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タケ
タケ
2021年10月24日(日)
491投稿

鎌倉街道散策(狭山柏原)1

『狭山市柏原』
 市内を通る鎌倉街道は、鎌倉と上野国や信濃国などを結ぶ主要街道であったため、鎌倉時代から戦国時代にかけて、軍事用だけでなく物資の流通にも盛んに利用されていた。
 鎌倉街道上道の支道である堀兼道は川越市藤倉、池辺を通り河越館跡付近へ向かっている。そして、狭山市東三ツ木付近から北西方向へ進み、入間川を渡り、智光山公園付近で上道の本道に合流するルートもあった。

【散策ルート】
 新狭山駅〜①生越道道標〜②奥富神社〜③広福寺〜④梅宮神社〜⑤九頭龍大権現碑〜⑥城山砦〜新狭山駅

新狭山駅から真っ直ぐ国道16号線へ。入間市方面へ折れ、一つ目の信号の右手角に、窮屈そうに建っている生越道道標を発見。

①生越道道標
 生越道道標(「せごしどうどうひょう」とも呼んでいます。)は寛政2年(1790)に建てられたもので、国道16号の新狭山駅入口交差点近くにあります。
 この道標を生越道道標と呼ぶのは、左側面に「北 下奥富入口并ならびに柏原生越道」とあるからである。しかし、1キロほど南の青柳にある道標には「越生」とあるので、「おごせ」と読むのが正しいと思われる。
 江戸時代以前の中世まではこの辺りは入間川の南岸で、鎌倉街道などの交通の要衝であったが、江戸時代に五街道が整備されると交通の中心から外れていった。この付近を通る街道としては秩父道、八王子道で川越方面から入間市方面に向かう道であった。八王子道は鎌倉街道と交差する道です。
 また、道標には南 武蔵野道、北 越生道と刻まれていて、この南北の道は、南は堀兼に向い、北は越生まで通じている道で、鎌倉街道の支道と思われるルートにあたります。

その角を北上し歩くこと10分弱で右手に奥富神社の石標柱が右手に現れる。

②奥富神社
 狭山市下奥富にある神社です。旧奥富村と寄付金により、奥富の地より出征した英霊百余柱を祀る為に創建、昭和28年社殿が完成したそうです。
 その後奉賛会を結集し、4月に大祭を行っていて、西方囃子が奉納されいる。

奥富神社の周辺

新狭山駅北口

奥富神社の建物その他

①生越道道標 標柱

奥富神社の建物その他

①越生道道標 石碑

奥富神社(埼玉県)

①生越道道標 案内板

奥富神社(埼玉県)

①生越道道標 風景

奥富神社の周辺

鎌倉街道筋

奥富神社の周辺

鎌倉街道筋

奥富神社の鳥居

②奥富神社 鳥居前石段

奥富神社の末社

②奥富神社 供養碑と境内社

奥富神社の鳥居

②奥富神社 鳥居

奥富神社の本殿

②奥富神社 拝殿

奥富神社の本殿

②奥富神社 奥殿

奥富神社の建物その他

②奥富神社 日露戦争戦没碑

奥富神社の歴史

②奥富神社 案内板

奥富神社の末社

②奥富神社 富士浅間神社

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ひなぎく
ひなぎく
2024年05月12日(日)
490投稿

昭和28年創建になります。奥富の地より出兵し名誉の戦死を遂げ、身を国のために捧げた英霊百余柱をお祀りしています。

境内は神社、薬師堂、自治会館、公園が一体になっています。会館周辺には石仏もありました。
薬師堂は近くの広福寺の所有で、通称「千日堂」と呼ばれています。

奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)

奥富十二支巡り「辰」

奥富神社(埼玉県)

境内社
詳細不明です。

奥富神社(埼玉県)

【浅間神社】
ご祭神は木花開耶姫命。創立年代は不詳であるが白井家から遷座したとあり、講社碑には明治13年(1880)4月1日とあります。

奥富神社(埼玉県)

【西方薬師堂(千日堂)】
当堂の由来についての記録はありませんが、広福寺「御改帳」の書かれた年記が慶安元年(1648年)であり、この古文書に「堂地三畝六歩藥師同高(光)林寺也」としてあるところから、慶安元年以前に建立されていたと思われます。
なお、この堂は広福寺の所有でありますが、高林寺が管理していたようです。また当堂は通称「千日堂」と呼ばれ、現在も住民より厚く信仰されています。
毎年8月に「西方薬師さま」のお祭りがあり、地元の人々が集まり、盆踊りや西方囃子が奉納されています。(狭山市HPより)

奥富神社(埼玉県)

木造薬師如来坐像

奥富神社(埼玉県)

自治会館裏に石仏郡がありました。

奥富神社(埼玉県)

如意輪観音さま

奥富神社(埼玉県)
奥富神社(埼玉県)
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歴史

当社は旧奥富村、村営にて村費及び寄付金63万9,955円を費やし、昭和27年起工し翌28年5月1日社殿が完成しました。
その後奉賛会を結集し、毎年4月に大祭を行っています。大祭では西方囃子が奉納されます。

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1
名称奥富神社
読み方おくとみじんじゃ

詳細情報

ご祭神西南の役以降の奥富出身の戦没者101柱
創建時代昭和28年5月1日
ご由緒

当社は旧奥富村、村営にて村費及び寄付金63万9,955円を費やし、昭和27年起工し翌28年5月1日社殿が完成しました。
その後奉賛会を結集し、毎年4月に大祭を行っています。大祭では西方囃子が奉納されます。

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