しんしょうごくらくじ(しんにょどう)|天台宗|鈴聲山
真正極楽寺(真如堂)京都府 元田中駅
9:00~16:00(受付15:45まで)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
今回は京都市内の寺院巡りです。
先ずは、左京区に在る鈴聲山 真正極楽寺です。通称は真如堂。
天台宗で、本尊は秘仏・阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来立像は重文です。
秘仏本尊の開帳は毎年11月15日の1日のみ。
3年前の2021年11月15日に来たのですが、コロナの影響で開帳はするものの内陣に入れず、殆ど見えなかったためリベンジ参拝です。(前回分は投稿済ですので、宜しかったら見てやって下さい。)
皆さん多数投稿されていますので、縁起・歴史は割愛します。
何処もそうですが、今年は夏が暑過ぎて、暖冬でもあり、紅葉が遅いです。
こちらで撮った3年前の写真と見比べると歴然でした。
本尊開帳は毎年11月15日の1日のみと記載しましたが、厨子の開帳は11月5日~11月15日で、特に11月15日は厨子の真ん前まで行って本尊を間近に拝する事が出来ます。(公式HPを参照下さい。)
前回訪れた3年前はコロナ禍のため堂内下陣から拝する事しか出来ず、距離があって(10m以上)見上げなければならず、仏像があるな程度しかわかりませんでしたが、今回は内陣まで入れて(5m位)拝する事が出来ました。更に拝観料(500円)を納めると背中に「南無阿弥陀仏」と書かれた笈摺(おいずる)を着させて頂いて、厨子の前まで行って拝観です。厨子は右側面、正面、左側面の3方向の扉が開けられていて、右側の千手観音立像を観て、正面の阿弥陀如来立像を観て祭壇の護符を頂いて、左側の不動明王坐像をそれぞれ1m位の距離から拝する事が出来ました。
ーーー後日アップします。
総門(府指定文化財)
手水
三重塔(府指定文化財)
違う位置からもう1枚
本堂(重文)
開帳された厨子
左から不動明王、阿弥陀如来、千手観音
(ネットから転載)
本尊・阿弥陀如来立像(重文)
本堂を右斜め後から
萬霊堂
薬師堂
書院
本堂を左斜め前から
元三大師堂(府指定文化財)
弁財天
千体地藏堂
鎌倉地蔵堂
縣井(あがたい)観音堂
鐘楼(府指定文化財)
三千仏堂
奥の小さいお堂は?(石柱に大日如来と彫ってあった)
本堂を右斜め前から
茶所(中央の仏間に善光寺黒如来が祀られている)
頂いた護符
この日は雨でした。4月ですのできれいな新緑を見たくて 真正極楽寺とその塔頭をチョイスしました。
ビンゴ!!緑が雨で洗われてとてもきれいでした。
参拝者も少なくて 静かに落ち着いて境内を歩くことができました。
1日かけてのんびり巡ったので それぞれのお寺では それなりに長い時間雰囲気を楽しむことができました。
以前お参りした時は 金戒光明寺(近くにある大きなお寺)から続いてお参りしたため 塔頭についてはスルーしていたので 今回はピンポイントで巡ることもでき お話も伺うことができたので とても有意義でした。
参拝者が少ないということで メリット大でした。
山号は鈴聲山 宗旨は天台宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は永観2年(984年) 開山は戒算です。
由緒については
永観2年(984年) 比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって 延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである)。
正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民 特に女性の信仰を得てきた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失した。
本尊は応仁2年(1468年)比叡山黒谷青龍寺に 次いで文明2年(1470年)近江国穴太の宝光寺(穴太真如堂)に避難させた。
応仁の乱が終息すると文明10年(1478年) 一条西洞院に寺地を改めるが 文明16年(1484年)には旧地である神楽岡にもどって再建された。
明応2年(1493年) 真如堂の本堂が完成するが 永禄12年(1569年)将軍足利義昭の命によって一条通北に移転する。
しかし 天正15年(1587年) 今度は豊臣秀吉によって聚楽第建設のために京極今出川に移転する。
慶長9年(1604年)豊臣秀頼の寄進によって本堂が建立される。
寛文元年(1661年)本堂が焼失する。
元禄3年(1690年)に本堂が再建されるが 元禄5年(1692年)には再び本堂が焼失する。
元禄6年(1693年)東山天皇の勅によって現在地に移転し 再建される。
享保2年(1717年)に本堂が完成する。
とありました。
本堂何回も焼失していますが その度に再建されているのはすごいです。
総門(赤門)
石柱
境内へ続く
三重塔
鎌倉地蔵尊 殺生石
縁起
手水
本堂
由緒書
正面 中に入れます
扁額
本堂から見て
庭園拝観のため 本堂から書院へ
本堂裏手の庭
書院手前の手水
書院の入口
涅槃の庭
涅槃の庭 由縁
隨縁の庭
隨縁の庭 由縁
再び本堂へ
木組みがきれいです
三千佛堂
鐘楼
縣井観音堂
縣井観音堂 由縁
内陣
千體地蔵尊
沙羅の木
映画誕生の碑
由縁
傳教大師
大弁財天
赤崎辨天
由縁
永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建された。
名称 | 真正極楽寺(真如堂) |
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読み方 | しんしょうごくらくじ(しんにょどう) |
通称 | 真如堂 |
参拝時間 | 9:00~16:00(受付15:45まで) |
参拝料 | 大人500円(本堂・庭園)、中学生400円、(特別拝観時は1000円) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-771-0915 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://shin-nyo-do.jp/ |
京都十二薬師霊場 第5番 | 御詠歌: ある時は温石となる石やくし かすみの衣に 幾重おかみて |
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神仏霊場巡拝の道 |
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 鈴聲山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 永観二年(984) |
開山・開基 | 戒算上人 |
本堂 | 本瓦葺の入母屋造 |
文化財 | 法華経6巻(国宝)
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ご由緒 | 永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建された。 |
体験 | 御朱印お守り重要文化財武将・サムライ花の名所有名人のお墓札所・七福神巡り |
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