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ぜんとくじ|臨済宗妙心寺派東光山

善徳寺
栃木県 足利駅

善徳寺について

足利尊氏開基と伝わるお寺
前身は岩井山(勧農城跡)にあった千年寺

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2026年05月26日(火)730投稿

栃木県 足利市 大町に境内を構える、東光山 善徳寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼しております、2024 に足利三十三観音霊場 巡礼にて参拝致しました、足利地方は歴史在る建物が多く所在しており 寺院も見所在ります、寺院対応も良い寺院でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 東光山、寺号は 善徳寺、宗旨 宗派は 臨済宗 妙心寺派、ご本尊は 薬師如来、足利三十三観音霊場 第三十一番札所 札所ご本尊は 聖観世音菩薩、両野三十三観音霊場 第二十五番札所、當山の開基は、足利尊氏にして、開山は佛満禅師 北朝後 村上院の應安元年(紀元2028年)申九月 創建、鎌倉 圓覺寺の 佛満禅師が応安元年(1368年)に開山したといいます。佛満禅師は、円覚寺の 塔頭續燈庵や 北郷村田島光明寺も創建しています。
當山 安置の本尊 薬師如来は、今川了俊の父範國(禅師の實弟)の持念佛にして、恵心僧都の作、
範國は、正平二十年(貞治4年・紀元 2025年)四月晦日卒。年六十九。兄佛満禅師の示寂に先だつこと四年。
正平十三年(延文3年・紀元 2018年)四月、尊氏薨去の後、其の木坐像及び靈牌を安置すといふ。但し現在の坐像は、後代の作ならむ。靈牌には「等持院殿贈大相國一品仁山義公大禅定門」とあります。
當時、圓覺寺の直末となり、宿坊を續燈院といふ。尚『寺記』によれば、當寺は、代々頭堂職を賜はり、正平二十三年(應安元年・紀元 2028年)九月廿四日、開山示寂の後、二百數十年間、圓覺寺の末寺。
後陽成天皇の慶長五年(紀元 2260年)、徳川家康關ヶ原合戦の前、結城秀康小山に在りて、上杉景勝の進出を防止しようとするが、當山第十世丘甫和尚を陣中に召され、吉凶勝敗の卜を仰付けられ、吉卦を得しに、果して大捷し、秀康是れより、和尚を崇敬し、種々の下賜品ありしと言います。
中興の僧は、圭峯和尚。妙心寺末、出羽國 米澤法泉寺の分法にて、明正天皇の寛永十年(紀元 2293年)三月、當寺住職となり、後光明天皇の正保三年(紀元 2306年)十月廿一日、示寂せり。(過去帳)仁孝天皇の天保二年(紀元 2491年)正月、當寺は、足利學校と共に、火災に遭い、殿堂什寶等の多くの灰燼に期しました。
第二十一代 祐天和尚之が再建を志し、刻苦悴礪、遂に現在の大伽藍、其の他を竣工、現住柴田慈孝(曹庵)、寺門の繁榮と、法風の興隆とに努力し、享保十九年(紀元 2394年)、天慧和尚の代に作りし鐘及び諦宗の代建造せる鐘樓を、焼失したのを嘆き、再建を志し、大正十三年四月、鐘及び鐘樓の落慶式を擧行。
明治維新前には、寺内に常照庵・實島庵の二寺を後當寺に合併。當寺の定紋を〇二(足利紋)となすは、足利氏關係を示す爲ならむか。足利郡 毛野村 岩井本城の 地蔵堂あり。本尊は地蔵菩薩。明治四十四年六月、境内佛堂として、其の筋の許可ありました。尚地蔵堂には、「乳房地蔵尊」があり。丈六尺の石像なり。乳なき者祈願して、効驗著しと言います。その由緒不詳なるも、恐らく千年寺 関係の物と思われます

善徳寺の御朱印

足利三十三観音霊場 第三十一番札所 札所ご本尊は 聖観世音菩薩、

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善徳寺の基本情報

名称善徳寺
読み方ぜんとくじ
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0284-41-2890

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

詳細情報

ご本尊《本尊》東方薬師瑠璃光如来
《鎮守社》稲荷神社
《境外堂宇》乳房地蔵尊
山号東光山
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
創建時代応安元年(1368)九月
開山・開基(開基)足利尊氏 (開山)仏満禅師大喜法忻和尚
ご由緒

応安元年(1368)九月創建。
南朝正平十三年・北朝延文三年(1358年)四月、尊氏薨去の後、その木坐像および靈牌を安置すという。靈牌には「等持院殿贈大相國一品仁山義公大禅定門」とあり。現在の坐像は後代の作。
当時、鎌倉圓覺寺の直末となり宿坊を續燈院という。以後二百数十年、代々頭堂職を賜わり圓覺寺の末寺となる。
文禄5年・慶長元年(1596年)勧農(現在の岩井町)より当地に移転。これに先立つ1562年と1565年に渡良瀬川で大きな氾濫が起き、それまでは足利南部の下野・上野国境を流れていた渡良瀬川が大きく流路を変え、勧農の地を横切るようになったためと思われる。
慶長五年(1600年)、徳川家康が関ヶ原合戦の前、北からの上杉景勝の進出防止のため結城秀勝が小山に対陣した際、当山第十世 丘甫和尚が陣中に召され、吉凶勝敗を占ったところ吉卦を得て大勝したため、秀康の崇敬を受け種々の下賜品を賜わう。
天保二年(1832年)正月、足利学校と共に火災にあき、殿堂什器等の多くが灰燼に帰すが再建。
明治維新前には、寺内に常照庵・實島庵の二寺があったが合併。
岩井本城(勧農城)に地蔵堂があり「乳房地蔵尊」が祀られている。その由緒不詳なるも、当時が勧農にあった時の堂宇ではないかと云われている。
――――――――――
※乳房地蔵尊については当寺から南東におよそ2km、渡良瀬川の河川敷内にある岩井山(勧農城跡)にあります。
乳房地蔵尊の資料によると、勧農にあった時の善徳寺は「千年寺」と号する寺院だったとのこと。

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