ふじいでら|臨済宗妙心寺派|金剛山(こんごうざん)
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■四国八十八ヶ所:第11番札所「藤井寺(ふじいでら)」です。
当家と同様の臨済宗妙心寺派です。同じ宗派ですとやはり参拝する気持ちも変わります。寺名が「○○じ」であるか「○○てら」と読むのかわからない場合が多いのですが、四国霊場では唯一例外が「藤井寺」で他は皆「○○じ」だそうです。
山門近くの「藤棚」はおそらくシーズンには、素晴らしいことでしょう。
この辺り、のどかな山村風景はいいものですね。途中の「農協」の産直プラザで「スダチ」を買い込みます。ちなみに当方、田舎の「産直巡り」も好きで、地方の味覚を楽しみます。今回知らなかったのですが、「ユコウ」なる柑橘系をお店の方に奨められました。おそらく「柚香」と思われますが、スダチより大きく柚子より小さいイメージです。お奨め品だけあって「いい買い物」ができたと満足しています。ま、真面目な皆様に叱られるかもしれませんが、「俗な私」はこのような巡礼旅なのです。

憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 11番札所のお寺です。
切幡寺から10kmほどで 途中昼食をとってからのお参りになりました。
札所10番までは比較的短時間ですいすい巡れたのですが ここからは距離が長くなります。
田舎の細い道を上っていった先に駐車場がありました。
ここで初めての有料駐車場です。
お寺の維持管理にお金がかかっていることがよく分かります。
山門をくぐると 山間を切り開いて造った境内に入ります。
右手に鐘楼があり その先右に折れ 階段を上ると本堂・大師堂・不動堂があります。
手水舎の隣には経木流堂もありました。
熊谷寺にも経木流堂があったのですが こちらにもあったので 特別なものではないことを知りました。
本堂は150年ほど前の再建だそうですが とても古く立派に感じました。
山間だと傷むのも早いのでしょうか。
ご本尊の薬師如来様は 見えるといえば見ることができるのですが もう少しはっきり見られたらうれしかったです。
この山奥のお寺でも さすが四国八十八霊場だけあって 参拝者は多かったです。
山号は金剛山
宗派は臨済宗妙心寺派
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:色も香(か)も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如(しんにょ)の波のたたぬ日もなし
でした。
下調べで奥の院があると分かったので 境内奥へと足を進めたのですが それは別投稿で。
由緒については
全長236キロ 四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ 渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり 自らの厄難を祓い 衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して 堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に 金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて 一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から 金剛山藤井寺と称されるようになった。
寺は 真言密教の道場として栄え 七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。
だが 天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失 江戸時代初期まで衰微した。
その後 延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し その折に宗派を臨済宗に改めている。
天保3年(1832)に再び火災に遭い 本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。
現在の伽藍は 万延元年(1860)に再建されたもの。
本尊は 「厄除け薬師」として親しまれており 国の重要文化財に指定されている。
藤井寺から次の十二番・焼山寺までは 往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。
弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏 標石が残される貴重なへんろ道である。
とありました。

【金剛山(こんごうざん)一乗院(いちじょういん)藤井寺(ふじいでら)】
本尊:薬師如来
宗派:臨済宗妙心寺派
開基:弘法大師
藤井寺は、815(弘仁6)年、42歳の弘法大師(774-835)が自らの厄難を祓うためこの地で薬師如来像を彫り、山上に護摩壇を築いて修行をし、五色の藤を植えたのが名前の由来。その後は真言密教の道場として栄えたが、長宗我部元親の兵火により焼失する。江戸初期(1674(延宝2)年)に臨済宗の南山国師(なんざんこくし)が再興し、宗派が臨済宗に改められた。(臨済宗の札所は四国霊場でここ11番 藤井寺と33番 雪蹊寺の2ヶ寺だけ)1832(天保3)年に火災で再び焼失し、唯一難を逃れた本尊は厄除け薬師として人々に親しまれている。
本堂の奥には、12番札所の焼山寺へ続く「へんろ道」が残る。全長約13㎞の道のりは、健脚なら5時間、ゆっくり歩くと7~8時間かかる難所。

【11_T.Hamada's view】
山門

【11_五色の藤棚】
弘法大師が17日間の修行の際に、5色の藤をお手植えされたとされている。開花の季節は5色に輝き、参拝者を和ませる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)


【四国八十八ヶ所札所巡り⑪】
藤井寺(ふじいてら)は、徳島県吉野川市鴨島町飯尾にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は金剛山(こんごうざん)、院号は一乗院(いちじょういん)。本尊は薬師如来。四国八十八ヶ所11番札所。本尊の薬師如来像は、国指定の重要文化財。
寺伝によると、創建は平安時代初期の815年、42歳の厄年であった弘法大師が自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫像して堂宇を建立したのが始まり。当地から200m上の八畳岩に金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて十七日間の修法をされた。その堂宇の前に五色の藤を植えたという由緒から「金剛山藤井寺」と称されるようになったと伝わる。真言密教の道場として栄え、一時は七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展したが、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)の兵火により全山を焼失し衰微した。江戸時代の1674年に阿波藩主・蜂須賀家が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、臨済宗に改めている。1832年に再び火災で本尊以外の伽藍を焼失、のち1860年頃までに再建されている。
当寺は、JR徳島線・鴨島駅の南南西2.5km、道のり2.9kmの山ぎわの平地にある。10番札所の切幡寺からは道のり10.5km。境内は広そうだが、本堂、大師堂、弁天堂、庫裏など伽藍はコンパクトに集まっていて拝観しやすい。境内には特別な古木や巨木を見掛けなかったが、本堂の裏には山と森が構えていて、境内全体に包まれ感がある。
今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の午前中で、あいにくの天気であったにもかかわらず、何組かの参拝者が訪れていた。
※徳島県で唯一の有料駐車場の札所。
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