しんしょうごくらくじ(しんにょどう)|天台宗|鈴聲山
真正極楽寺(真如堂)のお参りの記録一覧(3ページ目)
くろ谷さんまで来たんで真如堂。
16日の送り盆に精霊送り供養会があります。
真☆如
塔の修理おわってた。
本日の花手水。
流石に暑いんで境内に人おらぬ。
_(:3」∠)_
真如堂ちょい散歩。
夏の花と手水舎と。
門をくぐると夏の花が出迎える。
花手水。
日本最初の映画がここで撮影されたことを記念する碑。てか前はもっと奥のほうにひっそり建ってなかったか。
前回に引き続き、今回は真如堂の本堂より。
安倍晴明「閻魔王宮決定往生印」。
(おふだ)
真如堂は本尊左脇の不動明王は安倍晴明公の念持仏。
晴明公が30代の時に一度亡くなられた際(※死んだ人が生き返るのは平安京ではよくある話なので・・・)、閻魔様の元にこの不動明王が訪れ、「この者はまだ現世でやることがあるのでまだ死なすわけにはいきません」と、現世へ連れ帰ったそうで。
その際に閻魔大王から授かった、天寿を全うすることを約束する印、とのこと。
話の真偽はともかく、真如堂は安倍晴明公の念持仏の寺であるご縁でこのようなものを授与しております。
塔の脇に建つお堂は晴明公の子孫・泰親が妖狐「玉藻前」を退治した際の「殺生石」を砕いたもののうちの1つが納められているとされる。
そしてオサレ花手水。
真如堂の紅葉。
今日でだいたい3割くらいですが色付いているものは既にしっかり赤くなってます。
この時期はいつ行っても外しがないので紅葉狩りにはオススメスポット。
かけつけ三連で塔を撮る。
次第に色付く境内の様子。今日でだいたい3割くらい。
色付く最中の美しいグラデーションも今だけのお楽しみ。
神仏霊場の御朱印を頂きに参りました。
ここへは行ったことが無かったので銀閣寺からバスに乗ってやって来ましたが、なんと東参道から入る事となり、急な坂道を登った途中に階段があり、えっちらおっちらやって来ました。
広くて静かでした。
桜もチラホラと咲き始め、もう特別拝観の時間も最終受付で入りました。大きな涅槃図には猫が描かれていたので江戸期以前の掛け軸なのかな?
頂いた「花供曽」、もしかして鼻クソの語源ってこれ?って失礼な事を考えていました。
散華が施された手水鉢が鮮やかでした。
こちらの絵馬は五芒星。ご本尊の一つでもある不動明王が安倍晴明の念持仏であったという由来から来ているようです。
東から入って西から出たのですが帰りはほぼ感で坂道をゆるゆると降りながら帰ってゆき、目指す大通りまで出たころには膝が(苦笑)
位碑殿
真如堂 総門(赤門)
三重塔
万霊堂
殺生石鎌倉地蔵尊
元三大師堂
新長谷寺
たてかわ桜
紅葉の名所でありつつ意外と穴場になっている真如堂こと真正極楽寺さん。
お参りさせていただいたときは紅葉の時期としてはちょっと遅かった感がありますが、それでも非常にキレイな紅葉を楽しませてもらいました。
境内に伝教大師様の像がありましたが、最澄さんは自分が崇拝対象になってしまい仏法そのものがおろそかになるのを恐れて、天台宗開祖たる自分の像をつくらないように、と言い残されたそうです。
とはいえ最澄さんを敬愛する方々によって、やはり言葉だけではなく形でもしっかりと最澄さんの績・遺徳を後世に残すこととなり、像がつくられたそうです。
最澄さんのような非常に高い能力を持ちながら、偶像になることを恐れ、仏法そのものを後々の世へ伝えようとされた方がいらっしゃるんですね。さらに必要とあれば、空海さんにも教えを乞う。
比叡山から日本仏教の新たな動きがいくつも生まれ、新仏教と呼べる開祖の方も何人も生まれたのは、初代が最澄さんが、自らを神格化させるような傲慢さとは対極に位置される方だったことも大きな理由ではないかと思います。
随縁の庭
随縁の庭
随縁の庭
涅槃の庭
涅槃の庭
涅槃の庭
英語の小ネタをすこし・・・
・離宮:the detached palace
直訳すると「切り離された宮殿」となります。
・応仁の乱:the Onin Wars
ほかで使われている「応仁の乱」の英訳も the Onin Wars という複数形になっていました。やはり断続的に war が起きているという認識なのだとおもいます。
・ご本尊:the principal image
ほかにも main image などの訳をよく見ます。image は「像」を意味します「画像」「想像」「仏像」など全部同じで「目でみえる」という感覚です。
・法華経:the Lotus Sutra
仏教用語はサンスクリット語由来ですが、法華経のこの英訳は比較的広く浸透している感があります。英語圏の人でも知っている人は多いです。
紅葉の名所であり、「涅槃の庭」が有名なこちらへ。三井家菩提寺でもあり、中興の祖である三井高利をはじめ、広岡浅子の父・高益ら一族の墓がある。『土佐堀川』では、浅子と五代友厚が出会うのがここ。ただし、ドラマとは違って五代が亡くなる晩年の頃の話だ。
経営する筑豊の加島炭鉱が爆発事故に見舞われた後、憔悴した姿で、実家・出水三井家の祖高春(三井高利の十男)の百五十回忌へ参加した浅子。そこに五代が唐突に(本当に唐突に)「へこたれたらあかんで…仕事は命がけや。死んでも仕事が残る、そういう仕事をせなあかん…」と声をかける。3ページに満たないようなシーンであり、朝ドラを見てからこの原作を読むと、幕末の若い頃に、たとえば堂島米会所で邂逅するような展開はまったく書かれておらず、実はたいして二人は親しくもない関係で、だいぶドラマは脚色してるんだなとわかる。
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