あたごじんじゃ
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愛宕神社について
道中、源義経が造営したとされる経塚山遺跡あり。
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栗原市一迫にある愛宕神社です。
広い田畑近くの山の麓に一の鳥居があり、そこから長い山道になっている参道が延びています。
おそらく片道500メートル近い上り坂ですので、徒歩だとなかなかの時間がかかります。
道端は狭いですが車でも入れますので足が弱い方はお車での参拝を推奨します。
境内へ続く道の途中には源義経が造営したとされる経塚の遺跡があります。
地元の近くに義経の所縁があると最近知り、一度参拝したいと思っておりましたが、自身の誕生日を迎えるこの日にようやく叶いました。
近くだったんですけどね…
曇りの予報だった天気はそのような素振りもなく晴れ、風も心地よいので思いきって徒歩で行きましたが、道の長いこと!
途中、野生の狸の姿があり、餌を探して草の間を夢中で掘る姿が可愛かったです。
長い道を登り、息が切れかけたとき、ようやくニノ鳥居が見えました。
最後の階段を、登りきると爽やかな山風が通る境内が広がります。
普段から人が常駐されていない神社のようで、階段や道中は枯れ枝が落ちていましたが、境内はそのような事もなく手入れがされているようでした。
拝殿に近づいて見るとお賽銭箱がないと思い、拝殿の硝子戸をみると、「参拝の方は戸を開けて御参拝下さい。」の案内がありました。
戸を開けるとお賽銭箱とおみくじの他、御朱印の書置きがありました。
しっかりと参拝を済ませたあと、管理されてる連絡先に念のため御朱印についてお伺いすると、書置きでの対応で初穂料は書置き置き場に添えて下さいとの事。
初穂料をそっと添え、御朱印を頂きました。
尚、日付は一緒に置いてある筆ペンにて自分で書くようでした。
参拝の全てを済ませて最後に拝殿の戸を閉め直して一礼して参道を戻りました。
疲れましたが運動不足気味だったので良い運動になりました!
社殿になります。
普段は無人のご様子。
案内があり、参拝の際には戸を開けて御参拝下さい。とのこと。
お賽銭箱と御朱印の書置きが中にありました。
白い鳥居。この階段を登れば境内ですが、左側からも車で上がれます。
境内には鐘楼もありました。
御由緒の掲示板。
階段を、上りきった境内の様子。
右手に社務所がありますが普段は不在のご様子。
一の鳥居。ここが長い参道のスタート。
車で入れます。
私は敢えて徒歩で行きました。
鳥居をくぐり、数十メートル歩くと餌探しに夢中の狸さんを発見。
近付いても気付かれず、驚かしてもかわいそうなのでそっと声をかけるとようやくこちらに気付き、奥へトコトコ去っていきました。
上り坂が長く続きます。
参道の中頃にある遺跡跡。
源義経によって造営された経塚との事。
話には聞いていて存在は知っていた遺跡の跡ですが、先日お詣りした斗瑩稲荷神社も源義経に所縁があった事もあり、歴史を感じとる事が出来ていいですね。
経塚山遺跡辺りからふもとを見下ろすとなかなかの高さ。こんなに登ったのにまだ境内には着きません。
更に登ること数分。
遠くに鳥居と境内へ登る階段が!
長かった…
歴史
後冷泉天皇の康平5年(1062、平安)源頼義の勧請と伝える(口碑)。文治年間(3年か)源義径秀衡を頼って越後路から奥洲に下向の砌り当所に忍び滞留の節、阿弥陀経、法華の三部の経文を埋め経塚を築いて武運を祈請したという。(安永風土記書出、口碑)明治4年11月郷社に列したが、同8年8月村社となる。
名称 | 愛宕神社 |
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読み方 | あたごじんじゃ |
参拝にかかる時間 | 10分程度 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0228-52-4311 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》軻遇突智神 |
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ご由緒 | 後冷泉天皇の康平5年(1062、平安)源頼義の勧請と伝える(口碑)。文治年間(3年か)源義径秀衡を頼って越後路から奥洲に下向の砌り当所に忍び滞留の節、阿弥陀経、法華の三部の経文を埋め経塚を築いて武運を祈請したという。(安永風土記書出、口碑)明治4年11月郷社に列したが、同8年8月村社となる。 |
体験 | 御朱印 |
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