御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。

【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

けんにんじ|臨済宗建仁寺派大本山東山

建仁寺(建仁禅寺)
京都府 祇園四条駅

・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日

御朱印(1種類)

建仁寺では、「建仁寺の御朱印」がいただけます。

建仁寺の御朱印

建仁寺の御朱印
建仁寺(建仁禅寺)の限定御朱印の情報を書き込む

限定御朱印の書き込みについて

御朱印・御朱印帳をもっと見る|
388
御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

建仁寺(建仁禅寺)について

教科書で絶対見たことがある風神雷神があるお寺


2枚の屏風全面に金箔が押され、右に風神、左に雷神が描かれている俵屋宗達晩年の最高傑作である『風神雷神図屏風』があることで有名なお寺です。
中では写真が撮り放題なので屏風や庭園など写真を撮りゆっくり楽しみながら参拝ができます。

おすすめの投稿

みち
みち
2025年05月14日(水)217投稿

建仁寺は建仁二年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えます。
その後、天文の大火により諸塔頭及び法堂が焼失したが、ようやく慶長4年(1599年)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈を移築し復興が始まり、徳川幕府移行後も保護を受け堂塔が再建修築され、制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。
         〜公式サイトより抜粋〜   
 
やはり、禅寺はピリッとした雰囲気があって良いですね。風神雷神図屏風は、少し残念でしたが、その分、庭園をゆっくり観賞させていただき、心穏やかな時間を過ごすことができ感謝です🙏

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

法堂①

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

法堂②

他9枚の写真を見る
もっと読む
投稿をもっと見る|
259

歴史

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。

歴史をもっと見る|
5

建仁寺(建仁禅寺)の情報

住所京都府京都市東山区大和大路四条下る四丁目小松町584
行き方

・ 京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
・ 阪急電車「京都河原町駅」より 徒歩10分
・JR京都駅より 市バス 206系統・100系統
・市バス「東山安井」より 徒歩5分
・市バス「南座前」より 徒歩7分
・市バス「祇園」より 徒歩10分
・「清水道」より 徒歩10分

建仁寺(建仁禅寺)の基本情報

名称建仁寺(建仁禅寺)
読み方けんにんじ
参拝時間

・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日

参拝料

500円、中高生300円、小学生200円

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号075-561-0190

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://kenninji.jp/
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

数珠巡礼

第24番

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号東山
宗旨・宗派臨済宗建仁寺派大本山
創建時代1191年(建仁2年)
開山・開基源頼家/栄西禅師
ご由緒

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。

体験
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ