ちょうじゅじ|臨済宗永源寺派|鷲頭山(わしずさん)
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長寿寺の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
電話番号 | 052-621-4652 | ||
巡礼 | 知多四国霊場知多西国三十三所霊場 知多四国 第87番 |
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今年1月に始めた知多四国八十八ヶ所巡りの続きです。とは言っても1月以来の2回目ですが。
先ず1寺目は、名古屋市緑区大高町に在る第87番札所の鷲頭山 長寿寺です。
前回の続きの札所から回りたいところですが、今回訳あって逆回りです。
臨済宗永源寺派で、本尊は聖観音菩薩。(本堂の須弥壇の中尊は、阿弥陀如来にしか見えなかったが・・・。)
創建等わかっていないが、真言宗で鷲巣山長祐寺と称したが、1560年に桶狭間の戦いの前哨戦での鷲津砦の兵火で焼失。江戸時代になり大高領主・志水忠継の母である長寿院が黄檗宗への信仰厚く、遺命により1682年に伽藍を再興し、寺号を長寿寺、宗派を黄檗宗に改めた。その後、1691年に興聖寺から石梯道雲が訪れて中興開山し、臨済宗永源寺派に改宗した。明治21年(1888年)火災により本堂および庫裡を焼失するも明治31年(1898年)に再建。昭和20年(1945年)の名古屋大空襲によって再度焼失。昭和54年(1979年)に再建され現在に至ります。
JR東海道本線、東海道新幹線と並走する県道50号線沿いに広い駐車場があります。
山門は鐘楼門、コンクリート製ですので重量のある梵鐘を釣り下げても問題なしですね、新しい感は拭えませんが、自然災害の多い日本では(このところ日本の何処かで毎日大きめの地震が発生しているし)先々を考えれば安心といえば安心。山門をぐると正面に本堂、左に手水、斜め左前に弘法堂です。先ずは本堂で手を合わせてから、弘法堂で弘法大師に手を合わせました。弘法堂の左側に三十三観音がありました。本堂右側に庫裏があり、そこに納経所がありますので御朱印を頂きました。
これで次の寺院へ向かうところですが、山門の右側に鎮守社でしょうか、高蔵坊(こうぞんぼう)稲荷がありましたので併せて参拝しました。
御朱印
山門(鐘楼門)
手水
本堂
本堂須弥壇
弘法堂
三十三観音
高蔵坊稲荷
拝殿
拝殿の下にある?堂
新四国八十八か所巡り八十七番札所⛩
鷲頭山長寿寺は大高村字鷲津山に在り。臨済宗江州(現在の滋賀県)永源寺末なり。創建詳ならず。初め鷲巣山長祐寺と称し、無本寺たり。永禄年中、織田氏、今川氏の兵屢(しばしば)この地に戦い堂宇皆灰燼に帰し、観音大士像を存すと云ふ。
延宝八年本村地頭志水忠時祖母長寿院橘氏の遺命により之を国侯徳川光友に聞し殿堂を経営す。天和二年成る山門の伽藍の巨大境地の風地一に宇治黄檗山の講様に壮麗美観と一州に冠たり乃ち熱田大宮司蔵する所の阿弥陀仏を安置し本尊となし、改めて今の山寺号とし黄檗派の僧越傳を以て開山とせり。元禄四年十一月忠時石梯和尚をして住職たらしめ派を改めて今の臨済宗となす。之を開派一世とす、以て相継て名僧を出しその名甚高し。
知多西国三十三観音巡り 第二十六番札所⛩ 鷲頭山 長寿寺 (名古屋市緑区)
長寿寺は大高村字鷲津山に在り。臨済宗江州(現在の滋賀県)永源寺末なり。創建詳ならず。初め鷲巣山長祐寺と称し、無本寺たり。永禄年中、織田氏、今川氏の兵屢(しばしば)この地に戦い堂宇皆灰燼に帰し、観音大士像を存すと云ふ。
延宝八年本村地頭志水忠時祖母長寿院橘氏の遺命により之を国侯徳川光友に聞し殿堂を経営す。天和二年成る山門の伽藍の巨大境地の風地一に宇治黄檗山の講様に壮麗美観と一州に冠たり乃ち熱田大宮司蔵する所の阿弥陀仏を安置し本尊となし、改めて今の山寺号とし黄檗派の僧越傳を以て開山とせり。元禄四年十一月忠時石梯和尚をして住職たらしめ派を改めて今の臨済宗となす。之を開派一世とす、以て相継て名僧を出しその名甚高し。
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