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「東海三十六不動」第8番札所です。
1651年に第2代尾張藩主徳川光友が、父である徳川義直の菩提を弔う為、尾張徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立されました。
1785年大曽根の大火が発生した際、火のついた布団が本堂の屋根に乗って本堂が炎上してしまい、第5代藩主徳川五郎太の御霊屋、総門、三門を除いて5つの御霊屋と多くの堂が焼失してしまいました。
1786年から1787年にかけて第9代藩主徳川宗睦と第19世辨及喚阿が中興され、それまで無かった初代藩主義直の御霊屋を含めて新たに4棟の御霊屋が建立されましたが、その際五郎太の御霊屋が徳川光友室千代姫(霊仙院)の御霊屋に改装されました。
お昼ギリギリになりましたが、親切に対応して頂きました😌
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2025年春の文化審議会で重文指定の答申がされたので訪問。
1651年第2代尾張藩主・徳川光友が、初代尾張藩主・徳川義直の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の菩提寺、尾張藩すべての人々の心のよりどころとするため創建した。
1785年火災で総門、山門を残して焼失したが、1786年から1787年にかけて第9代藩主徳川宗睦により創建当時のかたちに復興された。
現在の本堂は1787年再建で重文指定されている。
本堂裏にある1786年建築の徳川家霊廟(本殿 、合間、経殿、唐門、透塀。覆屋に覆われており外部から見ることはできない)も重文指定されている。
総門、三門は1652年建立。
開山堂は1786年、経蔵は1828年、鐘楼は1787年、御成門は1714年の再建である。







コロナも段々と落ち着いてきました。落ち着いたら行きたいとずーっと思っていた所があります。それは名古屋です。今から2年半前位のコロナの流行り始め頃に名古屋の大須や中村区の有名な寺社にお邪魔して以来自粛しておりました。10月1日の土曜日は朝から快晴で、絶好のホトカミ日和になりました(笑)行くしかありません。
名古屋で最初に行く所は建中寺と決めていました。父親の実家が名古屋の東区にあって、子供の頃は毎年正月に家族全員で遊びに行きました。そこでよく連れて行ってもらったのが建中寺でした。古くて大きなお寺としか印象がなく、むしろ隣の建中寺公園で遊ぶのが楽しみででした。
最近になって色々調べてみると凄い所だということがわかりました。まず創建が尾張徳川藩主二代目の光友公が初代の義直公の菩提のために建てられたこと。その後は菩提寺として尾張徳川家代々の廟所になっているそうです。次に先の大戦の名古屋大空襲で名古屋城を含め、多くの寺社が焼失した中で、奇跡的にほとんど被害を受けなかったということで、江戸時代のままの姿を留めていることです。

(東海三十六不動8番札所)
名古屋城の北東、大曽根の近くにあります。
1651年にも初代尾張藩主・徳川義直の菩提を弔うため、第二代藩主・徳川光友が尾張徳川家先代々の菩提寺として建立されたお寺です。
本堂は、名古屋市内の木造建築物としては最大なんだそうです。
本堂裏には、尾張徳川家代々藩主の位牌が安置されている「御霊屋(ごれいや)」が、境内西には徳川光友の墓所である「源正公廟(げんしょうこうびょう)」があります。
相次ぐ火事と戦火により境内は縮小されて約1万坪となりましたが、これでも往時の1/5の規模です。
さすが徳川家!至る所に葵の御門がありました。
山門は当時のままとのことで、暫く見上げていました。
愛知県のおすすめ2選🎌
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