ぶつがんいん|真言宗醍醐派|矢熊山
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佛眼院について
承久の乱では、木曽川をはさんで幕府軍と後鳥羽上皇軍が激しく戦った地として有名。
眼病治癒の御利益があるとされている。
美濃四国札所第二十五札所。
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◯年ぶりの本堂巡りでした。
大河影響かわかりませんが、承久の乱供養塔の御朱印がお目見えしていたので、それも併せてお受けしてきました。
多分、7年くらいぶりでしょうか💦
線香と蝋燭、弘法堂に書き置き御朱印というのは、なんとなくの記憶
鐘楼堂にて鐘が付けることも覚えていませんでした。
知多四国巡ってから、様々な石像にも目を見張る機会も増えて
結構楽しい山登りでした。
夕景なので、降っていくと結構いい感じに暗くなってきたので足元だけはもつれて転ばない様に気をつけました。
書き置き御朱印
直書きもあるという話はどこかで聞いた気がする。(駐車場前に詰めている時に書いて頂いたと誰かさんが言ってた)
美濃新四国の専用御朱印
承久の乱供養塔のカラー御朱印
佛眼院は、眼病平癒の祈祷もされているので、折角なのでおひとつ受けてきました。 300円
開基塔の狛犬
人形供養がある様です。
承久の乱供養塔御朱印のお知らせ
山道は辛いという方向け用の不動堂
ここから登って行きます
中濃新四国(今は活動休止中)の石柱
弘法大師一千百年御遠忌記念の柱
参道、なかなかの傾斜
供養塔
中央に地蔵菩薩立像
山頂は間近
茄子の椅子
腰かけて景色を見てもよし
千手観世音
鎮守大◯◯
中央に不動明王像
水子地蔵
手水舎
鐘楼堂
寸志で鐘付きできました。
南無三十六童子
狛犬阿像
狛犬吽像
南無八大童子
縁起
毘沙門堂
本堂
賽銭箱の上には、干支守りが幾つも置かれています。
本堂にて
賓頭盧尊者、大黒天
絵天井、これは知らなかったですね。
斬られている地蔵?
身代わり地蔵かな?でも、重軽地蔵っぽい。
美濃新四国 今も活動継続中の霊場です。
お砂踏み
弘法堂を開けると、バインダー綴じ専用の御朱印に
せんこう(線香)ろうそく(蝋燭)の販売
美濃新四国のバインダーは一番札所の岐阜善光寺に行ってくださいとお知らせ中
弘法堂
御神籤を引いたら、まさかの 凶 だった。
今年二回目の 凶 です。
以前営業されていた飲み処
ちょうど、ほぼ満月が見えた🌕
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🌼仏眼院(ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡東町にある真言宗醍醐派の寺院である。不動山の上にある仏眼院です。🌸通称「前渡不動尊(まえどふどうそん)」。正式名称より通称で呼ばれる事が多く眼病治癒にご利益があると言われています。🌺前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼したと伝えられています。その報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名しました。
1890年(明治23年)、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除 の霊場となり1891年(明治24年)、京都市醍醐山にあった土御門天皇1203年(建仁3年)創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置し奉るっています。☘️1927年(昭和2年)、岐阜県の十名所に選ばれ現在の本堂は1900年(明治33年)に再建、1910年(明治43年)には鐘楼堂、1928年(昭和3年)に弘法堂を建立しました。🌼矢熊山山頂には高さ2メートルの開山碑「開山明心之碑」があり "承久の乱合戦供養塔(佛願院・前渡不動尊)" は、佛眼院参道の途中、矢熊山の山腹にあります。🌸承久3年(1221年)6月6日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦いました。前渡・まめど(各務原市前渡・承久記では「大豆戸」・吾妻鏡では「摩免戸」と表記)が、選ばれた理由が、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったからだ言われています。☘️幕府軍 総大将 北条泰時や三浦義村と朝廷側 総大将 藤原秀康や三浦胤吉(たねよし)などが睨みあった激戦地で昭和7年(1932年)の県道工事の際、「再宮寺」という小字地名が残っている矢熊山の西側から多数の五輪塔が出土しました。
🌷🌷前渡不動仏眼院境内にある "カフェドエピ" 🍝があります。駐車場は共用のようで何台でも止められます。
お不動さんとはちょっと雰囲気の違うカフェが登り口の横にありました。🌷🌷
〈アクセス〉
🚌各務原市ふれあいバス:稲羽線「前渡不動前」バス停下車。
🚃名鉄各務原線 各務原市役所前駅、三柿野駅より路線バスがある
🍁所在地 : 岐阜県各務原市前渡西町1975−1
"カフェドエピ" のボンゴレロッソ🍝
🌼仏眼院の御朱印
前渡不動山佛眼院
山道入り口があります。山頂まですべて舗装(階段ナシ)されているので楽に登ることができます。
1つ目の分岐があります。看板に「山頂右」と表示されています
承久乱合戦供養塔の由来 説明板
入り口を示す石碑
参道
前渡不動山佛眼院 本堂
駐車場の一角に建つ不動堂
八熊山山頂
八熊山山頂
境内にある "カフェドエピ" があります
境内にある "カフェドエピ" のパスタランチ🍝
境内にある "カフェドエピ" のBread🥪
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真言宗醍醐派の寺院。通称「前渡不動尊」(まえどふどうそん)
眼病治療にご利益があるとのこと。
承久3年(1221年)6月、承久の乱に際して、各務原市前渡は幕府軍と後鳥羽上皇軍の激戦地となった。(摩免戸の戦い)その供養搭が本堂に行く途中にあります。
今回は通常の御朱印を頂きましたが、承久の乱供養搭の御朱印もありました。
向かって左が社務所になっています
寺標
ここから上り坂スタート!
そこそこ急な上り坂です
あと少しかな?
途中にある承久の乱供養搭
茄子のベンチがありました🍆
山頂にある鐘楼
山頂からの眺めです
キレイでした。
歴史
1203年(建仁3年)に土御門天皇の祈願をうけて、
成賢が醍醐寺の東谷に醍醐寺塔頭として創建した。成賢は仏像を制作して安置した。
1868年(慶応4年)に旗本前渡坪内氏家臣・山本軍八郎の子である秀之助が、
17歳の時に目の病によって両目を失明してしたが、
成田不動(現・成田山新勝寺)に参籠して修行したところ不動明王の霊験によって
片目の視力が回復した。この恩を受け、秀之助は真言宗に帰依して出家し、明心と改名した。
1890年(明治23年)11月11日、矢熊山に明心によって仮の堂が築かれ、
明治時代になって堂宇を失い実態のない状態であった佛眼院の名を継承する。
1892年(明治25年)には厄除けの祈祷を始めたところ、参拝者が増えだした。
明心のように盲目者の眼が治ることや、諸病の平癒した人が多くうまれた。
次第に利益が開運厄除・無病長寿・良縁幸福・家内安全・家門繁栄・交通安全などと
広がっていった。
1927年(昭和2年)岐阜県の十名所に選ばれる。
現在の本堂は1900年(明治33年)に再建されたもので、
1910年(明治43年)には鐘楼堂、
1928年(昭和3年)に弘法堂が建立された。
名称 | 佛眼院 |
---|---|
読み方 | ぶつがんいん |
通称 | 前渡不動尊、前渡不動 |
参拝にかかる時間 | 約30〜40分 |
トイレ | あり 駐車場 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 058-386-9232 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
巡礼の詳細情報
美濃四国 第25番 | 御本尊:不動明王 |
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詳細情報
ご本尊 | 不動明王 弘法大師 |
---|---|
山号 | 矢熊山 |
院号 | 佛眼院 |
宗旨・宗派 | 真言宗醍醐派 |
創建時代 | 1203年(建仁3年) |
開山・開基 | 成賢(開山)明心(藤原秀之助)(中興)・土御門天皇(開基) |
文化財 | 各務原市指定文化財
|
ご由緒 | 1203年(建仁3年)に土御門天皇の祈願をうけて、
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体験 | 御朱印お守り札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 仏眼院(佛眼院、ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡西町にある真言宗醍醐派の寺院である。 |
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歴史 | 沿革[編集] 前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼。その報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名。 1890年(明治23年)、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除の霊場となる。 1891年(明治24年)、京都市醍醐山にあった土御門天皇1203年(建仁3年)創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置し奉る。 1927年(昭和2年)、岐阜県の十名所に選ばれる。 現在の本堂は1900年(明治33年)に再建、1910年(明治43年)には鐘楼堂、1928年(昭和3年)に弘法堂を建...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 名鉄各務原線 二十軒駅より約4km。 各務原市ふれあいバス:稲羽線「前渡不動前」バス停下車。 名鉄各務原線 各務原市役所前駅、三柿野駅より路線バスがある。 |
引用元情報 | 「仏眼院 (各務原市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BB%8F%E7%9C%BC%E9%99%A2%20%28%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E5%B8%82%29&oldid=102321698 |
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