しんしょうごくらくじ(しんにょどう)|天台宗|鈴聲山
真正極楽寺(真如堂)のお参りの記録一覧
真正極楽寺(真如堂)(天台宗, 984年)
本堂(重文), 総門, 三重塔, 鐘楼, 書院庭園, 茶室, 薬師堂, 開山堂, 法華経6巻(国宝), 真如堂縁起(重文), 絹本著色普賢菩薩像(重文), 寒山拾得(重文), 京都映画誕生の碑, 安倍晴明蘇生伝説, 春日局の父 斎藤利三の墓
この日は雨でした。4月ですのできれいな新緑を見たくて 真正極楽寺とその塔頭をチョイスしました。
ビンゴ!!緑が雨で洗われてとてもきれいでした。
参拝者も少なくて 静かに落ち着いて境内を歩くことができました。
1日かけてのんびり巡ったので それぞれのお寺では それなりに長い時間雰囲気を楽しむことができました。
以前お参りした時は 金戒光明寺(近くにある大きなお寺)から続いてお参りしたため 塔頭についてはスルーしていたので 今回はピンポイントで巡ることもでき お話も伺うことができたので とても有意義でした。
参拝者が少ないということで メリット大でした。
山号は鈴聲山 宗旨は天台宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は永観2年(984年) 開山は戒算です。
由緒については
永観2年(984年) 比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって 延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである)。
正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民 特に女性の信仰を得てきた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失した。
本尊は応仁2年(1468年)比叡山黒谷青龍寺に 次いで文明2年(1470年)近江国穴太の宝光寺(穴太真如堂)に避難させた。
応仁の乱が終息すると文明10年(1478年) 一条西洞院に寺地を改めるが 文明16年(1484年)には旧地である神楽岡にもどって再建された。
明応2年(1493年) 真如堂の本堂が完成するが 永禄12年(1569年)将軍足利義昭の命によって一条通北に移転する。
しかし 天正15年(1587年) 今度は豊臣秀吉によって聚楽第建設のために京極今出川に移転する。
慶長9年(1604年)豊臣秀頼の寄進によって本堂が建立される。
寛文元年(1661年)本堂が焼失する。
元禄3年(1690年)に本堂が再建されるが 元禄5年(1692年)には再び本堂が焼失する。
元禄6年(1693年)東山天皇の勅によって現在地に移転し 再建される。
享保2年(1717年)に本堂が完成する。
とありました。
本堂何回も焼失していますが その度に再建されているのはすごいです。
総門(赤門)
石柱
境内へ続く
三重塔
鎌倉地蔵尊 殺生石
縁起
手水
本堂
由緒書
正面 中に入れます
扁額
本堂から見て
庭園拝観のため 本堂から書院へ
本堂裏手の庭
書院手前の手水
書院の入口
涅槃の庭
涅槃の庭 由縁
隨縁の庭
隨縁の庭 由縁
再び本堂へ
木組みがきれいです
三千佛堂
鐘楼
縣井観音堂
縣井観音堂 由縁
内陣
千體地蔵尊
沙羅の木
映画誕生の碑
由縁
傳教大師
大弁財天
赤崎辨天
由縁
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:984年(永観2年)
洛陽三十三所観音霊場 第5番札所
お釈迦さま涅槃の日。(旧暦2月15日)「涅槃図」を観せていただきにお参りしました。縦6メートル横4メートル。江戸時代、宝永年間に描かれたものです。かなり間近に観ることができました。感動です!お釈迦さまの手前で、嘆き悲しむ阿難さん。見目麗しい。😊人が悲しむ姿を美しいなどと表現するのはいかがなものかと思いますが、正直な感想です。
今日気になったのは、お釈迦の足に触れている老女。どなただろう。🤔いろいろな説があるということです。
「涅槃の庭」も必見。🙌無病息災がかなうという「花供曽(はなくそ)」あられいただきました。
【真如堂】
お寺さん用の御朱印帳を持ち歩く事を忘れていたため、御朱印は拝受せず。
令和になってからは、初めての参拝。何年ぶりやら、です。
時代劇の撮影場所になっていたりして、昔は時々訪れていたのですが最寄り路線のバス内が大変混雑するイメージがあり、今回も帰りはバスが混みすぎて乗れず、数本見送りました。
紅葉の名所なのでこれから余計に混雑しそうです。アフロ仏様がおられるお寺さん側から徒歩で参拝するほうが効率よく巡れるかなと、次回はそのルートを検討します。
別の神社さんですが錦林車庫バス停へ向かう途中に見つけました
参拝していないのですが、時間があるときにリベンジ参拝したいです
御朱印ではなく五芒星の護符?を拝受。
そのものを写真に載せて良いか分からず包みを写真に。
京都市左京区にあるお寺です。
山号は鈴聲山
宗旨宗派は天台宗
ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財)
です。
金戒光明寺の裏手にあります。
総門から本堂にのびる道を歩きながら ひときわ目を引くのが三重塔です。
重厚な造りは 平安時代から江戸時代にかけて造られた建物によく見られますが 黒白のコントラストはやはり素晴らしいです。
すぐわきには 鎌倉地蔵堂があります。
九尾の狐にちなんだ石を刻んで地蔵菩薩をつくり それを祀っている建物です。
夢のお告げや伝説の生き物など その時代にはいろいろ「あり」だったのですね。
本堂の横の苔むした庭には たてかわ桜という桜があります。
春日局が 父斎藤利三の菩提を弔うために植えたものだそうです。
樹皮が松のように縦に走っていることから その名がついたそうです。
隣に墓所もあるのですが 斎藤利三の墓を見つけることはできませんでした。
桜と紅葉が名所のお寺なので 春になったらまた伺いたいと思います。
こちら2度目
御朱印帳で
欲しいのがあったので
行ってきました!
緑が美しい😊
前に御朱印頂いた時は、
字が綺麗で、惚れ惚れしました!
なので、よく覚えています。
前のと字が違ったけど、
今回のも上手!
御朱印帳は、
ややこしかったのか
どう 言うてはったか、
忘れてしまいましたが、
お寺のだけに統一したとかで、
なかったので、買いませんでしたw
シンプルな花手水
それはそれで、綺麗ですね😊
狛獅子さん?
狛犬はどこに?
このお花も、もう終わり
雫がついて綺麗やったので。
菩提樹の花が咲いているとニュースで見たので行きましたが、遅かったですꉂ🤣𐤔
でも
沙羅双樹(夏椿)と紫陽花が綺麗でした
菩提樹
お釈迦さまが菩提樹の下で「悟りを開いた」ということで知られています
その由来から、寺院の庭園などによく植えられています。
お釈迦さまが実際に悟りを開いたのは
桑科で熱帯樹の「インド菩提樹」の下だそうで
今の「菩提樹」とは違うそうですが…。
お釈迦さまが亡くなったのは、沙羅双樹の木の下だそうです。
日本では、耐寒性の弱い沙羅双樹は育たないので、「夏椿」のことを沙羅双樹として扱うことが多いそうです。
通称寺の御朱印を頂きました。
沙羅双樹(夏椿)
菩提樹
京都府のおすすめ2選🍠
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