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菊田神社ではいただけません
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きくたじんじゃ

菊田神社
千葉県 京成津田沼駅

社務所 平日10:00~15:00
土日祝9:00~16:00

御朱印について御朱印
あり

真ん中に久久田大明神と書かれ、右下にならしの守護の印、左下に大黒様の印が押されています。2面見開き…

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり
鳥居の横に6台ほど停められる駐車場があります。

菊田神社について

隣接して大きな池があり、鯉や鴨がいます。一周できるようになっていますので御朱印待ちの間に散策するのもいいかも☺️
神輿庫の横に喫煙スペース🚬あります。
紙巻き煙草OK👌です。

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歴史

古伝によれば、当神社は久久田大明神と称して、平安時代の弘仁年間(西暦810年代)には神社として創建されてありました。当時は、この境内地は小嶋であって、この嶋を中心として東西両側は岡であって、砂土堆積している入江でありました。住民の多くは西側岡の崖下に住居を構えて生活をして居りました。住民は嶋の上に鎮座されていたお宮、即ち久久田大明神を産土神および氏神として奉斎信仰していました。なお。旧九月十九日を例祭の日と定めて、年毎に祭事を執行していました。また、住民は氏子区内並びに周辺(近郷)の人と縁を結びますと、これがまことに夫婦円満の家が多く子供達もみんな丈夫に成長し、長命の人も多く、それ故に住民はこの久久田大明神を特に縁結びの神、厄難除の神、安産の神として崇敬し、商売繁盛の神(後年この地に商人が出来て、この宮に祈願したところ何れも商売が繁盛した)としても崇敬しました。
治承四年、藤原師経、藤原師長卿の一部郎党当国に左遷のおり、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦へ来ました。海上が少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めていましたところ、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しました。一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。
即ち久久田大明神のお宮で、師経、師長卿は無事に此処まで安着の出来たことはこの御祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘されて、このお宮を崇め奉りてこの地を安住の地と定めることとし、同時に祖先の第六十代醍醐天皇の御代延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り、住民と共に奉斎崇敬しました。後に師経の一族は三山の郷(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。
その後星移り年変わりて入江も浅瀬となり、この嶋の土と東西の岡の土を採取し浅瀬に盛土して水田を拡げて氏神の社名に相応しく永く久しく栄える国として耕作するようになりました。またこの境内地が船の形をしているのは、師経一族郎党が着船したのを記念とするために浅瀬を盛土するときにこの形を造ったと伝えられています。

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菊田神社の基本情報

住所千葉県習志野市津田沼3-2-5
行き方

・JR津田沼駅より徒歩15分
・京成電鉄京成線京成津田沼駅より徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称菊田神社
読み方きくたじんじゃ
通称菊田大明神
参拝時間

社務所 平日10:00~15:00
土日祝9:00~16:00

御朱印あり

真ん中に久久田大明神と書かれ、右下にならしの守護の印、左下に大黒様の印が押されています。2面見開きの月参り御朱印や菊参り特別御朱印があります。

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号047-472-4125
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@kikuta-jinja.jp
ホームページhttp://www.kikuta-jinja.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》大己貴命,《配》藤原時平
ご由緒

古伝によれば、当神社は久久田大明神と称して、平安時代の弘仁年間(西暦810年代)には神社として創建されてありました。当時は、この境内地は小嶋であって、この嶋を中心として東西両側は岡であって、砂土堆積している入江でありました。住民の多くは西側岡の崖下に住居を構えて生活をして居りました。住民は嶋の上に鎮座されていたお宮、即ち久久田大明神を産土神および氏神として奉斎信仰していました。なお。旧九月十九日を例祭の日と定めて、年毎に祭事を執行していました。また、住民は氏子区内並びに周辺(近郷)の人と縁を結びますと、これがまことに夫婦円満の家が多く子供達もみんな丈夫に成長し、長命の人も多く、それ故に住民はこの久久田大明神を特に縁結びの神、厄難除の神、安産の神として崇敬し、商売繁盛の神(後年この地に商人が出来て、この宮に祈願したところ何れも商売が繁盛した)としても崇敬しました。
治承四年、藤原師経、藤原師長卿の一部郎党当国に左遷のおり、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦へ来ました。海上が少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めていましたところ、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しました。一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。
即ち久久田大明神のお宮で、師経、師長卿は無事に此処まで安着の出来たことはこの御祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘されて、このお宮を崇め奉りてこの地を安住の地と定めることとし、同時に祖先の第六十代醍醐天皇の御代延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り、住民と共に奉斎崇敬しました。後に師経の一族は三山の郷(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。
その後星移り年変わりて入江も浅瀬となり、この嶋の土と東西の岡の土を採取し浅瀬に盛土して水田を拡げて氏神の社名に相応しく永く久しく栄える国として耕作するようになりました。またこの境内地が船の形をしているのは、師経一族郎党が着船したのを記念とするために浅瀬を盛土するときにこの形を造ったと伝えられています。

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