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みょうこうじ|臨済宗建仁寺派 正覚山

妙光寺
京都府 宇多野駅

妙光寺について

野々村仁清のお墓


江戸時代の陶工家・野々村仁清のお墓がある。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年03月25日(水)3313投稿

さっき地震がありました。
震度3だそうですけど フラッシュバックしちゃいますね。阪神淡路大震災。
さてと 妙光寺は京都市右京区にあるお寺です。
仁和寺の御室八十八ヶ所霊場のあるお山の麓にあります。
山門前の駐車スペースは広いですが 参拝者はいません。
山門にも通行止めがあり 通常非公開寺院のようです。
立派な由緒書がありますので 特別拝観はあるのではないでしょうか。
境内は広く 自然も豊かです。
残念ながら本堂などをしっかり見ることはできませんでした。

ネット情報です。
山号は正覚山(しょうかくざん)
宗派は臨済宗建仁寺派
寺格は京都十刹八位
ご本尊は釈迦如来
創建年は弘安8年(1285年)
開山は心地覚心
開基は花山院師継
弘安8年(1285年) 当時の内大臣・花山院師継が長子の死を悼み その山荘を寺院として心地覚心を開山に迎えて創建した。
寺号は亡長男忠季の法名・妙光に由来。
堂内に中国渡来の印金裂(いんきんぎれ)を貼りめぐらせたという壮麗な印金堂(開山堂)を有し 花山院家の菩提寺として広大な寺域を誇った。
持明院統・大覚寺統の天皇家の継承争いの際 花山院家は大覚寺派として後の南朝と結び付いたため 妙光寺は大覚寺統の亀山天皇 後醍醐天皇 後村上天皇の勅願寺となった。
そのため 南北朝時代 建武年間には後醍醐天皇が三種の神器と共に妙光寺に逃れていたこともある。
さらに室町時代 嘉吉年間(足利義教の時代)にも三種の神器は妙光寺に奉安されていた(このため本堂には「神器の間」がある)。
その後 応仁の乱によって廃れた。
寛永16年(1639年) 建仁寺の三江紹益(さんこうしょうえき)が豪商・糸屋の打它公軌らの財政的支援を得て再興する。
糸屋らの支援は続き 江戸時代を通して末寺塔頭を複数かかえる大寺院として栄えた。
さらに糸屋から寺後背の山林が寄贈され巨大な境内を有する寺院となった。
しかし幕末の変革期に木戸孝允ら勤王派の一挙点となっていたことから ほとんどすべての塔頭が新撰組の焼き討ちを受け焼失してしまう。
幕末の住職が明治に入り暗殺されたことがさらに衰退に拍車をかけ無住となることが続いたため廃寺寸前となった。
またさらには明治政府方針の上地令により寺域の大規模な縮小を余儀なくされた。
その後 本堂は明治期に静岡県の鉄舟寺へ売却され(現在も本堂として健在) 山門は本山建仁寺の塔頭である建仁寺護国院(現・開山塔)に移築された。
山麓に位置する当寺は 度重なる風水害により名のみ残る荒寺となってしまう。
また南側の隣接地に宇多野小学校が建設され この名刹も巨大な校舎の陰に隠れてしまい世から忘れさられてしまった。
京都の名所として有名であった「印金堂」も昭和時代に倒壊し再建されなかった。
平成16年(2004年)より 本山建仁寺の修行僧達が中心となって寺域の整備が行われており 方丈の枯山水庭園 開山堂などが新たに建立された。
さいわいにも江戸時代からの庫裏と方丈(客殿)が残っていたため建仁寺より住職が派遣され 名刹再興に尽力している。

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妙光寺の情報

住所京都府京都市右京区宇多野上ノ谷町20
行き方

嵐電北野線宇多野駅より徒歩8分

妙光寺の基本情報

名称妙光寺
読み方みょうこうじ
参拝時間

通常非公開

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-463-0780

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~dai-san/myoukoji/index.html

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号 正覚山
宗旨・宗派臨済宗建仁寺派
創建時代弘安8年(1285年)
開山・開基開山:法燈国師無本覚心 開基:花山院師継
文化財

重要文化財
・黄地花入菱花鳥文唐綾九条袈裟(無本覚心相伝)
京都市指定有形文化財
・方丈

ご由緒

妙光寺花山院師継が長子忠季の夭折を悼み、別業を寺となし、弘安8年(1285)法燈国師を開山に迎えた。国師は入宋して無門彗開禅師の法を継ぎ、味噌醤油の醸法をもたらした。また、本朝普化宗の祖でもある。
 建武、嘉吉の二度、三種の神器が奉安され、神器の間がある。亀山、後醍醐、後村上の三朝勅願の寺で南朝と縁が深い。至徳3年(1386)十刹の一つとなる。応仁の乱後は荒廃したが、臨済宗建仁寺派となり、寛永16年(1639)中輿開山三江紹益和尚の下で豪商打它公軌が再興した。万冶3年(1660)には後水尾院の御幸があった。内壁に印金を総貼りした歌聖堂は世に印金堂として知られ、与謝蕪村が句を残している。
 維新の際に勤皇の志士の密議の場所となり、天章和尚の工作が明治政府成立の原動力となった。俵屋宗達の「風神・雷神図屏風」はもと当寺にあり、文政期に建仁寺に移された。山内には陶工野々村仁清の墓がある。

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