わかさじんぐうじ|天台宗|霊応山
若狭神宮寺のお参りの記録一覧
若狭神宮寺 東大寺二月堂お水送りの寺
若狭神宮寺 東大寺二月堂お水送りの寺
若狭神宮寺 東大寺二月堂お水送りの寺
若狭神宮寺 東大寺二月堂お水送りの寺
若狭神宮寺 東大寺二月堂お水送りの寺
【若狭國 古刹巡り】
神宮寺(じんぐうじ)は、福井県小浜市神宮寺にある天台宗の寺院。山号は霊応山。本尊は薬師如来。別称は「若狭神宮寺」。本堂、仁王門、木造男神・女神坐像は国指定の重要文化財。
創建は奈良時代の714年、元正天皇の勅願により若狭國一之宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子・沙門滑元により開創されたと伝わる。鎌倉時代初期に、寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改称した。室町時代には朝倉義景により本堂(国重文)が再建された。最盛期には七堂伽藍二十五坊を有していたといわれるが、豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭い、のち明治時代の廃仏毀釈により衰退した。
なお、当寺には1000年以上続く水の伝統神事「お水送り」があって、福井県で最も有名な春の行事の一つと呼ばれている。境内の「閼伽井」から神聖な水(御香水)を汲み取り、2km離れた遠敷川の鵜の瀬まで運び注ぐというもの。この神聖な水は儀式の10日後に、奈良・東大寺二月堂の「若狭井」から汲み上げられ、二月堂ご本尊の観音様にお供えされる。古くから若狭と奈良の結び付きを示す歴史的行事となっている。(ちなみに鵜の瀬の水は、「日本の名水百選」に選出されている名水。)
当寺は、JR小浜線・小浜駅の南東5kmの、遠敷川の西岸の小山の東麓にある。境内は広いが、大きな建物は本堂のみ。国重文の大きく美しい本堂と、その前の青々とした広大な芝生の組合せが印象的。本堂エリアの入口に拝観受付があるが、国重文の仁王門は本堂エリアの外の数百m離れた場所にあるため自分は見逃してしまい、翌日再度訪れて拝観することとなった。
今回は、本堂、仁王門が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも参拝者が数組訪れていた。
境内北端の<参拝口>。
入口を入ってすぐ左手にある<拝観受付>。御朱印もこちら。先に御朱印帳を預ける。
入口を入ってすぐ右手にある<水屋>。珍しい分割式。
参拝受付から本堂に向かって、ファーストルックはこんな感じ。
青々とした芝生の中に、威厳ある歴史的建造物が浮かんでいるみたいな印象的な眺め。
正面から<本堂>全景。室町時代後期1553年、越前国守護・朝倉義景による再建。
間口14m、奥行16m、和様を主体とする折衷様。国指定の重要文化財。
本堂から振り返って境内全景。そう言えば、寺社仏閣の境内で芝生は珍しいかも。
<本堂>内部。内陣には本尊の薬師如来を中心に、多くの仏像が並んでいる。
本堂の外周を廻ってみる。
本堂に向かって右側(北側)にある<御茶所>。
<御茶所>内部。
御茶所前から<本堂>全景。ここから本堂の左側(南側)を見て廻る。
本堂左側の少し高いところにある鎮守社(神明社)。
鎮守社の左手(南側)、こちらも少し高いところにある<開山堂>。修理中かな。
開山堂の手前、低い所にある<稲荷社>。
広場の南端にある大きな木。
大きな木の正体は、推定樹齢500年のスダジイ。
スダジイ脇の石碑。
スダジイのさらに南にある建物。中に入ってみると、、、
こちらが、春の祭事<お水送り>で使用する<御香水>を汲み取る<閼伽井>。
この水が、遠敷川の鵜の瀬まで運ばれ、10日後、奈良・東大寺二月堂の<若狭井>で汲み上げられ、<お水取り>で使用される。
スダジイの前から、境内全景。この日はここで参拝終了。
ただ、この日の夜、ホテルで参拝の復習をしていると、当寺にある大事な建物を一つ、完全に見落としたことが発覚。
どうしても見てみたくなり、翌日あらためて見に行くことに。(^_^;)
見落としたのは、参拝口の北方250mほどの場所にある<仁王門>。
鎌倉時代末期の再建。間口6.3m、奥行3.6m、棟高5.5m、単層屋根、切妻造、二間和様の杮葺八脚門。
国指定の重要文化財。
左側の<吽形仁王像>。室町時代1385年造立。
右側の<阿形仁王像>。
仁王門をくぐったところからの景色。この芝生の参道の先に<参拝口>がある。
最後に、国重文の<仁王門>全景。県道沿いの建物の裏手にポツンと建っている感じ。
当寺の有料拝観エリアから離れているので、多くの人が見逃しているかも。(^_^;)
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により714年に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建と言われています🙏
今日は天気も良く、良い嶺南地方周りになりました☺️🙏🙏🙏
入り口です。
こちらから拝観へ🙂🙏
外観です😲🙏🙏
何かすごい重厚さを感じます😲
3月2日は鵜ノ瀬からの「お水送」です🙂
神仏融合神仏両道の道場として建てられた神願寺。若狭彦神社との別当寺として現在に至る🙏
絶え間なく湧き出る水が川へ流ていて、「お水送」の川へと繋がっているそうです(息子談)
山門まで降りてきました🚶♂
御朱印です。
若狭神宮寺の由来です🙂
奈良東大寺二月堂のお水取り、ここ神宮寺からお水送りの神事が3月2日に行われます。
二月堂御本尊にお供えする"閼伽水"(御香水)を送ります。
古来若狭と奈良は地下で結ばれていると、信じられて来ました。
鵜の瀬と呼ばれる川淵より御香水を流し、東大寺二月堂でお水取りが行われます。
本堂の前には広い芝生が広がっている境内。
凄く気持ちが良い空間、誰もいない☘️
贅沢な時間を過ごす事が出来ました。
この後、鵜の瀬に向かいます🚗
駐車場からお寺に向かいます。
本堂が木陰から見えます、静かな場所です☘️
こちらの階段は上がれません。
こちらをくぐり、左手で拝観受付をして御朱印帳預けます
彼岸花が丁度見頃を迎えてました
珍しい形の手水ですね
石仏
苔が綺麗に輝いています
美しい木造の本堂
重要文化財
中でお参り出来ます🙏
本堂から境内を
広い芝生
ん?奥にキャンプファイヤー?みたいのがあります
何だろう?
大護摩壇かな?
ここで神事が行われるんですね。
茶室
閼伽井
湧水、閼伽水を汲み上げる場所です
紅葉も始まっているみたいでした
神事 お水送り
【過去参拝】
若狭神宮寺 以前にも訪れたがその時は東大寺二月堂へのお水送りが行われていて参拝することができませんでした。
今回は静かに参拝することができました。
本堂
茶室
閼伽井戸(あかいど)「お水送り」が行われる。
閼伽井戸(あかいど)の中の様子
この日は台風19号直後ということもあってか、差し水が多いらしく飲むことは止められました。
境内にある椎の巨木 右側の建物は閼伽井戸
仁王門(北門) 境内からが随分離れていた。
第44代元正天皇の勅願により和銅7年(714年)に若狭彦神社の神願寺として創建される。
毎年3月12日に奈良の東大寺二月堂で執り行われる『お水取り』に先がけ3月2日に「若狭鵜の瀬」から「お香水」を送る『お水送り』が行われ、10日間かけて二月堂の「若狭井」へ届くとされています。
本堂
閼伽井戸
こちらから「お香水」を汲み、本堂で神事を執り行い、遠敷川にある「鵜の瀬」へ流し東大寺二月堂へお香水を送ります。
名前の通り神仏習合を示す「神宮寺」さんです。東大寺さんのお水取りの相手側のお水送りはこちらで行われます。
東大寺さんの「お水取り」は大仏様に金メッキをする際の「水銀を蒸発させる工程」が「お水取り」ではないかという説があります。であればお水送りは「硫化水銀(辰砂)」を奈良の都へ送ったことが由来ではないかという説もあるようです。もちろん仮説としか扱われてはいないようなのですが、非常に興味がそそられます。
古代、辰砂はとても高価で、大陸との重要な交易品でした。日本各地には「丹生(辰砂のこと)」に関する地名があり、それらをつないでいくと当時の政治や経済の構造が見えてきます。毛利、上杉、武田といった有力な戦国大名も金や銀の鉱山をおさえることで勢力を拡大していきました。
各地域の交易品や産出資源からも昔の日本の全体像がすこしでも頭の中に描けるようになるとよいな、と改めて思いました。
国道27号線から若狭一宮の若狭姫神社、若狭彦神社に向かっていき
更に奥に進んだところにひっそりと入口があります。
進んでみるとまぁこれがまた凄いのなんの。
まるで時間が止まったかのような空間が広がっています。
とても雰囲気が良く、静のパワースポットという感じがしました。
調べてみると若狭一宮の神願寺として建立されたそうで、
奈良時代から続く神仏習合を今もなお物語っているんでしょうね。
最盛期には七堂伽藍二十五坊という大規模な寺領を持っていたそうです。
秀吉の時代の寺領没収、明治時代の廃仏毀釈で今に至るそうです。
栄枯盛衰あっての儚さを感じたのはこういう歴史が背景にあったのですね。
明通寺といい、若狭彦神社といい、このエリアは本当に魅力的だな。
また行きたい。
ら、乱入?!
護摩壇なんでしょうけどキャンプファイヤーに見えてしまって…
紅葉の頃はこんな感じなんだろうなと。なんですかね、5月なのに赤いのたまーにありますよね。
延喜式内名神大社・若狭國一宮であった若狭彦神社・若狭姫神社にお参りした際に参拝いたしました。
鎌倉時代に神仏習合の考え方によって若狭比古神社の神願寺として開創されたとのことです。
山門の背後に続く緑の参道は感動ものの景色です。
本堂に上がって参拝させていただきましたが、その内陣においては御本尊である薬師如来と並んで「和加佐比古大神」「和加佐比女大神」ほか四神の、計六座の神々の掛け軸が祀られており、まさに神仏習合を今に伝える場となっており、さらに感動ものです。
ただし、ここは写真撮影が禁止されています。
また境内には「閼伽井戸(あかいど)」という井戸があります。
奈良の東大寺二月堂で3月1日から二週間にわたって国家万人の幸福を願う「修二会」という行事が行われ、3月12日深夜に「お水取り」という、境内にある「若狭井」という井戸から観音様にお供えする「お香水」をくみ上げる儀式が行われます。
その水というのは実は、修二会に先立つこと10日前に若狭神宮寺において、「お水送り」の儀式が行われ、その若狭神宮寺「閼伽井」から汲み上げられ、神宮寺から運ばれて遠敷川に沿って上流にある鵜の瀬の淵に注がれ、東大寺境内にある若狭井に達したものであるとされているとのことです。
御朱印をいただきました。
感謝です!!拝。
閼伽井戸(あかいど)
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