だいじゅじ|浄土宗|成道山
大樹寺(松安院大樹寺)のお参りの記録一覧
徳川将軍家菩提寺成道山大樹寺デジタルアートナイト2025が開催されました。愛知県指定有形文化財山門へのプロジェクションマッピングと重要文化財多宝塔のライトアップが行われました。
大樹寺ではこのようなイベントがよく開催されます。
愛知の旅、二日目。午前最後は⑪大樹寺。
徳川と関係が深いおてらです。厭離穢土欣求浄土は浄土教の根柢の思考で、徳川家の旗印でもありました。
元は広大な伽藍だったようですが焼失。その後、現在の姿(往時の2-3割減)にまで戻りました。
静かな中でゆっくり参拝できました。
さあ、お昼にします。
厭離穢土 欣求浄土の御朱印。徳川家の旗印。
堂々たる山門。釈迦三尊十六羅漢が安置されているそうです。
本堂。
鐘楼。
松平八代、徳川家康墓所。
山門とその先にある総門を通して岡崎城が望めます。歴代城主は城からお寺をのぞみながら参拝されていたそうです。
多宝塔。
ザルきしめんとねぎとろ丼。うまかったです。
愛知県岡崎市は徳川家の家紋で溢れている。
1年前に、名鉄御朱印廻りに参加していた寺院は殆どが駅近くで、バスで行く大樹寺はその中になかった。
だが、今回、岡崎を路線バスで廻るを思いつき、岡崎市の観光案内でのお勧め場所に出て来るのが、ここ大樹寺なのだ。
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれこれまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。
(岡崎市観光案内より)
厭離穢土欣求浄土が読めなかったバカ野郎です。はい。
厭離穢土欣求浄土。おんりえどごんぐじょうど
これは、「極楽浄土に往生する(生まれ変わる)ことを心から願い求めること」という意味で、浄土宗で使われる「信ずる者への救いの道」つまりは「篤(あつ)く信ずれば、来世では幸せの世界が待っている」という教えである。
古くは、源信(942~1017年)の『往生要集』の冒頭にこの言葉が書かれていて。浄土教の根底思想だ。
「私たちが住むこの世界は苦悩に満ちた穢れた世であり国土であり、それを厭(いと)い離れることを願うことであり、心からよろこんで浄土に生まれることをねがい求める」と浄土真宗本願寺派布教使であり、龍谷大学講師の西光義秀さんはご自分のウエブサイトで分かりやすく解釈されている。
人が多かったものであまり写真が撮れず残念。
靴を脱ぎ、本堂に入った先に宝物殿があり、徳川、いや、松平家の歴史を偲ぶことが出来た。
私は知らないでいたのだが、太平洋戦争の時に岡崎市も空襲の被害にあったそうなのだ。
岡崎空襲(おかざきくうしゅう)は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月19日未明から20日にかけてアメリカ軍によって行われた愛知県岡崎市への大規模な空襲、また岡崎市を目的として行われた空襲の総称。総計90機による約1時間半にわたる波状攻撃、午前4時ごろ警報解除。
幸い、大樹寺は被害を受けることはなかったという。
歴史を感じる寺院であった。
山門から岡崎城が見え…ます!もっと晴れてたら、もっとくっきり見えるのかな?
「厭離穢土 欣求浄土」徳川家康公19歳の時、桶狭間の戦いにて当時主君であった今川義元が織田信長に敗れ、自身の身の危険を感じ桶狭間から大樹寺に逃れて先祖の墓前にて家臣とともに自害しようとしたときに、当時の住職から授かったコトバで自害を思いとどまったとされています。
大河ドラマ どうする家康を見てからずっと行きたいと思ってました^ ^
駐車場は有料です、ナンバー入力精算システム。きっと、どうする家康効果でその頃はたくさんの参拝者だったんでしょう!
私が行った時も観光バスいました!
駐車場内にある、お店でみたらし食べました!
焼きたてほわほわで美味しかった!
また食べに行きたい^ ^♪
松平家・徳川家菩提寺。「厭離穢土欣求浄土」好きな旗印であり言葉です。桶狭間の戦いで敗れた徳川家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれ自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起のきっかけとなった歴史的な場所。大好きで何度か訪れています。
境内には国の重要文化財の多宝塔、本堂内は桶狭間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」や歴代将軍家等身大位牌が拝観でき、見所満載、見応え十分です。
三門から総門を通して、岡崎城が見えるよう伽藍の配置が工夫されており、徳川家と大樹寺の関係の深さがうかがえます。
ツイテルさん主催の岡崎リトリート、初日の2箇所めはココ。
徳川家康が、生涯の座右の銘となる「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」と出会ったお寺。
身長と同じ高さの位牌を見ることもできて、ちょっと感慨深い気がします。
お寺から出ると、その正面から岡崎城のまっすぐ3km先まで見通せる"ビスタライン"も、実際に自分の目で見ることができて、感慨深いです。
大樹寺
正面からの大樹寺
徳川家康さん
真向かいの小学校の塀にも、家康さんの紋が!
岡崎城まで見通せるビスタライン
家康公のゆかりの寺。テレビで撮影されていた、宝物殿も拝観させていただきました。
家康公の座右の銘が書かれています。
本堂
大樹寺より岡崎城を拝む展望(ビスタライン)
NHK『どうする家康』にも登場した大樹寺さんに参拝しました。
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、1475年に松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれ、これまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け、切腹を思いとどまったそうです。
また3代将軍家光公が建立した山門を起点に、岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、岡崎を代表する景観として知られています。
平日の午前にお伺いしたのですが。
タイミングが悪く、団体バス3台ほど来ていて、大変混雑していました😅
その一方で、いただいた御朱印は日にち入りだったので(普段は『吉日』と入ってるそうです)、何事も一長一短…といったところでしょうか?
折角なので、大方丈と宝物殿(位牌堂)も拝観しました。
歴代将軍家の等身大の御位牌は、やはり興味深かったです。
通常御朱印(書置き)
特別御朱印(立志開運)
岡崎方面の旅行で参拝しました。
蓮の花が有名なお寺のようで、臨時の駐車場などもあり大変な賑わいでした。
高月院さまとのコラボ御朱印です。
通常の御朱印です。
松平・徳川将軍家の菩提寺で有名なお寺さんです。今年の大河ドラマの影響で、平日でしたが観光バスもきており、駐車場もそこそこ満車でした。
本堂
撮影者のテクが未熟な為、チマっとして見えますねぇ…
ビスタライン(歴史的眺望)
本堂から山門を撮影。山門の真ん中から約3キロ先にある岡崎城が見えます。
御朱印を頂きました。
お寺さんの御朱印用にと購入しました。藤色が美しいお帳面です。
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