かしいぐう
香椎宮福岡県 香椎神宮駅
授与所:8:30〜17:00
御朱印 | 菊花紋章印と神社印に重ねて、右上に「奉拝」真ん中に「香椎宮」が墨書きされています。 毎年9月1日~15日に境内の鶏石神社の御朱印が頒布されます。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
10月に入ってやっと過ごしやすくなってきたので香椎宮までウォーキング。
それで先週久しぶりにガッツリ歩いたら体調崩したので今週改めてリベンジ。
とはいえまだまだ日中暑くなるので早朝参りするなど。
モーニング香椎宮。
駐車場に建ってた謎テントをなんだこれ?と思いながら眺める。
本殿前の楼門はまだまだ改修中でした。
【筑前國 古社巡り】
香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社。勅祭社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は仲哀天皇、神功皇后、配祀神は応神天皇、住吉大神。本殿は国指定の重要文化財。
『古事記』や『日本書紀』によると、仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で筑紫の行宮の橿日宮(/訶志比宮:かしひのみや)に至ったが、翌年同地で崩御したと記されている。社伝によると、奈良時代の723年に神功皇后の神託があり、元々存在した仲哀天皇廟の傍らに皇后廟を建て、合わせて「香椎廟」と総称されたとしている。当時は神社ではなく霊廟という位置付けで、『万葉集』や六国史などの国史に記載がある。このため、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』の段階で存在したが記載はされていない。のち979年の「太政官符」では「大宮司を置く」と記され、このころから神社化され、他の神社と同様の扱いを受けるようになったと推定されている。
平安後期以降は長く石清水八幡宮の支配下にあったが、戦国時代には島津氏の侵攻で社殿を焼失、豊臣秀吉により社領を没収されたが、小早川隆景が社領を寄進し、社殿を再建した。江戸時代には、福岡藩主・黒田氏からの崇敬を受け、社領の寄進を受けたほか、社殿の再建、回収を受けた。明治時代に入り、近代社格制度のもと国幣中社に列格し、のち官幣大社に昇格した。大正期に勅祭社となり、10年に一度の勅使参向が定められた。
当宮は、JR香椎線・香椎神宮駅の北方すぐの市街地、平地にある。広大な境内は、おおむね楼門前のエリア、楼門内のエリア、楼門内かつ神門内の神域の3つに分かれる。楼門前には弁財天が浮かぶしょうぶ池、大きな休憩所があり公園のような雰囲気。楼門内には社務所、勅使館、藤棚、綾杉、いくつかの境内社があり、神門内の神域には大きな社殿のみが建っている。見どころは境内各所に散在しているため、じっくり見て廻るには相当時間がかかりそう。
今回は、勅祭社、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、特に例祭日というわけではないにもかかわらず、かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
境内入口の700m西方、香椎参道(勅使道:県道24号線)上にある<一の鳥居>。
香椎参道に面する境内南西端入口全景。
境内入口の<二の鳥居>と<社号標>(小さな社号標が、鳥居の左柱の左横に見える)。
鳥居をくぐって進むと、参道左側の池の上に現れる<辨財天>。
参道右側の大きな建物は<参拝者休憩所>。甘酒はホットもアイスも200円、駄菓子は50円からと激安!(;゚Д゚)
参拝者休憩所を通り過ぎると、<三の鳥居>にたどり着く。
三の鳥居の後方にある<楼門>。
楼門をくぐって、参道左側にある<手水舎>。
手水舎の後方、一段高いところにある構造物。<絵馬殿>かな?(。´・ω・)?
参道右手にある<社務所>。御朱印はこちらではなく、本殿近くにて。
参道の左側にある<狛犬>。巨大でマッチョな体に異常に小さな頭。そのアンバランスさも魅力的で印象に残る。(^_^;)
参道の右側にある<狛犬>。いやー、強烈に個性的な風貌~♪
参道の突き当りにある、御神木の<綾杉>。西暦200年に神功皇后が御手植えになったと伝わる。
古今和歌集には、「ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり」と詠まれている。
また夏目漱石が、「秋立つや 千早ぶる世の 杉ありて」と詠んでいる。
綾杉の左手にある<中門>と瑞垣で囲われた神域。一段高いところにある。
<中門>全景。予想外にも「撮影禁止」の看板が立っていたので、これ以降の写真撮影を断念。
でもよく見ると「中門前・階段 撮影禁止」と書いてある。中門の内側は撮影可だったのかな...(^_^;)
中門内は撮影不可だと思ったため写真は撮らず。この写真は香椎宮HPから引用。
本殿は江戸時代後期1801年、福岡藩10代藩主・黒田長順による再建。桁行3間、梁間3間、入母屋造、檜皮葺。「香椎造」と呼ばれる独特の構造で、国指定の重要文化財。
綾杉の裏側(北側)にある境内社2社、<稲荷神社>(左)と<鷄石(けいせき)神社>(右)。
境内社の前に立つ、幹の元から上まで裂け目の入った古木。樹勢は旺盛。(^▽^)/
名称 | 香椎宮 |
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読み方 | かしいぐう |
参拝時間 | 授与所:8:30〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 菊花紋章印と神社印に重ねて、右上に「奉拝」真ん中に「香椎宮」が墨書きされています。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 092-681-1001 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://kashiigu.com/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
勅祭社 第16番 |
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ご祭神 | 《主祭神》 仲哀天皇 神功皇后 《配祀神》 応神天皇 住吉大神 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 神亀元年(724年) |
本殿 | 香椎造 |
文化財 | 本殿(重要文化財) |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ花の名所有名人のお墓伝説 |
Youtube | |
概要 | 香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社。勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 「香椎神宮」と誤記される場合もあるが、正しくは「香椎宮」である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 神功皇后と武内宿禰(歌川国貞画) 『日本書紀』『古事記』によると、仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で筑紫の行宮の橿日宮(かしひのみや、記:訶志比宮)に至ったが、仲哀天皇9年に同地で崩御したという。香椎宮の社記『香椎宮編年記』によれば、その後養老7年(723年)2月6日に神功皇后の神託があったため造営を始め、神亀元年(724年)12月20日に廟として創建されたとする[1]。現在の香椎宮社伝では、仲哀天皇9年時点ですでに神功皇后の手で仲哀天皇廟が建てられたとした上で、さらに養老7年の皇后の託宣により神亀元年に皇后廟も建てたので、これら二廟をもって創建とし...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 勅祭[編集] 勅祭社たる香椎宮では、式年祭として勅祭(ちょくさい)が10年に一度の10月9日に斎行される。この勅祭は、天皇から派遣された勅使が香椎宮に奉幣を行う祭事である。 国史によれば、香椎宮には度々奉幣使が遣わされたことが知られるが、これは鎌倉時代に途絶えたという。江戸時代に入り寛保4年/延享元年(1744年)に再興され、その後は60年に一度の甲子年に参向することとなった。そして大正14年(1925年)に10年に一度の参向に改められ、現在に至っている[1][2]。 年間祭事[編集] 香椎宮で年間に行われる祭事の一覧[3]。 月次祭 (毎月1日・6日・17日) - 6...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「香椎宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A6%99%E6%A4%8E%E5%AE%AE&oldid=101846927 |
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