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なんぜんじ|臨済宗南禅寺派

南禅寺のお参りの記録一覧
京都府 蹴上駅

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to_sun
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2024年12月15日(日)740投稿

【瑞龍山(ずいりゅうさん)南禅寺(なんぜんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:臨済宗南禅寺派
開基:亀山法皇

~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第29番~
 
 南禅寺は、京都市左京区南禅寺福地町に位置する。正式には太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と称する。南禅寺は、朝廷がふたつに分裂した南北朝時代に、南朝の発端となった亀山法皇(第90代 亀山天皇)が、離宮であった禅林寺殿を禅寺に改めたことがはじまりとされる。亀山法皇は、第88代 後嵯峨天皇(在位:1242-1246)の皇子であり、建武の新政の主役となる第96代 後醍醐天皇(在位:1318-1339)の祖父にあたる。後醍醐天皇は、建武の中興ののち南禅寺を大徳寺と並ぶ、五山の第一としている。建武の中興は2年半で足利尊氏につぶされてしまい、天皇はやむなく吉野に南朝をたてる。南禅寺は苦境となるが、後醍醐天皇が関東から夢窓疎石(むそうそせき)を呼んで南禅寺9世の住持としたことが幸運につながる。足利尊氏の深い帰依を受けることになったからだった。南禅寺の地位は五山の第一のまま、さらに三大将軍足利義満の時代、南禅寺は「五山之上」とされ別格扱いとなる。ところが、創建100年目を迎え、南朝が消滅した翌年、大火災で炎上する。また応仁の乱の兵火で壊滅的な打撃を受けた。その後、徳川家康の時代、以心崇伝(いしんすうでん)により再び隆盛を誇るようになる。以心崇伝は「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれ、家康の政治の有力なブレーンとして活躍した。しかし、明治維新によって徳川幕府が消滅し、廃仏毀釈の波が仏教寺院を襲うようになると、徳川幕府の出先機関も同然だった南禅寺は集中砲火を浴びることになる。たとえば境内を分断する琵琶湖疎水。1888(明治21)ごろの建造物。でも、今では赤レンガが周囲の緑に溶け込み、境内に近代の風情をつつましやかに添えていて、南禅寺に欠かせない観光資源となっている。
 
~『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』五木寛之(講談社、2003)~

 南禅寺へは、地下鉄東西線を利用しました。蹴上で下車、ねじりまんぽ(蹴上トンネル)から入り、先に塔頭(金地院、天授庵、最勝院)を廻り、そして南禅寺 方丈を拝観しました。南禅院は、屋根の葺き替え工事のため、拝観停止中でした。
 人気のお寺、人が多いです(海外の方も)。観光バスも多く、修学旅行も定番のよう。

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