くわのみでら|天台宗|繖山
桑實寺滋賀県 安土駅
午前9時~午後5時
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楽しみ方
観音正寺から観音寺城跡を経て桑實寺へ。山林を進んでいき、なかなかの林道。よくよく考えたら1200段400m超の山を降りるのだから相応に長い道のりになるのは当然か・・・😭こちらは観音正寺表参道よりもさらに人が通っていない感じで落ち葉も結構あり、また谷沿いに参道(林道?)があるので滑ったら・・・😱😱😱多分助けも来ないだろうなぁとかちょっと恐怖を感じながらテクテク。雨の後とかは絶対来たらアカンやつです😭途中倒木が横たわっており、乗り越えたりしながらようやく入口らしきものを発見。ちょうどこれから登って行こうとされている方にお会いしました😅
入口(登山道?)すぐに大師堂(経堂)があり、信長公の建立とあります。まあ明治に風水害で大破しているので再建ですが。信長公って叡山焼き討ちイメージがあるので天台嫌いなのかと思いきや意外と再建に協力してるんですね😲そして安土には天台寺院が結構多い。滋賀は坂本以外は天台寺院少ないのでちょっと驚きです。その代わり真宗寺院が少ないですがやっぱり真宗=一向宗だからかですかね😅本堂に伺う前に事務所で拝観料を納め、御朱印をお願いいたしました。めちゃ種類が多く祀られている仏様のほとんどの御朱印が墨書と御影付き見開きのものがありました😲全部は・・・無理😅本堂お参りし、御本尊のお薬師様(秘仏)など堂内多数の仏様をお詣りし、後にしました。と言ってもここからの階段参道もまた長い😱まあところどころ紫陽花がきれいに咲いていたので観音正寺表参道よりはまだ降りやすかったかも。途中塔頭三院と地蔵堂もお参り。入口には出雲神社の石塚もありました。

桑實寺の創建は古い。天智天皇のむかしに遡る。当時、琵琶湖周辺に流行した疫病平癒のために薬師如来を安置したことにはじまる。白鳳六年(678)十一月八日、藤原鎌足の長子定恵和尚の開山による。その甲斐あってか、流行病に侵されていた阿閉(あべ)皇女も平癒し、慶雲四年(707)に桑實寺へ行幸している。以後、当寺は朝廷から保護され続け、二院十六坊を擁する寺院として隆盛を極めたのである。
時代は下り、戦国時代へと移る頃、当寺の建つ繖(きぬがさ)山に城(観音寺城)を築いた佐々木氏によって文明十五年(1483)、三重塔が建立されている。
応仁の乱以来、京では争乱が絶えず、足利幕府の権威も失墜し、将軍も名ばかりとなっていた大永元年(1521)、十二代将軍に足利義晴が就いた。しかし義晴は、京を支配する細川氏との和が成らず、佐々木(六角)定頼を頼って近江へと移ったのである。義晴は佐々木氏の庇護下ここ桑實寺において三年間にわたり幕府を開いたのである。
そして戦国時代も新しい展開を見せはじめる。永禄十一年(1568)、織田信長による近江制圧と上洛である。六角佐々木氏は排除され、寺領も一旦は没収されはしたが信長によって回復されている。
天正九年(1581)四月、信長の竹生島参詣の留守中、安土城の女房衆が息抜きであろうか、城を出て当寺へ詣でたのである。これが信長の怒りをかい、寺に詣でた女房衆は寺の長老もろとも成敗されたという悲惨な出来事もあった。
その後、戦災も受けることなく現在に至っているが、なぜか天災と火災によって堂宇が減少し続け、今では本堂と正寿院、千光院、宝泉坊を残すのみである。
| 住所 | 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺292 |
|---|---|
| 行き方 |
| 名称 | 桑實寺 |
|---|---|
| 読み方 | くわのみでら |
| 通称 | 桑実寺 |
| 参拝時間 | 午前9時~午後5時 |
| 参拝料 | 大人300円、子供150円 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 0748-46-2560 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 西国薬師四十九霊場 第46番 | 御真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
|---|---|
| びわ湖百八霊場 第71番 | ご本尊・ご祭神:薬師如来 |
| 近江湖東二十七名刹霊場 第18番 | ご本尊・ご祭神:薬師如来 |
| ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
|---|---|
| 山号 | 繖山 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 白鳳六年(677) |
| 開山・開基 | 天智天皇勅願 開山:定恵和尚 |
| 本堂 | 入母屋造檜皮葺 |
| 文化財 | 本堂 重要文化財 |
| ご由緒 | 桑實寺の創建は古い。天智天皇のむかしに遡る。当時、琵琶湖周辺に流行した疫病平癒のために薬師如来を安置したことにはじまる。白鳳六年(678)十一月八日、藤原鎌足の長子定恵和尚の開山による。その甲斐あってか、流行病に侵されていた阿閉(あべ)皇女も平癒し、慶雲四年(707)に桑實寺へ行幸している。以後、当寺は朝廷から保護され続け、二院十六坊を擁する寺院として隆盛を極めたのである。
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