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ほうしゃくじ|高野山真言宗明王山

宝積寺
神奈川県 根岸駅

御朱印について御朱印
あり
限定
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御朱印帳
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巡礼

その他の巡礼の情報

東国八十八ヵ所霊場52番
横浜觀音三十三観世音霊場26番
横浜弘法大師二十一箇所13番
横浜磯子七福神の恵比寿様です。

歴史

鎌倉時代の創立で、寺號は寶積經に因んで名づけられたと云ふ。開基及び年紀は不詳。永正元年甲子中興し、永祿年中、僧賴順が再興したと傳ヘてゐる。
寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、石川寶生寺末、除地。と載せてある。當時は同寺門徒中、古跡坊上通に列し、本寺本山の代理を勤むる格式を備へてゐたと云ふ。明治維新當時までは、鎭守八幡宮・王子權現社・社護子社・稻荷社・第六天社・白山社・御嶽權現社の別當を兼帶してゐた。
又、境内に、太子堂もあつたが、其後廢絶した。
明治三年、白瀧不動堂を再興して、當寺の境外佛堂とした。
明治七年、元町增德院に轉屬し、大正十五年六月二十九日、更に大本山の直末となつた。

本尊は不動明王兩劍の不動といふ。の立像。高二尺餘、智證大師の作と云はれてゐる。

現今の堂宇は、本堂(桁行六間半、梁間五間半、四注造、草葺。)・庫裡(桁行六間、梁間五間、四注造、亞草葺。)・玄關(二間,一間半、亞沿葺。)・表門(瓦葺。)等である。

境内佛堂
藥師堂。(桁行二間、梁間二間半、草葺。)本尊は藥師如來、行基作、市内七藥師の一と稱ふ。延享二年、根岸領書上に、除地二畝十二歩、寶積寺抱と見え、新編武藏風土記に、見捨地、村の北にあり寶積寺持。
堂は六間に三間と載せ、明治三年の明細帳には、藥師堂一箇所、寺中に有と記し、同十二年の明細帳には境内佛堂一字藥師堂、建物間口三間、奥行二間と掲げてある。
境外佛堂
白瀧不動堂は同所字、瀧ノ上に在る。本尊は不動明王木造立像、長一尺一寸で、境内の懸崖の中段にあった井の中から出現したとも、或は加州の大岩不動尊と同木同作のものであるとも傳へるが、文祿年中に、草堂を建立して、元祿三年に神體を造立し、其本地佛の腹籠として、小社を建てゝ安置し、鄕中の鎭守としたと言ふ。
享和二年に再建の當時は、八幡宮と年番に祭禮を行つた。
元、當寺の進退する所であつたが、文政・天保の頃に、一旦は海照寺の持となり、明治三年、常寺の住持、亮全が中興してから、爾後再び當寺の境外佛堂となつた。
此堂宇は外陣、入母屋造、四間に二間半。
内陣、角屋二間四方、亞鉛葺。
大正十四年八月の造立である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
https://tesshow.jp/yokohama/isogo/temple_kami_hoshak.html

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名称

宝積寺

読み方

ほうしゃくじ

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号045-751-4300
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://houshakuji.jp/
SNS

巡礼の詳細情報

横浜磯子七福神

第5番

仏さま:恵比寿

詳細情報

ご本尊御本尊 両剣不動明王
千手観音 十一面観音
山号

明王山

院号

不動院

宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代

鎌倉時代

ご由緒

鎌倉時代の創立で、寺號は寶積經に因んで名づけられたと云ふ。開基及び年紀は不詳。永正元年甲子中興し、永祿年中、僧賴順が再興したと傳ヘてゐる。
寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、石川寶生寺末、除地。と載せてある。當時は同寺門徒中、古跡坊上通に列し、本寺本山の代理を勤むる格式を備へてゐたと云ふ。明治維新當時までは、鎭守八幡宮・王子權現社・社護子社・稻荷社・第六天社・白山社・御嶽權現社の別當を兼帶してゐた。
又、境内に、太子堂もあつたが、其後廢絶した。
明治三年、白瀧不動堂を再興して、當寺の境外佛堂とした。
明治七年、元町增德院に轉屬し、大正十五年六月二十九日、更に大本山の直末となつた。

本尊は不動明王兩劍の不動といふ。の立像。高二尺餘、智證大師の作と云はれてゐる。

現今の堂宇は、本堂(桁行六間半、梁間五間半、四注造、草葺。)・庫裡(桁行六間、梁間五間、四注造、亞草葺。)・玄關(二間,一間半、亞沿葺。)・表門(瓦葺。)等である。

境内佛堂
藥師堂。(桁行二間、梁間二間半、草葺。)本尊は藥師如來、行基作、市内七藥師の一と稱ふ。延享二年、根岸領書上に、除地二畝十二歩、寶積寺抱と見え、新編武藏風土記に、見捨地、村の北にあり寶積寺持。
堂は六間に三間と載せ、明治三年の明細帳には、藥師堂一箇所、寺中に有と記し、同十二年の明細帳には境内佛堂一字藥師堂、建物間口三間、奥行二間と掲げてある。
境外佛堂
白瀧不動堂は同所字、瀧ノ上に在る。本尊は不動明王木造立像、長一尺一寸で、境内の懸崖の中段にあった井の中から出現したとも、或は加州の大岩不動尊と同木同作のものであるとも傳へるが、文祿年中に、草堂を建立して、元祿三年に神體を造立し、其本地佛の腹籠として、小社を建てゝ安置し、鄕中の鎭守としたと言ふ。
享和二年に再建の當時は、八幡宮と年番に祭禮を行つた。
元、當寺の進退する所であつたが、文政・天保の頃に、一旦は海照寺の持となり、明治三年、常寺の住持、亮全が中興してから、爾後再び當寺の境外佛堂となつた。
此堂宇は外陣、入母屋造、四間に二間半。
内陣、角屋二間四方、亞鉛葺。
大正十四年八月の造立である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
https://tesshow.jp/yokohama/isogo/temple_kami_hoshak.html

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