巡り】
香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社。勅祭社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は仲哀天皇、神功皇后、配祀神は応神天皇、住吉大神。本殿は国指定の重要文化財。
『古事記』や『日本書紀』によると、仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で筑紫の行宮の橿日宮(/訶志比宮:かしひのみや)に至ったが、翌年同地で崩御したと記されている。社伝によると、奈良時代の723年に神功皇后の神託があり、元々存在した仲哀天皇廟の傍らに皇后廟を建て、合わせて「香椎廟」と総称されたとしている。当時は神社ではなく霊廟という位置付けで、『万葉集』や六国史などの国史に記載がある。このため、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』の段階で存在したが記載はされていない。のち979年の「太政官符」では「大宮司を置く」と記され、このころから神社化され、他の神社と同様の扱いを受けるようになったと推定されている。
平安後期以降は長く石清水八幡宮の支配下にあったが、戦国時代には島津氏の侵攻で社殿を焼失、豊臣秀吉により社領を没収されたが、小早川隆景が社領を寄進し、社殿を再建した。江戸時代には、福岡藩主・黒田氏からの崇敬を受け、社領の寄進を受けたほか、社殿の再建、回収を受けた。明治時代に入り、近代社格制度のもと国幣中社に列格し、のち官幣大社に昇格した。大正期に勅祭社となり、10年に一度の勅使参向が定められた。
当宮は、JR香椎線・香椎神宮駅の北方すぐの市街地、平地にある。広大な境内は、おおむね楼門前のエリア、楼門内のエリア、楼門内かつ神門内の神域の3つに分かれる。楼門前には弁財天が浮かぶしょうぶ池、大きな休憩所があり公園のような雰囲気。楼門内には社務所、勅使館、藤棚、綾杉、いくつかの境内社があり、神門内の神域には大きな社殿のみが建っている。見どころは境内各所に散在しているため、じっくり見て廻るには相当時間がかかりそう。
今回は、勅祭社、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、特に例祭日というわけではないにもかかわらず、かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
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先ほどの五所八幡宮から香椎宮にやってまいりました。 私が小学生の頃母の叔母が香椎宮の近くの施設(老人病院?)に入っており良くお見舞いに行ってまして香椎宮の鳥居を見ながら通過してましたが…それ以来 40年ぶりくらいでしょうか? はじめてお参りしましたがこんなに大きな由緒あるお宮なんだと目を見開いてお参りさせていただきました。 残念ですが本殿は修繕工事中でした。 先ほどの五所八幡宮でも書きましたが今日は寒くて長居は出来ませんでした。 この後海へ向かい末社の御島鳥居⛩にも行きたかったのですが海ですし😅また温かくなりましたらまた香椎宮にまいり御島鳥居⛩もまいりたいと思います。
もう一つ調査もあります。神衹伯さんの過去の投稿で『古野三宝荒神宮 取り壊しの際、神璽抜きのお祭りは香椎宮の神職さんが来て執り行ってくださった』 その後香椎宮の敷地内に摂社、末社みたいにあるのか? そこら辺も次回😉。
もしどなたかご存知の方、香椎宮に行かれる方は調査を😉 よろしくお願いします🤲
この時期は御朱印は直書きは中止のようで御朱印帳をご購入の方のみのようで代わりに書き置きがご用意されておりました。
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香椎宮。
創建は奈良時代後期。仲哀天皇・神功皇后を祀る霊廟として創建された、古事記/日本書紀にも記述されている神社である。文献に記されている霊廟としては最古にあたるらしいが平安中期には既に神社化していたらしい。仲哀天皇が外交の準備としてこの地にいた際の崩御であったため、神功皇后の指示でここに廟を建てたとされている。
平安時代以降は伊勢神宮・氣比神宮・石清水八幡宮とともに「本朝四所」の一所にも数えられていたがその後、蓮華王院や石清水八幡宮の支配下に置かれた後、豊後の大友氏の所領となった後に秀吉によって社領を没収された。再興し現在の姿となったのは江戸時代以降、藩主となった黒田家の崇敬を受けてのこととなる。
に、お参りしてきました。
私の花レーダーの勘が当たったらしく、菖蒲の花の見頃なうちに来られたようです。
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