しんしょうごくらくじ(しんにょどう)|天台宗|鈴聲山
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楽しみ方真正極楽寺(真如堂)のお参りの記録一覧
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毎年10/14-16の間に引声阿弥陀経会が開かれてる真正極楽寺(真如堂)に行ってまいりました。
と言っても、引声阿弥陀経自体は9〜10時の間しか読まれてなかったらしく、訪れた際は静まり返っておりました。
ただ今回の目的である、引声阿弥陀経会の間ご開帳されている摩多羅神の像を見ることはできました。(撮影禁止のため画像なし)
摩多羅神像は、有料拝観できる本堂内陣の左側奥に祀られていました。
小さな金色の皿や祭具が乗せられた祭壇の真ん中に、こじんまりとした厨子が置かれており、その中に30cm程の大きさの像を見ることができました。
像の前には、摩多羅神の説明書きがありましたが、あると知ってないとわからないでしょうね、これは。



この日は雨でした。4月ですのできれいな新緑を見たくて 真正極楽寺とその塔頭をチョイスしました。
ビンゴ!!緑が雨で洗われてとてもきれいでした。
参拝者も少なくて 静かに落ち着いて境内を歩くことができました。
1日かけてのんびり巡ったので それぞれのお寺では それなりに長い時間雰囲気を楽しむことができました。
以前お参りした時は 金戒光明寺(近くにある大きなお寺)から続いてお参りしたため 塔頭についてはスルーしていたので 今回はピンポイントで巡ることもでき お話も伺うことができたので とても有意義でした。
参拝者が少ないということで メリット大でした。
山号は鈴聲山 宗旨は天台宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は永観2年(984年) 開山は戒算です。
由緒については
永観2年(984年) 比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって 延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである)。
正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民 特に女性の信仰を得てきた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失した。
本尊は応仁2年(1468年)比叡山黒谷青龍寺に 次いで文明2年(1470年)近江国穴太の宝光寺(穴太真如堂)に避難させた。
応仁の乱が終息すると文明10年(1478年) 一条西洞院に寺地を改めるが 文明16年(1484年)には旧地である神楽岡にもどって再建された。
明応2年(1493年) 真如堂の本堂が完成するが 永禄12年(1569年)将軍足利義昭の命によって一条通北に移転する。
しかし 天正15年(1587年) 今度は豊臣秀吉によって聚楽第建設のために京極今出川に移転する。
慶長9年(1604年)豊臣秀頼の寄進によって本堂が建立される。
寛文元年(1661年)本堂が焼失する。
元禄3年(1690年)に本堂が再建されるが 元禄5年(1692年)には再び本堂が焼失する。
元禄6年(1693年)東山天皇の勅によって現在地に移転し 再建される。
享保2年(1717年)に本堂が完成する。
とありました。
本堂何回も焼失していますが その度に再建されているのはすごいです。






宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:984年(永観2年)
洛陽三十三所観音霊場 第5番札所
お釈迦さま涅槃の日。(旧暦2月15日)「涅槃図」を観せていただきにお参りしました。縦6メートル横4メートル。江戸時代、宝永年間に描かれたものです。かなり間近に観ることができました。感動です!お釈迦さまの手前で、嘆き悲しむ阿難さん。見目麗しい。😊人が悲しむ姿を美しいなどと表現するのはいかがなものかと思いますが、正直な感想です。
今日気になったのは、お釈迦の足に触れている老女。どなただろう。🤔いろいろな説があるということです。
「涅槃の庭」も必見。🙌無病息災がかなうという「花供曽(はなくそ)」あられいただきました。
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