かしいぐう
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楽しみ方香椎宮のお参りの記録一覧(3ページ目)

📍福岡市東区
【香椎宮-かしいぐう】
この日は友達とランチの約束で香椎に用事があったので
早めに向かって午前中に香椎宮へ⛩
何度も通った事はあるけど、
はじめての参拝🫶🏽
とにかく天気がめちゃくちゃ良くて、
のんびりお散歩できて、
気持ち良かった〰️🌞🌞🌞
御神木の綾杉がニョキっと出てきてて
すごいパワーを感じた🔥
そして朱色の社殿が青空とマッチして
キレイだったなー💎✨❤️
少しの時間だったけどホントに満喫できた✨
また行こーっと。
そして香椎宮にて、わたしの神社用の御朱印帳が
満願となりました🙏🏽💫













新年は人多そうだしお参りできないかもなぁ・・・ということで前参りに香椎宮まで。
まだ早朝だったのでアレですが境内はすっかりお正月の準備ができてました。

出店も揃って後は新年を待つばかりとなった境内。

参道の木になんか実ってた。近寄ってよく見てみたけど正体は不明。
こないだの「植木まつり」が気になったので様子を見にいってきました。
流石に秋季ということもあって植木らしい植木がメインでしたが(花も売ってたけど)こういうの見に来るの久しぶりだなあと。


で、いつもの本殿。

本殿では神前式やってる最中でした。

植木まつり、というか植木らしい植木ばかりだったので写真もこんなもんで。


【筑前國 古社巡り】
香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社。勅祭社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は仲哀天皇、神功皇后、配祀神は応神天皇、住吉大神。本殿は国指定の重要文化財。
『古事記』や『日本書紀』によると、仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で筑紫の行宮の橿日宮(/訶志比宮:かしひのみや)に至ったが、翌年同地で崩御したと記されている。社伝によると、奈良時代の723年に神功皇后の神託があり、元々存在した仲哀天皇廟の傍らに皇后廟を建て、合わせて「香椎廟」と総称されたとしている。当時は神社ではなく霊廟という位置付けで、『万葉集』や六国史などの国史に記載がある。このため、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』の段階で存在したが記載はされていない。のち979年の「太政官符」では「大宮司を置く」と記され、このころから神社化され、他の神社と同様の扱いを受けるようになったと推定されている。
平安後期以降は長く石清水八幡宮の支配下にあったが、戦国時代には島津氏の侵攻で社殿を焼失、豊臣秀吉により社領を没収されたが、小早川隆景が社領を寄進し、社殿を再建した。江戸時代には、福岡藩主・黒田氏からの崇敬を受け、社領の寄進を受けたほか、社殿の再建、回収を受けた。明治時代に入り、近代社格制度のもと国幣中社に列格し、のち官幣大社に昇格した。大正期に勅祭社となり、10年に一度の勅使参向が定められた。
当宮は、JR香椎線・香椎神宮駅の北方すぐの市街地、平地にある。広大な境内は、おおむね楼門前のエリア、楼門内のエリア、楼門内かつ神門内の神域の3つに分かれる。楼門前には弁財天が浮かぶしょうぶ池、大きな休憩所があり公園のような雰囲気。楼門内には社務所、勅使館、藤棚、綾杉、いくつかの境内社があり、神門内の神域には大きな社殿のみが建っている。見どころは境内各所に散在しているため、じっくり見て廻るには相当時間がかかりそう。
今回は、勅祭社、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、特に例祭日というわけではないにもかかわらず、かなり多くの人々が参拝に訪れていた。

境内入口の700m西方、香椎参道(勅使道:県道24号線)上にある<一の鳥居>。

香椎参道に面する境内南西端入口全景。

境内入口の<二の鳥居>と<社号標>(小さな社号標が、鳥居の左柱の左横に見える)。

鳥居をくぐって進むと、参道左側の池の上に現れる<辨財天>。

参道右側の大きな建物は<参拝者休憩所>。甘酒はホットもアイスも200円、駄菓子は50円からと激安!(;゚Д゚)

参拝者休憩所を通り過ぎると、<三の鳥居>にたどり着く。

三の鳥居の後方にある<楼門>。

楼門をくぐって、参道左側にある<手水舎>。

手水舎の後方、一段高いところにある構造物。<絵馬殿>かな?(。´・ω・)?

参道右手にある<社務所>。御朱印はこちらではなく、本殿近くにて。

参道の左側にある<狛犬>。巨大でマッチョな体に異常に小さな頭。そのアンバランスさも魅力的で印象に残る。(^_^;)

参道の右側にある<狛犬>。いやー、強烈に個性的な風貌~♪

参道の突き当りにある、御神木の<綾杉>。西暦200年に神功皇后が御手植えになったと伝わる。
古今和歌集には、「ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり」と詠まれている。
また夏目漱石が、「秋立つや 千早ぶる世の 杉ありて」と詠んでいる。

綾杉の左手にある<中門>と瑞垣で囲われた神域。一段高いところにある。

<中門>全景。予想外にも「撮影禁止」の看板が立っていたので、これ以降の写真撮影を断念。
でもよく見ると「中門前・階段 撮影禁止」と書いてある。中門の内側は撮影可だったのかな...(^_^;)

中門内は撮影不可だと思ったため写真は撮らず。この写真は香椎宮HPから引用。
本殿は江戸時代後期1801年、福岡藩10代藩主・黒田長順による再建。桁行3間、梁間3間、入母屋造、檜皮葺。「香椎造」と呼ばれる独特の構造で、国指定の重要文化財。

綾杉の裏側(北側)にある境内社2社、<稲荷神社>(左)と<鷄石(けいせき)神社>(右)。

境内社の前に立つ、幹の元から上まで裂け目の入った古木。樹勢は旺盛。(^▽^)/

先ほどの五所八幡宮から香椎宮にやってまいりました。 私が小学生の頃母の叔母が香椎宮の近くの施設(老人病院?)に入っており良くお見舞いに行ってまして香椎宮の鳥居を見ながら通過してましたが…それ以来 40年ぶりくらいでしょうか? はじめてお参りしましたがこんなに大きな由緒あるお宮なんだと目を見開いてお参りさせていただきました。 残念ですが本殿は修繕工事中でした。 先ほどの五所八幡宮でも書きましたが今日は寒くて長居は出来ませんでした。 この後海へ向かい末社の御島鳥居⛩にも行きたかったのですが海ですし😅また温かくなりましたらまた香椎宮にまいり御島鳥居⛩もまいりたいと思います。
もう一つ調査もあります。神衹伯さんの過去の投稿で『古野三宝荒神宮 取り壊しの際、神璽抜きのお祭りは香椎宮の神職さんが来て執り行ってくださった』 その後香椎宮の敷地内に摂社、末社みたいにあるのか? そこら辺も次回😉。
もしどなたかご存知の方、香椎宮に行かれる方は調査を😉 よろしくお願いします🤲
この時期は御朱印は直書きは中止のようで御朱印帳をご購入の方のみのようで代わりに書き置きがご用意されておりました。



入り口鳥居⛩

香椎宮の近辺案内

鳥居⛩からのろうも


楼門



楼門扉

模様

拝殿下

由緒





拝殿前の楼門拝殿



本殿修理案内

修理中

弁財天社

由緒

祠


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