御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月
法蔵院ではいただけません
広告

ほうぞういん|天台宗阿弥陀如来

法蔵院
東京都 根津駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-
名称法蔵院
読み方ほうぞういん
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3821-7463
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

山号阿弥陀如来
院号元導寺 法蔵院
宗旨・宗派天台宗
ご由緒

慶長3年、江戸の地に徳川幕府が開かれましたが、それに伴い江戸城の建設、市街地の拡張のため大工事が行われました。
法蔵院は、その工事により新たに造成された神田寺町に寺領を賜り、浅草の東光院末寺として、慶賢法印により開創されました。慶長16年(1611年)のことです。
その後、江戸の町は徳川幕府の中心地として発展を続け、人口も増加したため、神田寺町の寺院は他所に移されることになり、慶安元年(1648年)當山は谷中の現在地に移転しました。
同時期に、當山のほかにも多数の寺院が谷中に移転、また明暦の大火により焼け出された寺が谷中に集まり、今のような寺町が形成されました。現在、谷中の寺院の数は70ケ寺以上にのぼります。
當山の記録、書類などは戊辰戦争のおりに焼失してしまい、その歴史はつまびらかではありません。戊辰戦争では彰義隊が上野の山に籠り、そのため寛永寺の堂宇が灰盡にきしてしまいますが、上野の山に近い谷中の地においても、はげしい戦いが繰りひろげられました。このため谷中の寺々も大きな被害を受けました。
當山も、この戊辰戦争で被害を受け、またその後の廃仏毀釈の影響もあり、すっかり荒廃してしまいますが、明治中頃、忍道和尚により伽藍が復興されました。その後、幸いにも関東大震災、戦災の被害を免れ、堯貫、信雄和尚の代に本堂客殿の大修理、境内の整備が行われ、現在の寺観が整えられることとなりました。
(天台宗HPより)

神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ