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ずいしゅんいん|臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭万年山

瑞春院
京都府 鞍馬口駅

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四季
四季
2023年04月25日(火)
495投稿

瑞春院

相国寺塔頭
瑞春院は相国寺西南に位置し、作家・水上勉氏が禅の修行に雛僧としてここで修行し、その体験をもとに小説「雁の寺」を著したことで有名です。

雁の寺は室町幕府第3代将軍足利義満が臨済宗の僧・太清宗渭(たいせいそうい)を相国寺に迎える為に 雲頂院を創設したのが起源です。
その後兵火に遭い、亀泉集證(きせんしゅうしょ)が開いた瑞春軒と併寺しました。1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失。その後再建されました。1898年(明治31年)に名称が瑞春院になりました。

本堂の御本尊は6代将軍足利義教が寄進した平安時代の木像仏で、雲上来迎の姿は他に例をみません。
表千家の不審庵を模した茶室「久昌庵」(名工・諸冨厚士氏作・寄進)は、室町時代の石組みがそのまま残っている枯山水の雲頂庭、池泉回遊式の心字池がある雲泉庭などがあります。
また、茶室「久昌庵」の横にある水琴窟の音は、癒しそのもの。

庭園
瑞春院の庭は大きく南側の枯山水「雲頂庭」と北側の池泉庭園「雲泉庭」に分かれます。
方丈
今尾景年筆「孔雀の襖絵」、上田萬秋筆「雁の襖絵」など。
夢窓国師の作風を取り入れた室町時代風の池泉回遊式庭園。
約1千坪の庭の中央に心字型の池を配し、東側には観音霊場にみたてた33個の赤石の滝組。
京都の街中とは思えない静けさ。草木が綺麗に手入れしてあり、夏萩が咲いていました。
雲泉庭に面して建つ茶室「久昌庵」は表千家の不審庵の写です。 この茶室への入口のつくばいが水琴窟となっています。

水上勉さんは、襖の孔雀(今尾景年筆)の親子絵を見て、自分と故郷の母を重ね、この絵を思い起こして「雁の寺」を書かれたそうです。
しかし実際はこの孔雀を雁と間違えてかいたことが、直木賞受賞後この寺を訪れてはじめて分ったそうです。当時雛僧では入ることのできなかった隣の「上官の間」に、本当に鴈(上田萬秋筆)の襖絵があるのを見て、背筋に水が流れたように感じられた、とも。

書院
内部には、相国寺第115世の維明周奎の筆に拠る、豊干禅師の絵が。庫裡で見かけたつがいの鶏を描いた杉戸絵や、ひょうたん型にくりぬかれたつくばいもありました。

特別拝観については、京都市観光協会のホームページに掲載されていましたが、平成22年の「京の夏の旅」での公開以降は公開されていなかったため、すっかりお参りから遠ざかっていました。皆さまのご投稿を拝見して、来春の特別拝観にお伺いできればと思います。

~・~・~・~
相国寺
水上勉の小説「雁(がん)の寺」で知られる瑞春院、鶯宿梅(おうしゅくばい)のある林光院、足利義政の菩提寺の普広院(ふこういん)など、境内には13の塔頭寺院があり、鹿苑寺(金閣寺)と慈照寺(銀閣寺)は山外塔頭です。
相国寺の「相国」は「宰相」の意で、室町幕府の権勢の寺でした。
相国寺は、祖父の尊氏が天竜寺を、亀山上皇が南禅寺をつくったのにならい、ときの三代将軍足利義満が「花の御所」の隣に、一大禅刹をつくろうとしたのが始まりで、明徳3年(1392)に創建されました。
義満は禅宗寺院を統括管理するための僧録司(そうろくし)を寺内の鹿苑院(ろくおんいん)に置いたため、将軍と直結した寺院として大きな力を持つに至ります。
義満は応永6年(1399)に相国寺東側に高さ約110mといわれる七重塔を建てて盛大な落慶法要を営みます。しかし4年後には落雷により大塔は焼失、再建、再焼失します。
応仁の乱では東陣が占拠したため苛烈な攻防戦が繰り広げられ、伽藍の大半が焼失しました。応永13年(1404)、自身が住んでいた北山殿(金閣寺の前身)に塔を再建します。
現在の境内には、足利義政の墓碑が建てられています。
至徳3年(1386)に幕府は南禅寺を五山の上として格上げし、相国寺を天龍山につぐ第二位に列しました。
足利義満は禅宗寺院を統制して僧侶の人事を管理する僧録司の職を相国寺におき、住持が兼務しました。
応仁の乱において相国寺は東軍の陣となり兵火で伽藍は全壊します。
その後も、再建全焼をくり返し文化年間(1804~18)に 今日の伽藍となりました。
16世紀の京都は、宗派対立から寺院が襲撃された「天文法華(てんぶんほっけ)の乱(1536)」が起き、混乱が続いた時期で、戦国期の寺院で区画ごとの掘割があるのは、他に東寺があります。

~・~・~・~
昨夜急に 水上勉さんの『一休』を読みたくなりました。
ここでいう一休とは、室町末期の乱世を生きた禅僧一休宗純和尚をいう。この人に関心をよせる理由は~ から始まります。

ふと忘れていた御朱印を思い出し、記録しておくことにしました。

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「有漏路(うろじ)」とは迷い(煩悩)の世界、「無漏路(むろじ)」とは悟り(仏)の世界を指す。

〒602-0898
京都市上京区今出川烏丸東入相国寺門前町701

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歴史

足利義満が雪村友梅禅師の法嗣太清宗渭(相国寺第四世住持)を相国寺に迎請するため、その禅室として雲頂院を創設したのが始まりです。その後雲頂院は兵火で罹災し瑞春軒と併合し、瑞春軒は蔭涼軒日録を編集した僧録司の権威、亀泉集證が文明年間(1484年)に創設するも天明年間に焼失。弘化から嘉永まで(1845~1849年)の間に再建され、その後客殿を棄却したが、明治31年(1898年)再興完成し、今日の瑞春院にいたります。

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瑞春院の基本情報

住所京都府京都市上京区相国寺門前町703
行き方

地下鉄烏丸線『今出川駅』下車徒歩3分
京都市バス『烏丸今出川』下車徒歩3分
京都市バス『同志社前』下車徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称瑞春院
読み方ずいしゅんいん
通称雁の寺(がんのてら)
参拝時間

通常非公開

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-431-3703
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀三尊佛
山号万年山
院号瑞春院
宗旨・宗派臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭
開山・開基足利義満(雲頂院)、亀泉集證(瑞春軒)
ご由緒

足利義満が雪村友梅禅師の法嗣太清宗渭(相国寺第四世住持)を相国寺に迎請するため、その禅室として雲頂院を創設したのが始まりです。その後雲頂院は兵火で罹災し瑞春軒と併合し、瑞春軒は蔭涼軒日録を編集した僧録司の権威、亀泉集證が文明年間(1484年)に創設するも天明年間に焼失。弘化から嘉永まで(1845~1849年)の間に再建され、その後客殿を棄却したが、明治31年(1898年)再興完成し、今日の瑞春院にいたります。

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