御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

あまつかむのやしろ

天神社
大阪府 天神橋筋六丁目駅

おすすめの投稿

きどっち
きどっち
2023年05月09日(火) 00時19分43秒
1494投稿

大阪市北区の国分寺から国分寺公園を挟んだ東側に鎮座しています。

「天神社」と書いて「てんじんじゃ」と読んでしまいそうですが、「あまつかむのやしろ」と読むのだそうです。
小さな神社ですが歴史は古く、また立派な手水鉢が印象的でした。

<御祭神>
 天穂日命 菅原道真公

<御由緒>
当神社は、聖武天皇の御代、天平十年(738年)行基菩薩が、この地方に巡錫に来られた際、この地方開拓の守護神として、「天穂日命」を勧請し奉り、民衆の幸福を祈念せられて以来、祭祀を絶やすことなく今日に至っている。
資料は散逸して不詳であるが、西隣の国分寺の鎮守社として創建されたとも言われ、明治初年当時の国分寺村村長安東萬次郎氏よりの聞伝えによると、江戸時代中期より、神佛混淆思想の影響で、東隣の正徳寺の同域境内にあって管理されていたが、明治六年神佛分離令によって分離独立し、当初社名を天神宮と称したが、明治五年社格を「村社」に列せられてより、天神社に改める。
ー中略ー
「御神体」は、創建当時は小祠であったので、鏡又は石玉類であったと思われるが、分離独立した時に寺側より返納された御神像(木造彩色坐像)を現在御神体として奉斎申し上げております。

天神社の鳥居
天神社の手水舎

手水舎

天神社の本殿・本堂

拝殿

天神社のその他建物
天神社の狛犬

狛犬さん

天神社の狛犬
天神社の歴史
天神社のその他建物
天神社のその他建物
もっと読む
投稿をもっと見る|
18

歴史

天平10年(738年)に行基がこのあたりの開拓した際、開拓の守護神として「天穂日命(あめのほひ)」を祀ったのが当社の起源と言われています。
近くには摂津国国分寺がありその鎮守社として創建したのではと考えられます。

天穂日命は天照大御神の第2子で五穀豊穣をもたらす農業神としてこのあたりの住民の産土神として崇敬されてきました。
天穂日命の子孫に菅原道真がいることから菅原道真公も祀り天満宮となっています。
登記上の正式名称は「天神社」ですが、「てんじんしゃ」とは読まずに「あまつかむのやしろ」と読むのは天穗日命から来ているのではと考えられます。
江戸時代の中頃からは当社の東にある淸源山正德禪寺(正徳寺)が神宮寺として管理していましたが、明治の神仏分離政策により正徳寺から分離しました。
1908年(明治41)年には東梅ヶ枝町(現在の西天満)にあった砂原屋敷に祀られていた稲荷神社を合祀しています。
砂原屋敷は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」の邸宅であったと言われています。
1910年(明治43年)年、中島村(現・東淀川区)の神社から社殿を移築しました。この社殿は享保年間(1716年 – 1736年)に建立されたもので、大阪大空襲の戦火を逃れ、現在も本殿・幣殿・拝殿が現存しています。

歴史をもっと見る|
2

天神社の基本情報

住所

大阪府大阪市北区国分寺1-4-1

行き方

Osaka Metro堺筋線・谷町線「天神橋筋六丁目」東へ徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

天神社

読み方

あまつかむのやしろ

通称

淀川天神社

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号06-6353-6537
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》天穂日命
創建時代

伝・天平10年(738年)

創始者

伝・行基菩薩

ご由緒

天平10年(738年)に行基がこのあたりの開拓した際、開拓の守護神として「天穂日命(あめのほひ)」を祀ったのが当社の起源と言われています。
近くには摂津国国分寺がありその鎮守社として創建したのではと考えられます。

天穂日命は天照大御神の第2子で五穀豊穣をもたらす農業神としてこのあたりの住民の産土神として崇敬されてきました。
天穂日命の子孫に菅原道真がいることから菅原道真公も祀り天満宮となっています。
登記上の正式名称は「天神社」ですが、「てんじんしゃ」とは読まずに「あまつかむのやしろ」と読むのは天穗日命から来ているのではと考えられます。
江戸時代の中頃からは当社の東にある淸源山正德禪寺(正徳寺)が神宮寺として管理していましたが、明治の神仏分離政策により正徳寺から分離しました。
1908年(明治41)年には東梅ヶ枝町(現在の西天満)にあった砂原屋敷に祀られていた稲荷神社を合祀しています。
砂原屋敷は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」の邸宅であったと言われています。
1910年(明治43年)年、中島村(現・東淀川区)の神社から社殿を移築しました。この社殿は享保年間(1716年 – 1736年)に建立されたもので、大阪大空襲の戦火を逃れ、現在も本殿・幣殿・拝殿が現存しています。

ご利益学問の神様・合格祈願五穀豊穣
体験御朱印
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ