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ふくおうざん じげんじ|真言宗豊山派福王山

福王山 慈眼寺の御由緒・歴史
公式東京都 新中野駅

ご本尊御本尊 聖観音菩薩像

堂内には釈迦如来像・阿弥陀如来像・弥勒菩薩像など、
境内には馬頭観音像・地蔵菩薩像などの石仏もお祀りしております。
創建時代1544年(天文十三年)
ご由緒

福王山慈眼寺は、室町時代の天文十三(1544)年に創建されました。
創建当時は中野区中央二丁目にある堀越高等学校の間近にありましたが、江戸時代に現在の所在地(中央三丁目・青梅街道添い)に移転しました。

明治維新期の慶応四年(1868)に、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜の警護隊であった彰義隊(しょうぎたい)が旧本堂に立てこもって秘密裏に会合を行い、その際に隊士によって付けられた刀傷が旧本堂の柱に残っていたことが伝えられています。
この旧本堂は、文政・天保(1800年代前半)の間に建造されたと伝えられていますが、昭和二十年(1945)三月の東京大空襲によって消失してしまいました。
御本尊である聖観世音菩薩像は戦火から守られ、戦後新築した本堂の中で今日も大切にお祀りしております。

昭和五十四年(1979)には、新たに金色の仏舎利(ぶっしゃり)塔が建立されました。
仏舎利塔とは、仏舎利=お釈迦様のご遺骨を安置するための供養塔です。慈眼寺の仏舎利塔の中には、タイ国の王立一級寺院・ワットスラケットより請来された仏舎利(1898年、北インドにあるピプラーワーの大塔より出土した壺に納められていたもの)が納められています。
ワットスラケットに法縁を得て修行を続け、やがて仏舎利を託された慈眼寺の先代住職は、それを安置するためにこの仏舎利塔を建立するに至ったのです。
タイ式の仏舎利塔は日本国内の様々な土地に建立されていますが、東京都内で初めて建てられたのはこの塔と伝えられております。

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