しもうさのくにみやま にのみやじんじゃ
下総国三山 二宮神社公式千葉県 薬園台駅
受付時間(御朱印・御祈願)
9:00~15:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
習志野市の菊田神社から北上し船橋市の下総国三山、二宮神社へ。神社南の消防署と郵便局の間の道を入ると広い駐車場がありました。神聖な雰囲気を感じさせる林の中を数十メートル歩き、少し階段を上り鳥居をくぐりました。ここでも七五三の衣装の可愛い子どもが沢山見られて心が和みました。
須佐之男命、クシナダ姫、大国主命はを御祭神とする由緒正しい神社ですが、下総国の二宮は旭市の玉崎神社の様です。

二宮神社参拝⛩️
古来、寒川神社・二宮大名神と呼ばれ、創建は平安初期の弘仁年間と伝えられています。御祭神 速須佐之男命・稻田比賣命・大國主命・藤原時平・大雀命・譽田別命
寒川神社と呼ばれとありますが、寒川大神が御祭神ではないのですね🤔
茅の輪が設置されていましたので、くぐってからお詣りさせていただきました🙏
社号標と鳥居
鳥居の先を降ります。
少し歩いてから
また登ります。
古そうな狛犬さん✨
茅の輪
拝殿
立派な彫刻
本殿
拝殿から振り返り
鳥居の横に大きな御神木
御朱印 書き入れして頂きました🙏
下總三山の七年祭大祭
由 来
室町時代、馬加(千葉市幕張)の城主であった陸奥守康胤<むつのかみやすたね>
(千葉康胤)の奥方は懐妊して11ヶ月になっても出産の気配がありませんでした。
そこでいたく心配した康胤は二宮神社(三山村)・子安神社(畑村)・子守神社(馬加村)・三代王神社(武石村)の神主に命じて、馬加村の磯辺に地を相会して安産祈願の祭礼である産屋の古式を執行しました。
これを【磯出祭】といいます。
すると、まもなく奥方は男子を安産しました。
康胤初め家臣・領民はことのほか喜んで、この御神徳に報いるために、総社である二宮神社に安産御礼の大祭を執行することを領内の村々に告げ知らせて、康胤は若殿を伴い、家臣一同を引き連れていとも麗やかに大祭を行いました。
これを【安産御礼大祭】といいます。
後年、この二つの祭(安産御礼大祭と磯出祭)を一つに合わせて
同時に式事を執行するようになりました。
現在のように七年毎の丑年と未年に行われるようになったのは、享保12年(1727年)であると
伝えられています。
当社の創立は、弘仁年間(810年〜823年)で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられています。また、延喜5年(905年)に編纂された「延喜式」の「神名帳」にある「千葉郡二座(並小)」の一座である「寒川神社」であったといわれています。 この「寒川」とは、「清冷な泉流」「聖なる流れ」を意味します。
二宮神社の参道の御手洗(みたらし)の池や井戸のある所は、はるか遠い昔より滾々(こんこん)と泉の湧く水源地でした。 つまり、この水源地たる場所こそ、正に「寒川神社」の社名の由来ともなった聖地であり、二宮神社の信仰の起源、原点といえます。 したがって昨今「パワースポット」という言葉が流行っておりますが、この霊泉のある地は、境内の中でも最大の「神威充ちる聖なる所(パワースポット)」であります。
こうして古来、近郷23ヶ村の総鎮守として広く人々の信仰をあつめてきました。二宮神社と呼ばれるようになった正確な年代はわかっていませんが、乾元2年(1302年)の鐘には「二宮社」と刻まれていることから、鎌倉時代には既に呼称されていたことがわかっています。
| 住所 | 千葉県船橋市三山5-20-1 |
|---|---|
| 行き方 | ・JR総武線津田沼駅下車→北口(改札出て左)
|
| 名称 | 下総国三山 二宮神社 |
|---|---|
| 読み方 | しもうさのくにみやま にのみやじんじゃ |
| 通称 | 二宮大明神、三山神社 |
| 参拝時間 | 受付時間(御朱印・御祈願)
|
| 参拝にかかる時間 | 約15分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 神楽殿横の休憩所と併設 |
| 御朱印 | あり 通年の御朱印は「二宮神社」の文字と右下に「下総国三山」と入り
|
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし 往復郵送での対応はしておりません。
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| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 047-472-1213 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.ninomiya-jinja.jp/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| ご祭神 | 《主》速須佐之男命,《配》稲田比売命,大国主命,藤原時平,大雀命,誉田別命 |
|---|---|
| ご由緒 | 当社の創立は、弘仁年間(810年〜823年)で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられています。また、延喜5年(905年)に編纂された「延喜式」の「神名帳」にある「千葉郡二座(並小)」の一座である「寒川神社」であったといわれています。 この「寒川」とは、「清冷な泉流」「聖なる流れ」を意味します。
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| 体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り夏詣 |
| Youtube | |
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