えりじ|臨済宗妙心寺派|尾崎山
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり(大型4台・普通車40台) |
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大跡部神社から近くの恵利寺へ🚗💭
「美濃西国三十三観音」の第6番札所です。
天井に絵が描かれていました!
綺麗でした⭐️
御朱印頂きに伺った際、ちょっと迷いましたが、出てきて下さり、丁寧に対応頂きました🙇♀️
美濃西国三十三観音霊場 第7番の次は第6番の尾﨑山 恵利寺です。こちらも関市の武芸川町に在る臨済宗妙心寺派の寺院です。先の第7番から僅か2kmしか離れていません。
本尊は十一面観音菩薩です。
伝えによると749年に聖武天皇の勅命により開創、広大な伽藍を有していたが、1564年に織田信長の兵火に巻き込まれ灰燼と化した。その後の1662年に中興し、以降臨済宗の寺院となったとの事です。
南から寺院へ向かう道が2本あり、石柱も2柱あります。西側の道を北へ行くと山門、東側の道を北へ行くと観音堂です。
山門をくぐると手が入れられている庭があり、庫裡と本堂があります。右手の方へ行くと池があって、左へ曲がると石段。石段を上がると観音堂です。
内陣の真ん中は閉扉された十一面観音が祀られている厨子、右手に不動明王、左手に毘沙門天です。
この観音堂は平成10年来襲の台風により立木が倒れ被害を被り(奈良の室生寺の五重塔の被災をイメージ)、改修工事が行われています。仏像もしかりで、解体修理を行い、中でも不動明王と毘沙門天は当時の彩色に復元しています。
(私的には彩色復元は好みませんが。)
本堂に朱印が置いてあり、セルフで朱印を押印しました。
尚、山門の手前に10台位停めれる駐車場があります。
御朱印
西側の石柱
山門
庫裡
お庭
本堂
東側の石柱
池
鐘楼
手水
観音堂
観音堂の天井画
名称 | 恵利寺 |
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読み方 | えりじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0575-46-2065 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
美濃西国三十三観音霊場 |
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詳細情報
ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 尾崎山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 天平十七年(749) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
ご由緒 | 恵利寺は、聖武天皇の勅命により天平17年(749年)行基菩薩により開創された。その因縁を尋ぬるに、人皇第25代武烈天皇の御子大跡部王子は、父帝王の悪政を厭い、都を出でて、丹後千振の浜・伊勢国出輪の山中へと移り給うたが御心に適わず、ついに当地に御移りになり、十余年後の継体天皇20年(526年)7月23日に薨去され、王塚(現存)に埋葬された。星霜相移り聖武天皇の世、諸国を勧進中の行基菩薩は、帝王脳病に罹られ、危篤なることを知らされ、その平癒を祈願するため、天皇家因縁勝地跡部に梵刹を建立することを思い立ち、法華経一千部を石に書し、三方の山に埋め、6尺5寸に及ぶ十一面観音の尊像を彫まれ(現存)、丁重なる祈願法要を営まれた。よって帝王の脳病はたちまち快復されたという。天皇はこのことをことのほかお喜びになり、勅宣を以って広大な伽藍を造営され、自らの宸筆をもって「観自在王院」の勅額を下賜された。 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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