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国分寺ではいただけません
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こくぶんじ|真言宗国分寺派護国山

国分寺
大阪府 天神橋筋六丁目駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

その他の巡礼の情報

摂津国八十八箇所第9番
近畿三十六不動尊霊場第7番
西国薬師四十九霊場第17番
おおさか十三仏霊場第9番

おすすめの投稿

四季
2023年03月10日(金)
469投稿

護国山 金剛院 国分寺

~🪷🐇弘法大師御誕生1250年記念🪷~

山号  護国山
院号  金剛院 
宗旨  真言宗
宗派  真言宗国分寺派
寺格  大本山
御本尊 薬師如来坐像
創建年 655年
開基  道昭(道照)
中興年 1718年
中興  快円(快圓)

別称 摂津国分寺
   長柄国分寺
札所
 摂津国八十八ヵ所霊場 第9番
 近畿三十六不動尊霊場 第7番
 おおさか十三佛霊場 第9番
 西国四十九薬師霊場 第17番
 御詠歌 
 み佛の護りたまえる国分寺 
 ゆるぎなき世の鎮めなりけり
 
 
明治6年まで1宗1派に属しない勅願道場として独自の地位にあり、江戸時代、関所道中御免の鑑札発行所としての特権を与えられ、また全国各地に有縁の衆徒数千人を数えるなど隆盛を極めましたが、その後の廃仏毀釈や神仏分離の影響は免れず衰退するも明治末期に教昇大僧正が国分寺の再興を果たされ、戦後になり真言宗国分寺派を公称、大本山国分寺として現在に至ります。

弘法大師御誕生1250年記念
ふと 国分寺はいくつあるの?
741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺と国分尼寺に分かれていて、畿内だけで、推定を含め11カ寺…‥。
次は摂津国分尼寺とされる 勝寶山法華寺さま(東淀川区)にもお参りさせて頂きたいと思います。

大阪市北区国分寺1-6-18

国分寺の御朱印
国分寺の御朱印
国分寺の御朱印
国分寺の御朱印
国分寺の山門
国分寺の本殿
国分寺の仏像
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の像
国分寺の像
国分寺の仏像
国分寺の地蔵
国分寺の塔
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の像
国分寺のおみくじ

🐰みくじ🐰すべてかわいい💐🐰

国分寺の建物その他
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四季
2023年01月01日(日)
469投稿

護国山 金剛院 国分寺

   🎍謹賀新年🎍
~ゆく年 🪷🐯🐇🪷くる年~

山号  護国山
院号  金剛院 
宗旨  真言宗
宗派  真言宗国分寺派
寺格  大本山
御本尊 薬師如来坐像
創建年 655年
開基  道昭(道照)
中興年 1718年
中興  快円(快圓)

別称 摂津国分寺
   長柄国分寺
札所
 摂津国八十八ヵ所霊場 第9番
 近畿三十六不動尊霊場 第7番
 おおさか十三佛霊場 第9番
 西国四十九薬師霊場 第17番
 御詠歌 
 み佛の護りたまえる国分寺 
 ゆるぎなき世の鎮めなりけり
 
 
明治6年まで1宗1派に属しない勅願道場として独自の地位にあり、江戸時代、関所道中御免の鑑札発行所としての特権を与えられ、また全国各地に有縁の衆徒数千人を数えるなど隆盛を極めましたが、その後の廃仏毀釈や神仏分離の影響は免れず衰退するも明治末期に教昇大僧正が国分寺の再興を果たされ、戦後になり真言宗国分寺派を公称、大本山国分寺として現在に至ります。

年末に摂津国分寺さま、みのりちゃんこきょうくんにご挨拶に上がりました。
新年を迎える準備が整い、お参りのご家族連れの方々が次々とご挨拶にいらっしゃっていて、何とも幸せな気持ちになりました。
その皆さんが『除夜の鐘』をついていらっしゃり、鐘の清々しい音が天六中に響きわたっていました。

岩本観寧和上さまに新しくできた会館にご案内おもてなしを頂き、名幸観教執事長さまにご拝顔叶いましたことに、胸が一杯になりました。
ありがとうございました。
あまりの嬉しさに、阪神高速環状線を2周
まわり大阪の景色を目に焼き付けました。

大阪市北区国分寺1-6-18

国分寺の山門
国分寺の山門
国分寺の山門
国分寺の山門
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の本殿
国分寺の本殿
国分寺の建物その他
国分寺の本殿
国分寺の建物その他
国分寺の像
国分寺の像
国分寺の像
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の仏像
国分寺の仏像
国分寺の仏像
国分寺の地蔵
国分寺の仏像
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他

みのりちゃん

国分寺の建物その他

こきょうくん

国分寺の建物その他
国分寺の塔
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の像
国分寺の像
国分寺の建物その他
国分寺の建物その他
国分寺の授与品その他
国分寺の授与品その他
国分寺の御朱印

摂津国八十八ヵ所霊場 第9番

国分寺の御朱印

西国四十九薬師霊場 第17番
御詠歌 
 み佛の護りたまえる国分寺 
 ゆるぎなき世の鎮めなりけり

国分寺の御朱印
国分寺の御朱印

おおさか十三佛霊場 第9番

国分寺の御朱印

近畿三十六不動尊霊場 第7番

国分寺の授与品その他
国分寺の御朱印
国分寺の御朱印
国分寺の地蔵
国分寺の授与品その他
国分寺の授与品その他
国分寺の授与品その他
国分寺のおみくじ

おみくじ

おみくじガチャもありました
🐇みくじはまた近々チャレンジします🐇

国分寺の周辺
国分寺の周辺

8カンテ~レ8

国分寺の周辺

湊町リバープレイス💕

国分寺の周辺

フェスティバルホール&
CONRAD OSAKA ✴

国分寺の周辺

12/31 🚗が少ない阪神高速環状線 
スイスイ🚙カイカンッ✨🚗✨安全運転

国分寺の建物その他
国分寺の地蔵
国分寺の建物その他
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歴史

大化元年(645年)末に孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を造営するも、崩御の後、斉明天皇により飛鳥板蓋宮へ遷都される。その後、入唐大阿闍梨道昭、勅を奉じて先帝の菩提を祈るため難波長柄豊碕宮の旧址に一宇を建立し「長柄寺」と称した。そして、仏教に深く帰依した聖武天皇により天平十三年(741年)一国一寺の「国分寺建立の詔」を公布されると、既存の「長柄寺」を摂津之国国分寺(金光明四天王護国之寺)として定める。世俗「長柄の国分寺」と称され、今日まで歴代天皇十四帝の勅願道場として由緒ある法灯を伝燈してきた。古くは難波往古図に「国分尼寺」として記載されている。

しかし、長い歴史の中幾度も戦火に晒され、中でも豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣、元和元年(1615年)には全焼、その後約百年余り荒廃の極みであった。
そして江戸時代、享保三年(1718年)に中興の祖律師快圓により再建され文献に登場する。
このような伽藍も明治の廃仏毀釈などの混乱期に境内地が縮小され明治三十年(1897年)には時の座主教曻により諸堂修営され聖武天皇尊殿や記念碑が建立されるも、昭和九年の室戸台風により甚大な被害を受け、更には昭和二十年(1945年)第二次大戦の大阪大空襲により旧書院門(現山門)を残し寺宝諸共灰燼に帰した。

戦後、境内地は区画整理や一部官有地であった為、大幅に縮小されるも、順次再興し、昭和四十年(1965年)昭和金堂を天平の古式にのっとり落慶、昭和五九年(1984年)弘法大師千百五十年御遠忌の頃現在の姿となる。

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国分寺の基本情報

住所大阪府大阪市北区国分寺1-6-18
行き方

大阪市営地下鉄、谷町線、堺筋線「天神橋筋六丁目」駅
2番出口から徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称国分寺
読み方こくぶんじ
通称長柄国分寺
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号06-6351-5637
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kokubunjiosakajapan.com/
おみくじあり

巡礼の詳細情報

西国薬師四十九霊場

第17番

御真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

摂津国八十八箇所

第9番

御本尊:薬師如来

御詠歌:

みほとけの まもりたまえる 国分寺 ゆるぎなきよの しずめなりけり

おおさか十三仏霊場

第9番

御本尊:勢至菩薩

御真言:

おん さんざんざんさく そわか

御詠歌:

後の世を 頼む仏の その中に 迎えますちよう 誓い尊し

近畿三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号護国山
宗旨・宗派真言宗国分寺派
ご由緒

大化元年(645年)末に孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を造営するも、崩御の後、斉明天皇により飛鳥板蓋宮へ遷都される。その後、入唐大阿闍梨道昭、勅を奉じて先帝の菩提を祈るため難波長柄豊碕宮の旧址に一宇を建立し「長柄寺」と称した。そして、仏教に深く帰依した聖武天皇により天平十三年(741年)一国一寺の「国分寺建立の詔」を公布されると、既存の「長柄寺」を摂津之国国分寺(金光明四天王護国之寺)として定める。世俗「長柄の国分寺」と称され、今日まで歴代天皇十四帝の勅願道場として由緒ある法灯を伝燈してきた。古くは難波往古図に「国分尼寺」として記載されている。

しかし、長い歴史の中幾度も戦火に晒され、中でも豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣、元和元年(1615年)には全焼、その後約百年余り荒廃の極みであった。
そして江戸時代、享保三年(1718年)に中興の祖律師快圓により再建され文献に登場する。
このような伽藍も明治の廃仏毀釈などの混乱期に境内地が縮小され明治三十年(1897年)には時の座主教曻により諸堂修営され聖武天皇尊殿や記念碑が建立されるも、昭和九年の室戸台風により甚大な被害を受け、更には昭和二十年(1945年)第二次大戦の大阪大空襲により旧書院門(現山門)を残し寺宝諸共灰燼に帰した。

戦後、境内地は区画整理や一部官有地であった為、大幅に縮小されるも、順次再興し、昭和四十年(1965年)昭和金堂を天平の古式にのっとり落慶、昭和五九年(1984年)弘法大師千百五十年御遠忌の頃現在の姿となる。

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