ふじいでら
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藤井寺ではいただけません
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藤井寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月11日(土)
参拝:2023年10月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 11番札所のお寺です。
切幡寺から10kmほどで 途中昼食をとってからのお参りになりました。
札所10番までは比較的短時間ですいすい巡れたのですが ここからは距離が長くなります。
田舎の細い道を上っていった先に駐車場がありました。
ここで初めての有料駐車場です。
お寺の維持管理にお金がかかっていることがよく分かります。
山門をくぐると 山間を切り開いて造った境内に入ります。
右手に鐘楼があり その先右に折れ 階段を上ると本堂・大師堂・不動堂があります。
手水舎の隣には経木流堂もありました。
熊谷寺にも経木流堂があったのですが こちらにもあったので 特別なものではないことを知りました。
本堂は150年ほど前の再建だそうですが とても古く立派に感じました。
山間だと傷むのも早いのでしょうか。
ご本尊の薬師如来様は 見えるといえば見ることができるのですが もう少しはっきり見られたらうれしかったです。
この山奥のお寺でも さすが四国八十八霊場だけあって 参拝者は多かったです。
山号は金剛山
宗派は臨済宗妙心寺派
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:色も香(か)も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如(しんにょ)の波のたたぬ日もなし
でした。
下調べで奥の院があると分かったので 境内奥へと足を進めたのですが それは別投稿で。
由緒については
全長236キロ 四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ 渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり 自らの厄難を祓い 衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して 堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に 金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて 一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から 金剛山藤井寺と称されるようになった。
寺は 真言密教の道場として栄え 七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。
だが 天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失 江戸時代初期まで衰微した。
その後 延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し その折に宗派を臨済宗に改めている。
天保3年(1832)に再び火災に遭い 本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。
現在の伽藍は 万延元年(1860)に再建されたもの。
本尊は 「厄除け薬師」として親しまれており 国の重要文化財に指定されている。
藤井寺から次の十二番・焼山寺までは 往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。
弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏 標石が残される貴重なへんろ道である。
とありました。
四国八十八カ所霊場巡り 11番札所のお寺です。
切幡寺から10kmほどで 途中昼食をとってからのお参りになりました。
札所10番までは比較的短時間ですいすい巡れたのですが ここからは距離が長くなります。
田舎の細い道を上っていった先に駐車場がありました。
ここで初めての有料駐車場です。
お寺の維持管理にお金がかかっていることがよく分かります。
山門をくぐると 山間を切り開いて造った境内に入ります。
右手に鐘楼があり その先右に折れ 階段を上ると本堂・大師堂・不動堂があります。
手水舎の隣には経木流堂もありました。
熊谷寺にも経木流堂があったのですが こちらにもあったので 特別なものではないことを知りました。
本堂は150年ほど前の再建だそうですが とても古く立派に感じました。
山間だと傷むのも早いのでしょうか。
ご本尊の薬師如来様は 見えるといえば見ることができるのですが もう少しはっきり見られたらうれしかったです。
この山奥のお寺でも さすが四国八十八霊場だけあって 参拝者は多かったです。
山号は金剛山
宗派は臨済宗妙心寺派
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:色も香(か)も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如(しんにょ)の波のたたぬ日もなし
でした。
下調べで奥の院があると分かったので 境内奥へと足を進めたのですが それは別投稿で。
由緒については
全長236キロ 四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ 渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり 自らの厄難を祓い 衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して 堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に 金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて 一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から 金剛山藤井寺と称されるようになった。
寺は 真言密教の道場として栄え 七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。
だが 天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失 江戸時代初期まで衰微した。
その後 延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し その折に宗派を臨済宗に改めている。
天保3年(1832)に再び火災に遭い 本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。
現在の伽藍は 万延元年(1860)に再建されたもの。
本尊は 「厄除け薬師」として親しまれており 国の重要文化財に指定されている。
藤井寺から次の十二番・焼山寺までは 往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。
弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏 標石が残される貴重なへんろ道である。
とありました。
すてき
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