すみよしじんじゃ
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楽しみ方住吉神社のお参りの記録一覧

全国一の宮巡り福岡編②
福岡御朱印さんぽ博多編⑦
筑前國一の宮 住吉神社⛩️へ参拝🙏三大住吉神社⛩️の一社になります😊これで大阪、山口、福岡全て参拝🙏出来ました😆正面からの撮影🆖となっていたので斜めから撮影したので何か変な感じになりました😅

社号標

鳥居⛩️

隋神門

手水舎

拝殿

御朱印直書500円

少彦名神社

少彦名神社 鳥居⛩️

少彦名神社 拝殿

御朱印書き置き500円

志賀神社⛩️

御朱印書き置き500円

人丸神社⛩️

御朱印書き置き500円

菅原神社⛩️

御朱印書き置き500円

九州巡拝2025夏① 住吉神社
博多駅近くに前泊して朝食ガッツリ食べたら巡拝開始です。
博多めっちゃ都会。。とか思いながら向かいました。
博多駅から徒歩15分くらいの場所です。


朝からめっちゃ激暑です

拝殿までは木々に囲まれていて、とても涼しいです

土俵がありました

からのー、力士像

恵比須さんもいらっしゃる


拝殿周りは広々してます

拝殿です

のぞき稲荷??

裏に回るととっても小さな神社がありました。

手書きの御朱印
ありがとうございました

筑前國一之宮 住吉神社
全国2129ある住吉神社の最初の神社だそうです!
御祭神→底筒之男命 中筒之男命 表筒之男命(住吉三神)
境内には三日恵比寿神社や古代力士像、土俵などがあるユニークな雰囲気の神社でした‼︎
また、御朱印の種類も多いです😊

拝殿

古代力士像
手を合わせて力をもらいましょう🤭

御朱印

デザインが素敵な星の御朱印

先週5月23-24日で、福岡に、徹宵対応の出張が急に発生し、
人手不足もあり、私が行くことに…
ならば、福岡寺社巡りをしてこよう…ということで進めた。
夜7時からの対応のため、午後4時に福岡空港に着き、博多駅まで出てから、
住吉神社へ【徒歩で10-15分ほど】。
福岡は、15年ほど前は、よく出張で行ってましたが、
ここ最近は「泊り」のある出張はほぼ無く、ホントに久しぶり。
夜間作業が上手く進むようお参りしました。

いまいち方角が判らないのですが、大通りに面したところ【正門ではない】の石標

石標近くの鳥居

先の鳥居を過ぎると、正式【?】な参道

山門前の鳥居

山門前の右の狛犬さん

左の狛犬さん

遠くからの拝殿

神輿蔵

近くからの拝殿

拝殿の右側にある力士像


御朱印を書いて頂いている間に撮った、拝殿方向の風景

参道を進み、入口の石標

鳥居の扁額

参道の様子

御朱印です【直に書いて頂けました】

福岡市博多区住吉にある住吉神社。
いよいよ投稿数を1000件突破しました。
筑前国一の宮で日本三大住吉の1つです。
木々に囲まれた綺麗な境内には様々な末社が建てられています。国指定重要文化財の本殿は名軍師黒田官兵衛を父に持つ福岡藩初代藩主黒田長政が再建したものです。博多駅からすぐ近い事もあり多くの参拝客が来ていました。
御朱印は住吉神社に加え境内の各末社と博多駅アミュプラザ博多屋上にある鉄道神社が頂けて種類が豊富。迷いながらも私は住吉神社、船玉神社、先日参拝した鉄道神社の御朱印を頂きました。

鳥居

参道

鳥居

神門

社殿

福分小判

社務所

狛犬

手水舎

住吉神社と文化財

境内

甘酒のキッチンカー

案内図

境内

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、福岡県福岡市博多区住吉にある神社。式内社(名神大社)、筑前国一宮。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
鳥居
全国にある住吉神社の始祖とする説があるほか、大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに「三大住吉」の1つに数えられる。
航海守護神の住吉三神を祀る神社である。全国には住吉神社が2,300社以上あり、大阪府大阪市住吉区の住吉大社が総本社とされることが多いが、住吉大社に伝わる古典籍『住吉大社神代記』では、筑紫大神が神功皇后に我が荒魂を穴門山田邑に祀るよう宣託を下したので、穴門直の祖である踐立が住吉神社(山口県下関市)に荒魂を、和魂を津守の祖である手搓(田裳見宿禰)が大津渟中倉之長峡の祠(住吉大社)に祀ったとあり、当社を示す筑紫大神が住吉の始源である。ヤマト王権の国家的航海神として崇敬され、中世からは筑前国の一宮に位置づけられたほか、領主・一般民衆からも海にまつわる神として信仰された。
祭神
祭神は次の5柱。これら5柱をして「住吉五所大神」とも総称される。
主祭神
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
以上の3柱は「住吉三神」と総称される。
配祀神
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)
神功皇后 (じんぐうこうごう)
祭神について
主祭神の住吉三神は、『古事記』『日本書紀』において2つの場面で登場する。1つはその生誕の場面で、黄泉国から帰ったイザナギ(伊奘諾尊/伊邪那岐命)が穢れ祓いのため筑紫日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら、檍原)で禊をすると、綿津見三神(海三神)とともにこれら住吉三神が誕生したという。次いで神功皇后の朝鮮出兵の場面で、住吉神は皇后に神憑りして神託し、皇后の三韓征討に協力することで征討は成功する。『日本書紀』では朝鮮からの帰還に際して神託があったとし、住吉神の荒魂を祀る祠を穴門山田邑に、和魂を祀る祠を大津渟中倉長峡に設けたとする(一般にはそれぞれ下関の住吉神社、大阪の住吉大社に比定)。
一方で当社縁起では、住吉神が生まれた阿波岐原を当地に比定する。その説の中で、『日本書紀』において三韓征討以前に神功皇后が依網吾彦男垂見に対して住吉神の神主を命じたとする記事を当社の創建記とし、ここから全ての住吉神社の中で最も早く創建されたとする。
住吉三神を構成する底筒男命・中筒男命・表筒男命の「ツツノヲ」の字義については、諸説がある。ツツは夕月(ゆうづつ)のツツに通じ、夕方の月、宵の明星、星を指し、星は航海の指針に用いられることから、海神を示す説、「津の男」に見る説、「ツツ」を船の呪杖に見る説、船霊を納める筒に見る説、対馬の豆酘(つつ)に関連づけて「豆酘の男」に見る説、航海に従った持衰の身を「ツツシム」に見る説などである。
※ウィキペディア引用





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