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佛眼院ではいただけません
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ぶつがんいん|真言宗醍醐派矢熊山

佛眼院
岐阜県 三柿野駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

美濃新四国八十八ケ所霊場第25番札所
中濃新四国八十八ケ所霊場第4◯番札所(休止中)

佛眼院について

承久の乱では、木曽川をはさんで幕府軍と後鳥羽上皇軍が激しく戦った地として有名。
眼病治癒の御利益があるとされている。
美濃四国札所第二十五札所。

おすすめの投稿

シンくん
シンくん
2025年01月17日(金)
3232投稿

◯年ぶりの本堂巡りでした。
大河影響かわかりませんが、承久の乱供養塔の御朱印がお目見えしていたので、それも併せてお受けしてきました。
多分、7年くらいぶりでしょうか💦

線香と蝋燭、弘法堂に書き置き御朱印というのは、なんとなくの記憶
鐘楼堂にて鐘が付けることも覚えていませんでした。
知多四国巡ってから、様々な石像にも目を見張る機会も増えて
結構楽しい山登りでした。
夕景なので、降っていくと結構いい感じに暗くなってきたので足元だけはもつれて転ばない様に気をつけました。

佛眼院の御朱印

書き置き御朱印
直書きもあるという話はどこかで聞いた気がする。(駐車場前に詰めている時に書いて頂いたと誰かさんが言ってた)

佛眼院の御朱印

美濃新四国の専用御朱印

佛眼院の御朱印

承久の乱供養塔のカラー御朱印

佛眼院のお守り

佛眼院は、眼病平癒の祈祷もされているので、折角なのでおひとつ受けてきました。 300円

佛眼院の歴史
佛眼院の狛犬

開基塔の狛犬

佛眼院のお祭り

人形供養がある様です。

佛眼院の授与品その他

承久の乱供養塔御朱印のお知らせ

佛眼院の本殿

山道は辛いという方向け用の不動堂

佛眼院の建物その他

ここから登って行きます

佛眼院の建物その他

中濃新四国(今は活動休止中)の石柱

佛眼院の建物その他

弘法大師一千百年御遠忌記念の柱

佛眼院の自然

参道、なかなかの傾斜

佛眼院の歴史
佛眼院のお墓

供養塔
中央に地蔵菩薩立像

佛眼院の歴史
佛眼院の像
佛眼院の建物その他

山頂は間近

佛眼院の建物その他

茄子の椅子
腰かけて景色を見てもよし

佛眼院の建物その他
佛眼院の建物その他

千手観世音

佛眼院の建物その他

鎮守大◯◯

佛眼院の仏像

中央に不動明王像

佛眼院の地蔵

水子地蔵

佛眼院の手水

手水舎

佛眼院の建物その他

鐘楼堂

佛眼院の建物その他

寸志で鐘付きできました。

佛眼院の建物その他

南無三十六童子

佛眼院の狛犬

狛犬阿像

佛眼院の狛犬

狛犬吽像

佛眼院の建物その他

南無八大童子

佛眼院の歴史

縁起

佛眼院の建物その他

毘沙門堂

佛眼院の本殿

本堂
賽銭箱の上には、干支守りが幾つも置かれています。

佛眼院の仏像

本堂にて
賓頭盧尊者、大黒天

佛眼院の芸術

絵天井、これは知らなかったですね。

佛眼院の地蔵

斬られている地蔵?
身代わり地蔵かな?でも、重軽地蔵っぽい。

佛眼院の建物その他

美濃新四国 今も活動継続中の霊場です。

佛眼院の建物その他

お砂踏み

佛眼院の授与品その他

弘法堂を開けると、バインダー綴じ専用の御朱印に
せんこう(線香)ろうそく(蝋燭)の販売
美濃新四国のバインダーは一番札所の岐阜善光寺に行ってくださいとお知らせ中

佛眼院の建物その他

弘法堂

佛眼院のおみくじ

御神籤を引いたら、まさかの 凶 だった。
今年二回目の 凶 です。

佛眼院の建物その他

以前営業されていた飲み処

佛眼院の自然

ちょうど、ほぼ満月が見えた🌕

佛眼院の建物その他
佛眼院の建物その他
佛眼院の建物その他
佛眼院の建物その他
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🌷日向ぼっこ☀️🐇
🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年10月20日(金)
924投稿

🌼仏眼院(ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡東町にある真言宗醍醐派の寺院である。不動山の上にある仏眼院です。🌸通称「前渡不動尊(まえどふどうそん)」。正式名称より通称で呼ばれる事が多く眼病治癒にご利益があると言われています。🌺前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼したと伝えられています。その報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名しました。
1890年(明治23年)、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除 の霊場となり1891年(明治24年)、京都市醍醐山にあった土御門天皇1203年(建仁3年)創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置し奉るっています。☘️1927年(昭和2年)、岐阜県の十名所に選ばれ現在の本堂は1900年(明治33年)に再建、1910年(明治43年)には鐘楼堂、1928年(昭和3年)に弘法堂を建立しました。🌼矢熊山山頂には高さ2メートルの開山碑「開山明心之碑」があり "承久の乱合戦供養塔(佛願院・前渡不動尊)" は、佛眼院参道の途中、矢熊山の山腹にあります。🌸承久3年(1221年)6月6日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦いました。前渡・まめど(各務原市前渡・承久記では「大豆戸」・吾妻鏡では「摩免戸」と表記)が、選ばれた理由が、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったからだ言われています。☘️幕府軍 総大将 北条泰時や三浦義村と朝廷側 総大将 藤原秀康や三浦胤吉(たねよし)などが睨みあった激戦地で昭和7年(1932年)の県道工事の際、「再宮寺」という小字地名が残っている矢熊山の西側から多数の五輪塔が出土しました。

🌷🌷前渡不動仏眼院境内にある "カフェドエピ" 🍝があります。駐車場は共用のようで何台でも止められます。
お不動さんとはちょっと雰囲気の違うカフェが登り口の横にありました。🌷🌷

〈アクセス〉
🚌各務原市ふれあいバス:稲羽線「前渡不動前」バス停下車。
🚃名鉄各務原線 各務原市役所前駅、三柿野駅より路線バスがある

🍁所在地 : 岐阜県各務原市前渡西町1975−1

佛眼院(岐阜県)

"カフェドエピ" のボンゴレロッソ🍝

佛眼院(岐阜県)

🌼仏眼院の御朱印

佛眼院(岐阜県)

前渡不動山佛眼院

佛眼院(岐阜県)

山道入り口があります。山頂まですべて舗装(階段ナシ)されているので楽に登ることができます。

佛眼院(岐阜県)

1つ目の分岐があります。看板に「山頂右」と表示されています

佛眼院(岐阜県)
佛眼院(岐阜県)

承久乱合戦供養塔の由来 説明板

佛眼院(岐阜県)
佛眼院(岐阜県)

入り口を示す石碑

佛眼院(岐阜県)
佛眼院(岐阜県)

参道

佛眼院(岐阜県)
佛眼院(岐阜県)

前渡不動山佛眼院 本堂

佛眼院(岐阜県)

駐車場の一角に建つ不動堂

佛眼院(岐阜県)

八熊山山頂

佛眼院(岐阜県)

八熊山山頂

佛眼院(岐阜県)

境内にある "カフェドエピ" があります

佛眼院(岐阜県)

境内にある "カフェドエピ" のパスタランチ🍝

佛眼院(岐阜県)

境内にある "カフェドエピ" のBread🥪

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行事

大晦日 除夜の鐘つき

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1

歴史

1203年(建仁3年)に土御門天皇の祈願をうけて、
成賢が醍醐寺の東谷に醍醐寺塔頭として創建した。成賢は仏像を制作して安置した。
1868年(慶応4年)に旗本前渡坪内氏家臣・山本軍八郎の子である秀之助が、
17歳の時に目の病によって両目を失明してしたが、
成田不動(現・成田山新勝寺)に参籠して修行したところ不動明王の霊験によって
片目の視力が回復した。この恩を受け、秀之助は真言宗に帰依して出家し、明心と改名した。
1890年(明治23年)11月11日、矢熊山に明心によって仮の堂が築かれ、
明治時代になって堂宇を失い実態のない状態であった佛眼院の名を継承する。
1892年(明治25年)には厄除けの祈祷を始めたところ、参拝者が増えだした。
明心のように盲目者の眼が治ることや、諸病の平癒した人が多くうまれた。
次第に利益が開運厄除・無病長寿・良縁幸福・家内安全・家門繁栄・交通安全などと
広がっていった。
1927年(昭和2年)岐阜県の十名所に選ばれる。
現在の本堂は1900年(明治33年)に再建されたもので、
1910年(明治43年)には鐘楼堂、
1928年(昭和3年)に弘法堂が建立された。

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6
名称佛眼院
読み方ぶつがんいん
通称前渡不動尊、前渡不動
参拝にかかる時間

約30〜40分

トイレあり 駐車場
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号058-386-9232
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじあり
お守りあり

巡礼の詳細情報

美濃四国

第25番

御本尊:不動明王

詳細情報

ご本尊不動明王 弘法大師
山号矢熊山
院号佛眼院
宗旨・宗派真言宗醍醐派
創建時代1203年(建仁3年)
開山・開基成賢(開山)明心(藤原秀之助)(中興)・土御門天皇(開基)
文化財

各務原市指定文化財
・承久の乱合戦供養塔

ご由緒

1203年(建仁3年)に土御門天皇の祈願をうけて、
成賢が醍醐寺の東谷に醍醐寺塔頭として創建した。成賢は仏像を制作して安置した。
1868年(慶応4年)に旗本前渡坪内氏家臣・山本軍八郎の子である秀之助が、
17歳の時に目の病によって両目を失明してしたが、
成田不動(現・成田山新勝寺)に参籠して修行したところ不動明王の霊験によって
片目の視力が回復した。この恩を受け、秀之助は真言宗に帰依して出家し、明心と改名した。
1890年(明治23年)11月11日、矢熊山に明心によって仮の堂が築かれ、
明治時代になって堂宇を失い実態のない状態であった佛眼院の名を継承する。
1892年(明治25年)には厄除けの祈祷を始めたところ、参拝者が増えだした。
明心のように盲目者の眼が治ることや、諸病の平癒した人が多くうまれた。
次第に利益が開運厄除・無病長寿・良縁幸福・家内安全・家門繁栄・交通安全などと
広がっていった。
1927年(昭和2年)岐阜県の十名所に選ばれる。
現在の本堂は1900年(明治33年)に再建されたもので、
1910年(明治43年)には鐘楼堂、
1928年(昭和3年)に弘法堂が建立された。

体験御朱印お守り札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
仏眼院(佛眼院、ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡西町にある真言宗醍醐派の寺院である。
歴史
沿革[編集] 前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼。その報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名。 1890年(明治23年)、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除の霊場となる。 1891年(明治24年)、京都市醍醐山にあった土御門天皇1203年(建仁3年)創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置し奉る。 1927年(昭和2年)、岐阜県の十名所に選ばれる。 現在の本堂は1900年(明治33年)に再建、1910年(明治43年)には鐘楼堂、1928年(昭和3年)に弘法堂を建...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 名鉄各務原線 二十軒駅より約4km。 各務原市ふれあいバス:稲羽線「前渡不動前」バス停下車。 名鉄各務原線 各務原市役所前駅、三柿野駅より路線バスがある。
引用元情報仏眼院 (各務原市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BB%8F%E7%9C%BC%E9%99%A2%20%28%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E5%B8%82%29&oldid=102321698
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