おおとりたいしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方和泉國一之宮 大鳥大社のお参りの記録一覧
絞り込み

所在地:大阪府堺市西区鳳北町1丁1-2
主祭神: 日本武尊、大鳥連祖神
社 格:式内社(名神大)、和泉国一宮、旧官幣大社、別表神社
創 建:景行天皇代
由 緒
大鳥連が祖神を祀ったのが始まりだと考えられている。弘仁14年7月4日(ユリウス暦823年8月14日)に積川神社とともに朝廷の祈雨の奉幣を受ける(『日本後紀』)。承和9年10月9日(ユリウス暦842年11月15日)に和泉国泉穴師神社・積川神社とともに神階昇授を受け、従五位下から従五位上になる(『続日本後紀』)。天安3年(859年)1月27日には全国諸神とともに神階昇授を受け、従五位上勲八等から従四位下になり、同年9月8日に朝廷より風雨のため、畿内諸神とともに奉幣を受ける(『三代実録』)。貞観3年(861年)に紀伊国御船神とともに神階昇授を受け、従三位となる(『三代実録』)。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では和泉国大鳥郡に「大鳥神社 名神大 月次新嘗」と記載され、和泉国では唯一の名神大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記されている[2]。
延喜22年(922年)の奥書を持つ「大鳥大神宮五社流記帳」(実際には平安時代末期から鎌倉時代頃か[2])では神階は「正一位勲八等天照大明神一所」とあり、祭神は天照大神とされている。
別当寺は大鳥山勧学院神鳳寺。開山は和銅元年(708年)で行基によると言われる(『行基年譜』)が、天平12年(740年)とする説もある。一帯は「大鳥郷」と呼ばれ、古くから摂関家大番頭でもあった。
鎌倉時代初期には、同郡の式内社の大鳥美波比神社・大鳥鍬靫神社・大鳥井瀬神社・大鳥濱神社とともに「大鳥五社」を形成、「大鳥荘」となるが、貞応元年(1224年)、承久の乱の勲功により、伊豆国の御家人田代氏が地頭職に補せられ、周辺の荘園領主や在地住民と田代氏との間で激しい争いが繰り広げられることとなった。また南北朝時代よりは泉穴師神社・聖神社・積川神社・日根神社とともに「当国五社大明神」を形成するにいたる。中世には和泉国一宮として国衙などから崇敬を受けるが、一方、従来、大鳥神社を祀ってきた大鳥氏は主導権を田代氏に奪われて衰退していく。
日本武尊を祭神とするため武家の崇敬厚く、平治元年(1159年)には熊野参詣に向かう途上の平清盛・平重盛らが立ち寄り、清盛は以下の句を詠んだ。
(Wikipediaより)









風が強く、より寒さが際立つ日に参拝させていただきました。
駐車場は境内の中にあり、正面の鳥居から車で入っていくことができました。
和泉国一宮であり、昔は防災や雨祈などの際に祈願する85の神社の一つに指定されていたそうです。
そのため、歴代の皇室からのご尊崇が篤く、平清盛や織田信長、豊臣秀吉など、名だたる武将たちからの寄進や奉仕があったそうです。
御祭神は日本武尊命、大鳥連祖神です。
創建は以下になります。
日本武尊命が西征し、休みなく東征を命じられ、見事東征を果たします。しかしその帰途の伊吹山で神の祟りに遭い、病にかかります。そして、ついに伊勢国能褒野で亡くなります。そこから日本武尊の魂は白鳥となって飛んでいき、最後に降り立ったこの地に建てたのが大鳥大社だそうです。
参道を歩いていくと、日本武尊命の立派な像が現れます。
拝殿で参拝し、左にある社務所へ。
直書きの御朱印と季節の御朱印をいただきました。
そのあと、おみくじを引きに行くと、勝みくじというものがありました。
勝みくじは少し変わっており、末吉→末勝運、中吉・吉→中勝運、大吉→大勝運と表記され、大勝運のさらに上が強運だそうです。しかも、強運のおみくじだけ、地が無色透明で透き通っており、字だけ様々な色の金ピカになっているそうです。
その勝みくじを引くと、見事、強運のおみくじを引けました。書いていることもたいへん良くて綺麗だったので、持ち帰りました。
そのあと、金の小判を持って、御神木である根上がりの大楠を参拝に上がりました。
もっと読む大阪府のおすすめ3選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






















































