三津厳島神社の日常(339回目)|愛媛県三津駅
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投稿日:2023年03月15日(水)
今月15日の言葉は「桜」について取り上げました。
今年はいつもより桜の開花が早いようですし、東京の上野公園の花見も解禁になりました。
当社の桜はまだ咲いていませんが、花手水の桜はお楽しみいただけます。
元々桜といえば、「山桜」の事でした。
さくらの「さ」は「早乙女(さおとめ)」や「早苗(さなえ)」の「さ」で稲の神様を表し、「くら」は「座(くら)」で神様の宿る場所を意味しています。
すなわち「さくら」は稲の神様が宿る場所という事になります。
元々日本は農業中心の社会で、稲作が生活の中心でした。そして、お米がたくさんとれることが、人々の共通の願いでもありました。
稲の収穫が終わって冬になると、稲の神様は山に還(かえ)られます。
春になり山々に自生している山桜の花が白く咲き始めると
「さあ稲の神様が桜の木に降りて来られたぞ」
という事で桜の木のもとに皆が集まって「桜に宿る神様」にお酒や食べ物をお供えし「今年も豊作でありますように」と願いながら、共に飲み食いをしました。
これがお花見の始めと言われております。
そして山桜の花を稲の花に見立てて、その年の豊作を占ったようです。
すなはち、稲の神様をお迎えする神事がお花見のルーツという事になります。
そう考えるとお花見ひとつにも、先祖代々受け継がれてきた日本人としての遺伝子が受け継がれているようです。
また桜の香りに含まれる「クマリン」という物質は、抗菌、リラックス、鎮静作用がある事が科学的にも証明されており、これも「お花見」の効用と言えそうです。
当社の天満宮にも桜を詠んだ「松尾芭蕉」の句碑があります。是非見つけて下さい。
「木のもとに 汁も膾(なます)も 桜かな」
(満開の桜の木の下にいると、汁も膾料理も桜の花びらで埋まってしまいそうだ)
春の日差しの様なうららかな心でお参りしましょう。
今日も良い一日を!
今年はいつもより桜の開花が早いようですし、東京の上野公園の花見も解禁になりました。
当社の桜はまだ咲いていませんが、花手水の桜はお楽しみいただけます。
元々桜といえば、「山桜」の事でした。
さくらの「さ」は「早乙女(さおとめ)」や「早苗(さなえ)」の「さ」で稲の神様を表し、「くら」は「座(くら)」で神様の宿る場所を意味しています。
すなわち「さくら」は稲の神様が宿る場所という事になります。
元々日本は農業中心の社会で、稲作が生活の中心でした。そして、お米がたくさんとれることが、人々の共通の願いでもありました。
稲の収穫が終わって冬になると、稲の神様は山に還(かえ)られます。
春になり山々に自生している山桜の花が白く咲き始めると
「さあ稲の神様が桜の木に降りて来られたぞ」
という事で桜の木のもとに皆が集まって「桜に宿る神様」にお酒や食べ物をお供えし「今年も豊作でありますように」と願いながら、共に飲み食いをしました。
これがお花見の始めと言われております。
そして山桜の花を稲の花に見立てて、その年の豊作を占ったようです。
すなはち、稲の神様をお迎えする神事がお花見のルーツという事になります。
そう考えるとお花見ひとつにも、先祖代々受け継がれてきた日本人としての遺伝子が受け継がれているようです。
また桜の香りに含まれる「クマリン」という物質は、抗菌、リラックス、鎮静作用がある事が科学的にも証明されており、これも「お花見」の効用と言えそうです。
当社の天満宮にも桜を詠んだ「松尾芭蕉」の句碑があります。是非見つけて下さい。
「木のもとに 汁も膾(なます)も 桜かな」
(満開の桜の木の下にいると、汁も膾料理も桜の花びらで埋まってしまいそうだ)
春の日差しの様なうららかな心でお参りしましょう。
今日も良い一日を!
すてき
投稿者のプロフィール
三津厳島神社579投稿
愛媛県松山市の港町「三津」に鎮座する、1400年以上の歴史を持つ神社です。全ての災いを防ぎ福を招く神様として、厄除け・交通安全・子育て・勝負の御利益を願われる方々等に広くご参拝いただいております。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
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