なごやじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。
那古野神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

今日は夕方に久屋大通にある仕入れ業社さんとの打ち合わせをしました。
打ち合わせ後、久屋大通駅周辺の仏閣巡りをしました。
まずは那古野神社さん。
お社が沢山あって、お祈り欲求が満たされました。
御朱印を頂こうとしたところ、神主さんから
「御朱印帳は右開きです。今まで注意されたことありませんでした?」
と怒られてしまいました🥺
知らなかったんです、初心者でごめんなさい🥺🥺🥺
ということで、改めて右開きで頂いて参りました😊
2冊目からは気をつけよう。。。













名古屋東照宮のすぐ東に鎮座されています。
鳥居は東向きにに建っているのですが、鳥居をくぐってまっすぐ進むと名古屋東照宮の鳥居(西向き)に繋がっていました。
御祭神は須佐之男神だからなのか、拝殿はとても力強さを感じました。
御祭神
中扉 須佐之男神 櫛稲田姫神
左扉 兵主神
右扉 八柱神
<御由緒>~パンフレットより~
当社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)3月16日に尾張国那古野庄(現在の中区三の丸)の地に勅により鎮祭されたと伝えられている。
当時は天王社と称し、神仏習合により別当として真言宗亀尾山安養寺12坊(首班を天王坊)があった。
天文元年3月、織田信秀が那古野城主今川左馬之助氏豊を攻めた際当社社殿は兵火にかかることとなったが、後に信秀は社領若干を寄せ諸役を免じ、天文7年には社殿は再興された。
時は変わって文禄4年8月3日、豊臣秀吉は改めて社領348石余を寄せる。
徳川の治世となり、慶長15年の徳川家康の名古屋城築城にあたって、当社並びに若宮八幡社は郭内となるため、他地に遷座の際に築城奉行佐久間政実をして御籤をとらせ神慮を伺った。
その際、当社は不遷の御籤のみ再三に及んだため、御城鎮守の神・名古屋産土神として旧知に依然として祭られ、元和元年6月9日国主徳川義直によって改めて社領348石余を寄せ墨印地とした。









末社 福壽稲荷社

この日の移動経路のそばで、立ち寄る時間があったのでお参りしてきました。

直書きで拝受しました。
通常の御朱印です。

社号標と正面の鳥居です。

手水舎の吐水口は龍。
他の神社等と比較して首が長いですね。

拝殿正面と狛犬の様子。

名古屋東照宮のお隣にある神社。
御朱印は記帳してくれる方の手書きも入った気合いの入れよう。見た時にカッコイイと思いました。

御朱印です。片面で、記帳者の手書きの部分が結構ガッツリとあります。

入口付近です。

本殿です。

賽銭箱です。
愛知県のおすすめ2選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



































































































































12
0