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のうけいん・のうげいん|曹洞宗不焼山

能化院
京都府 木幡(JR)駅

通常非公開
節分、地蔵盆のみ開帳。

御朱印について御朱印
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駐車場
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nomuten
nomuten
2024年02月05日(月)
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京都の寺院/博物館巡りの3寺目は、京都市から南へ行った宇治市に在る不焼山 能化院です。
今回は3寺参拝と少ないですが、今回の寺院巡りの最後となります。
曹洞宗で、本尊は地蔵菩薩(秘仏)。
この本尊・地蔵菩薩坐像は重文で、毎年春の節分(今年は2月3日)に開帳されます。

伝えによれば、802年に法相宗の僧・延鎮の開基により当初は多聞山観音院本願寺と号した。998年に藤原道長が菩提寺となる浄妙寺建立のためにこの地を訪れて宿泊した際、夢枕に多聞天が立ち、寺に地蔵菩薩を安置せよと言われ、道長は延暦寺横川の僧・恵心僧都源信に命じて地蔵菩薩像を彫らせ安置し中興した。その後の1159年に平治の乱の兵火により木幡一帯は全焼したが、地蔵菩薩像だけが救い出され、二条天皇より不焼山能化院地蔵尊の号を賜った。1195年に源頼朝により再興されたが、1221年の承久の乱で再び寺は全焼するも、また地蔵菩薩像は焼け残った。地蔵菩薩像はこれら二つの兵火を免れたため不焼地蔵と呼ばれるようになった。1664年に曹洞宗宗仙寺4世・長訓により曹洞宗として再興されたとの事です。

通常は非公開寺院との事ですが、節分会法要の時のみ収蔵庫を公開(開帳)されるそうです。
法要が14~16時で、その前から開帳されているという情報があり13時前に到着。山門は閉じられたままで境内の様子はわかりません。収蔵庫は南の道路から見える所にありましたが、正面の門扉は閉まって入れません。横のお宅の方がいらっしゃたのでお聞きした所「収蔵庫の扉は開けられているから脇から入って拝んでこればいいですよ。」との事でしたのでその様にさせて頂きました。収蔵庫の中は祭壇の奥に地蔵菩薩坐像が祀られているのみ。地蔵菩薩坐像は、高さ約136cm、平安時代後期の作、右手に錫状、左手に宝珠を持ち、腹部に結び目があって腹帯に見えることから腹帯地蔵ともいわれます。胴体の割には頭がやや大きく、お顔は優しい。まぶたに漆が残っているのか黒く見えて、そのせいか腫れぼったく見えました。
誰もいらっしゃいませんので御朱印は頂いておりません。

拝観後は京都市内に戻り、京都国博の「特集展示 泉穴師神社の神像」を観に行きました。

能化院(京都府)

寺号柱

能化院(京都府)

山門

能化院(京都府)
能化院(京都府)

収蔵庫

能化院(京都府)
能化院(京都府)
能化院(京都府)

本尊・地蔵菩薩坐像(ネットから転載)

能化院(京都府)

オマケ 京都国博

能化院(京都府)
能化院(京都府)

特集展示 泉穴師神社の神像

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能化院の基本情報

住所京都府宇治市木幡中村13
行き方
アクセスを詳しく見る
名称能化院
読み方のうけいん・のうげいん
通称不焼地蔵(やけんじぞう)
参拝時間

通常非公開
節分、地蔵盆のみ開帳。

電話番号0774-31-5574
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊地蔵菩薩坐像(恵心僧都作)
山号不焼山
院号能化院
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代802年(延暦21年)
開山・開基坂上田村麻呂/延鎮僧都
文化財

地蔵菩薩坐像(重文)

ご由緒

能化院は、清水寺を開いた坂上田村麻呂が清水寺開山の延鎮上人を開山として、延暦21年(802年)開創したことに始まると伝えられている。当初は多聞山観音院本願寺と号していたが、長徳4年(998年)藤原道長が恵心僧都の彫った地蔵菩薩坐像を祀って再興している。後白河上皇(第77代)の近臣と源平対立が結びついた平治の乱(1159年)の際に、木幡一帯は武将・源義朝によって全焼する。だが、地蔵菩薩像だけが救い出される。その後、第78代・二条天皇より不焼山能化院地蔵尊の号を贈られたともいう。
 鎌倉時代、1195年、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝 により再興される。
 後鳥羽上皇(第82代)が鎌倉幕府討幕の挙兵をした承久の乱(1221年)で、都へ攻めた北条軍により寺は火を放たれ全焼した。この際に地蔵尊は焼け残ったという。
 江戸時代、1629年、本堂、庫裏が再建された。
 1664年、曹洞宗宗仙寺4世・長訓により曹洞宗として再興される。この時、地蔵尊が遷されたともみられている。
 現代、1956年、地蔵尊修造に際して「焼山能化院地蔵縁起」が発見される。
 1977年、収蔵庫が竣工する。
 藤原道長の子・頼通の正室・隆姫女王 が、地蔵尊に安産祈願したともいう。以来、安産・子安地蔵としても知られたという。

体験仏像重要文化財伝説
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