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みついつくしまじんじゃ

三津厳島神社の御由緒・歴史
公式愛媛県 三津駅

ご祭神《主》田心姫命,市杵島姫命,湍津姫命,

《配》明治4年に大国主命(おおくにぬしのみこと)、
小彦名命(すくなひこなのみこと)、
塩土神(しおづちのかみ)、
崇徳天皇(航海守護、造船の神)、
事代主命(ことしろぬしのみこと)、
蛭子命(ひるこのみこと)
恵比寿様=商売繁盛、漁業の神)、
保食神(うけもちのかみ 五穀の神)を合祀しています。

境内に鎮座する末社に伊予七福神の寿老神をお祀りしています。
ご由緒

古墳時代 
6世紀後半に現在の宗像大社の神様を勧請。

飛鳥時代 
700年頃に東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築。

奈良時代 
神亀元年(724年)安芸の厳島の神を勧請。

平安時代 
天慶4年(941年)藤原純友を追討しに来た
橘 遠保(たちばなのとおやす)河野 好方、
野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。

鎌倉時代 
承久2年(1220年)伊予水軍の指揮者河野通信心願をこめる。

室町時代 
観応2年(1351年)足利尊氏が難を避けて三津に寄り、
久万の水田2町5反を奉る。
関ヶ原の戦いに乗じて起こった刈谷畑の戦にて社殿が消失し、
慶長7年(1602年)に現在地へ奉遷。

江戸時代 
参勤交代の際に歴代松山藩主は当社にお参りして幣帛を奉った。
道中の安全、藩内平和、武運長久の祈願をし、三津浜から船で江戸へと向かった。

歴史
由緒[編集] 崇峻天皇の時代、筑紫国の宗像大社の神を勧請 文武天皇の時代、東山の地(現在の古三津地区新屋敷方面)に神殿を新築 神亀元年(724年)、安芸国の厳島神社の神を勧請 応仁元年(1467年)、河野通春が神殿を造営 慶長7年(1602年)、現在地へ奉遷 明治4年(1871年)、大国主命、小彦名命、塩土神、崇徳天皇、事代主命、蛭子命、保食神を合祀。 明治37年(1904年)、社殿を改築 明治40年(1907年)、郷社に列する
引用元情報厳島神社 (松山市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82%29&oldid=78362322

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