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こうぜんじ|曹洞宗西尾山

康全寺
愛知県 西尾駅

御朱印について
御朱印
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巡礼

その他の巡礼の情報

三河三十三観音 第31番札所

康全寺について

大日堂の天井画の『水吐き竜』は火災を防いだという伝説が。

天正9年(1581)酒井忠重の城主時代、徳川家康がこの寺に泊まった折に、家康から一字をもらい、西尾山康全寺と改めたと伝えられている。

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nomuten
nomuten
2022年04月19日(火)
970投稿

三河三十三観音霊場巡りの3寺目は、2寺目と同じく西尾市に在る第31番の西尾山 康全寺です。2寺目の盛巌寺から南へ約1km行った所に在ります。
曹洞宗で、本尊は聖観音菩薩、札所本尊も聖観音菩薩。
こちらの本堂に祀られている釈迦如来坐像と大日堂に祀られている大日如来は市指定文化財です。

1221年足利義氏が西條城の城内に天台宗の神宮寺、金剛院等の六坊を建立。(足利氏はこの地に来て姓を吉良氏と改めた。)その後、天台宗の僧侶が親鸞の教を奉じ、寺を離れる者が続出したため寺は荒廃。支那人と伝えられる却外禅師が当地に来られ堂宇荒廃を憂い再興。足利義氏六世の孫の西條城主吉良満貞は、却外禅師に帰依し、神宮寺と金剛院の2寺を合して1寺とし、吉良山満全寺と名づけた。吉良山は家名、満全寺の「満」は満貞の「満」を賜り寺号とした。1560年の桶狭間の戦いで今川氏が敗れ、その余波により西條城吉良氏は没落。その後の1581年に徳川家康が当寺に止宿し、家康の「康」の字を賜り、西尾山康全寺と改称し現在に至ります。

平坂街道という割と大通りに面しており、山門横から境内に入ると10数台分の駐車場があります。山門に並んで左側に大日堂、大日如来等が祀られています。大日如来坐像は高さ約60cm、平安時代後期作、金剛院の大日堂の本尊との事、一般的な印と違い、左右の手の上下入れ替わっています。頭の部分が厨子に隠れてしまってやや残念。境内右側には閻魔堂と稲荷堂、その奥は庫裏。正面な本堂で、左側には座禅道場?です。
本堂に入らせて頂きます。扉に三つ葉葵の紋。堂内に梵鐘と太鼓、駕籠もぶら下げてあります。須弥壇に本尊の聖観音菩薩、三尊形式になっていますが、他の菩薩は?
脇間には釈迦如来坐像。高さ約43cm、南北朝~室町時代作、神宮寺の釈迦堂の本尊との事。
本堂内にセルフ用朱印が置いてありましたのでセルフで押印しました。(結構、朱印が疲れていた。)

康全寺の御朱印

御朱印

康全寺(愛知県)

山門

康全寺の建物その他

大日堂

康全寺(愛知県)
康全寺の仏像

大日如来坐像(市指定文化財)

康全寺(愛知県)

倶利伽羅龍

康全寺(愛知県)

右∶閻魔堂、左∶稲荷堂

康全寺の建物その他

本堂

康全寺(愛知県)
康全寺(愛知県)

梵鐘と太鼓

康全寺の建物その他

駕籠

康全寺(愛知県)
康全寺(愛知県)

聖観音菩薩

康全寺の仏像

釈迦如来坐像(市指定文化財)

康全寺の建物その他

庫裏

康全寺(愛知県)

座禅道場?

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歴史

応永5年(1398)城内の御剣八幡宮の近くにあった八幡六坊のうち釈迦堂と大日堂を移し、吉良山満全寺とし、異国僧劫外乗空禅師が復興した。当時吉良荘の領主であった吉良氏も深く帰依していたという。
天正9年(1581)酒井重忠の城主時代、徳川家康が村巡見の途中にこの寺に泊まった折に、家康から一字をもらい、西尾山康全寺と改めたという。同13年、西尾城拡張の際に現在地に移し、鎮城の禅寺としたと伝えられる。

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1
名称康全寺
読み方こうぜんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0563-57-3285
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巡礼の詳細情報

三河三十三観音霊場

第31番

御本尊:聖観音

詳細情報

ご本尊大日如来坐像
山号西尾山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代応永5年(1398)
ご由緒

応永5年(1398)城内の御剣八幡宮の近くにあった八幡六坊のうち釈迦堂と大日堂を移し、吉良山満全寺とし、異国僧劫外乗空禅師が復興した。当時吉良荘の領主であった吉良氏も深く帰依していたという。
天正9年(1581)酒井重忠の城主時代、徳川家康が村巡見の途中にこの寺に泊まった折に、家康から一字をもらい、西尾山康全寺と改めたという。同13年、西尾城拡張の際に現在地に移し、鎮城の禅寺としたと伝えられる。

体験御朱印札所・七福神巡り伝説

Wikipediaからの引用

概要
康全寺(こうぜんじ)は、愛知県西尾市満全町36にある曹洞宗の寺院。山号は西尾山。三河三十三観音第31番札所。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 承久3年(1221年)に足利義氏が西条城(後の西尾城)を築くと、足利義氏は城内に御剱八幡宮を祀り、天台宗僧侶を別当とする六坊を建てた[1]。やがて浄土真宗に帰依する僧侶や寺院が多くなったため、八幡六坊は衰退していった[1]。 御剱八幡宮を護持していた八幡六坊のうち、神宮寺釈迦堂と金剛王院大日堂が康全寺の前身とされる[2][3]。応永5年(1398年)、瑞泉寺3世の却外乗空禅師がこの2寺を再興すると、吉良満貞は却外乗空禅師に帰依して堂宇を建立し、吉良山満全寺と名付けた[2][1][3]。 御剱八幡宮 戦国時代[編集] 天正7年(...Wikipediaで続きを読む
引用元情報康全寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BA%B7%E5%85%A8%E5%AF%BA&oldid=100602380
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