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ふくおうざん じげんじ|真言宗豊山派福王山

福王山 慈眼寺
公式東京都 新中野駅

参拝可能時間 7時〜16時半(目安)
※防犯上の観点より、基本的に青梅街道沿いの門を閉めております。
上記の時間であれば鍵はかかっておりませんので、ご自由にお入りください。

福王山 慈眼寺について

東京でタイの雰囲気を感じられるお寺


この慈眼寺にはタイ式の仏舎利塔が建立されております。タイ式の鐘つき堂もあり、東京にいながらにしてタイの雰囲気を感じることができます。

境内には青梅街道の拡充工事によって移設された沢山の石仏(馬頭観音像・地蔵菩薩像など)が安置されております。
元禄三年(1690)寛保二年(1742)宝永四年(1707)享保五年(1720)といったように江戸時代に造られた石仏もあり、遥かな歴史に思いを馳せることができます。

また、イチョウの木の下に建立されている氷川堂(ひかわどう)に安置された石像(幕末の時代の慈眼寺住職:覺順和尚 かくじゅんおしょう の像)を参拝すると、皮膚病などの病気が治るご利益があると言い伝えられております。
氷川堂と覺順和尚に関する歴史や伝説につきましては、慈眼寺WEBサイトをご覧ください。

なお、WEBサイトは月に1〜2回ほど、ブログを中心に頻繁に更新しております。年間行事や境内の植物、仏教に関するコラムなどを掲載しておりますので、ぜひご覧になってください。

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しし丸
2021年03月26日(金)
1248投稿

青梅街道沿い、中野坂上から新中野へ向かう間の右手、宝仙寺さんの少し先です。
知り合いから、眼に良いお寺だよ!(実際は、眼でなく、皮膚病と婦人病でした😓)と聞いていて、以前からお参りしたかったのですが、鉄門が閉まっていることが多いように思いますが、お彼岸中だったからか、開門されていたのでお参りさせて頂きました。

慈眼寺のサイトから、一部を引用させていただきました。

 慈眼寺の仏舎利塔の中には、釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)像と、タイ国の王立一級寺院ワットスラケットより請来された仏舎利(北インドにあるピプラーワーの大塔より、明治三十一年(1898)に出土した壺に納められていたもの)が納められているそうです。
ピプラーワーとは、お釈迦さまの出身地・カピラバストゥが存在した土地と考えられている場所です。

 慈眼寺先代の修補住職は、ワットスラケット寺院に法縁を得て、修行を続けてこられたとのこと。

 その後、ワットスラケット寺院より仏舎利を託され、昭和五十四年(1979)に仏舎利塔を建立され、続いて昭和五十六年(1981)年には、タイ式の鐘楼堂(しょうろうどう ※鐘つき堂)も建立されたとのこと。

 この仏舎利塔は、東京在住のタイ人からトーキョー プラパトム チェディー(東京で最初のタイ風仏舎利塔)と呼ばれ、信仰を集めているそうです。

なかなか珍しい場所を、お参りさせていただきました。

福王山  慈眼寺の建物その他
福王山  慈眼寺(東京都)
福王山  慈眼寺の本殿
福王山  慈眼寺の像
福王山  慈眼寺の本殿
福王山  慈眼寺の建物その他
福王山  慈眼寺の建物その他
福王山  慈眼寺の建物その他
福王山  慈眼寺の建物その他
福王山  慈眼寺の仏像
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福王山  慈眼寺の仏像
福王山  慈眼寺の地蔵
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福王山  慈眼寺の歴史
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歴史

福王山慈眼寺は、室町時代の天文十三(1544)年に創建されました。
創建当時は中野区中央二丁目にある堀越高等学校の間近にありましたが、江戸時代に現在の所在地(中央三丁目・青梅街道添い)に移転しました。

明治維新期の慶応四年(1868)に、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜の警護隊であった彰義隊(しょうぎたい)が旧本堂に立てこもって秘密裏に会合を行い、その際に隊士によって付けられた刀傷が旧本堂の柱に残っていたことが伝えられています。
この旧本堂は、文政・天保(1800年代前半)の間に建造されたと伝えられていますが、昭和二十年(1945)三月の東京大空襲によって消失してしまいました。
御本尊である聖観世音菩薩像は戦火から守られ、戦後新築した本堂の中で今日も大切にお祀りしております。

昭和五十四年(1979)には、新たに金色の仏舎利(ぶっしゃり)塔が建立されました。
仏舎利塔とは、仏舎利=お釈迦様のご遺骨を安置するための供養塔です。慈眼寺の仏舎利塔の中には、タイ国の王立一級寺院・ワットスラケットより請来された仏舎利(1898年、北インドにあるピプラーワーの大塔より出土した壺に納められていたもの)が納められています。
ワットスラケットに法縁を得て修行を続け、やがて仏舎利を託された慈眼寺の先代住職は、それを安置するためにこの仏舎利塔を建立するに至ったのです。
タイ式の仏舎利塔は日本国内の様々な土地に建立されていますが、東京都内で初めて建てられたのはこの塔と伝えられております。

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福王山 慈眼寺の基本情報

住所東京都中野区中央3-33-3
行き方

東京メトロ丸ノ内線 新中野駅 3・4番出口より徒歩四分
京王バス(中71系) 鍋屋横丁より徒歩三分
京王バス(中83系) 鍋屋横丁より徒歩一分ないし四分
都営バス(宿91・王78系) 鍋屋横丁より徒歩一分ないし四分

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名称福王山 慈眼寺
読み方ふくおうざん じげんじ
参拝時間

参拝可能時間 7時〜16時半(目安)
※防犯上の観点より、基本的に青梅街道沿いの門を閉めております。
上記の時間であれば鍵はかかっておりませんので、ご自由にお入りください。

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレお彼岸・お盆などの行事の際は大きな斎場(境内右側)、それ以外は小さな斎場(境内奥・藤棚横)のお手洗いを開けております。
御朱印なし
電話番号03-3381-4668
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://nakano-jigenji.or.jp

詳細情報

ご本尊御本尊 聖観音菩薩像

堂内には釈迦如来像・阿弥陀如来像・弥勒菩薩像など、
境内には馬頭観音像・地蔵菩薩像などの石仏もお祀りしております。
山号福王山
院号弥勒院
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代1544年(天文十三年)
ご由緒

福王山慈眼寺は、室町時代の天文十三(1544)年に創建されました。
創建当時は中野区中央二丁目にある堀越高等学校の間近にありましたが、江戸時代に現在の所在地(中央三丁目・青梅街道添い)に移転しました。

明治維新期の慶応四年(1868)に、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜の警護隊であった彰義隊(しょうぎたい)が旧本堂に立てこもって秘密裏に会合を行い、その際に隊士によって付けられた刀傷が旧本堂の柱に残っていたことが伝えられています。
この旧本堂は、文政・天保(1800年代前半)の間に建造されたと伝えられていますが、昭和二十年(1945)三月の東京大空襲によって消失してしまいました。
御本尊である聖観世音菩薩像は戦火から守られ、戦後新築した本堂の中で今日も大切にお祀りしております。

昭和五十四年(1979)には、新たに金色の仏舎利(ぶっしゃり)塔が建立されました。
仏舎利塔とは、仏舎利=お釈迦様のご遺骨を安置するための供養塔です。慈眼寺の仏舎利塔の中には、タイ国の王立一級寺院・ワットスラケットより請来された仏舎利(1898年、北インドにあるピプラーワーの大塔より出土した壺に納められていたもの)が納められています。
ワットスラケットに法縁を得て修行を続け、やがて仏舎利を託された慈眼寺の先代住職は、それを安置するためにこの仏舎利塔を建立するに至ったのです。
タイ式の仏舎利塔は日本国内の様々な土地に建立されていますが、東京都内で初めて建てられたのはこの塔と伝えられております。

体験仏像伝説
感染症対策内容

墓参用の桶などを置く場所の側や玄関に、アルコール消毒液を設置しております。

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